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DOTAMA(どたま)の出身・年齢・本名は?

画像の出典は全て本人のInstagramまたはTwitter

DOTAMA(どたま)はUMB優勝を果たし、更にフリースタイルダンジョンの初代モンスターを務めた実力とユーモアを兼ね備えたラッパーです。

今回は、DOTAMAの人物像にフォーカスしてまとめました。

DOTAMAのプロフィール

 

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出生名福島数馬(ふくしま かずま)
アーティスト名DOTAMA(どたま)
年齢1984年11月19日(現在35歳)
身長168cm
血液型
出身地栃木県佐野市
事務所
レーベル社会人ミュージック
公式サイトhttp://dotamatica.com

DOTAMAの名前の由来と本名は?

DOTAMAの本名は「福島数馬」で、DOTAMAという名前は本名とは一切関係がありません。

DOTAMAという名前の由来は、DOTAMAにとって初めて結成したクルーで、ラッパーとしてのキャリアをスタートさせたクルー「ドリルヘッド」を漢字にした「怒頭(どたま)」からきています。

初めて結成したクルー名を名前にするのは、奇しくもDOTAMAの名前を全国に知らしめることとなったULTIMATE MC BATTLE 2008 東京予選の初戦で戦った般若と同じであることからも、偶然では片付けられない運命めいたものを感じます。

DOTAMAの生い立ち

STEP.1
生い立ち
19841119日に栃木県佐野市で誕生
STEP.2
幼少時代~小学校時代
教育熱心な母親に厳しく育てられる
STEP.3
中学校時代
Dragon Ash feat.Rappagariyaの「Deep Impact」に大きな衝撃を受ける
STEP.4
高校時代
進学校である栃木県立佐野高等学校に進学し、HIP HOPクルー「ドリルヘッド」を結成
STEP.5
高校卒業後
地元栃木のホームセンターに就職

DOTAMA19841119日に栃木県佐野市で生まれました。

父親と母親、弟2人の5人家族で、曽祖父から祖父、両親まで教員で、曽祖父はDOTAMAが通っていた小学校で校長を務めるなど、厳格な教員一家でした。

幼少時代~小学校時代

両親ともに教員であるということもあり、幼少時代のDOTAMAは金銭的に何不自由ない生活を送っていました。

しかし、教育熱心な母親に相当厳しく育てられました。

DOTAMAの母は些細なことで声を荒げる(男口調で怒鳴りつける)性格でした。普通の子供であれば「怖い」と感じるところですが、DOTAMA「この人は大丈夫なんだろうか?」と思っていたそうです。

直接的に「教師になれ」とは言われなかったものの「教師になれ」という無言のプレッシャーを感じながらDOTAMAは幼少期を過ごします。

中学校時代

DOTAMAは栃木県佐野市富岡町の公立中学校の佐野市立北中学校に進学します。

これまで教育一家の家庭で厳しく育てられてきたDOTAMAですが、テレビCMで流れたDragon Ash feat.Rappagariyaの「Deep Impactに大きな衝撃を受け、HIP HOPにのめり込んでいきます。

周りの同級生はヴィジュアル系を聴いている友達が多かったですが、DOTAMAは日本のラッパーやアメリカのラッパーを聞くようになります。

DOTAMAが中学の頃好きだった音楽

高校時代

栃木県立佐野高等学校でDOTAMA初めてのHIP HOPクルー「ドリルヘッド」を結成し、高校3年生の文化祭の後夜祭でトリを務めましたが、玄人好みの楽曲を披露したこともあり全くウケなかったそうです。

同級生は大学進学に向けて受験勉強に励むなか、DOTAMAはヒップホップへの熱い気持ちが募り受験勉強が身に入らず、ネットでMCバトルの動画を見て過ごしました。

高校卒業後は就職

DOTAMAは進学校出身、そしてそのインテリジェンスなルックスから大学を卒業していると思われがちですが、栃木県立佐野高等学校を卒業後、大学進学ではなく「地元栃木のホームセンターに就職する」という道を選びます。

これまで教育熱心な家庭に育ちながら常に疑念を抱いてきたDOTAMAでしたが、いわゆるラッパーにありがちな非行に走ることはありませんでした。

そんなDOTAMAにとって初めての反抗とも言える行動に、母親からは人生の落伍者を見るようなあからさまな態度を取られ、父親からは「志村けんの変なおじさんみたいにならないでくれよ」という言葉を投げられたそうです。

DOTAMAの彼女

ラッパーとしてリリースやライブ活動だけでなく、メディアにも多く露出し、押しも押されぬヒップホップシーンを代表するラッパーとなったDOTAMAですが、独身であり彼女の噂もありません。

ULTIMATE MC BATTLE 2015 東京予選では彼女について「いない」とラップしていますが、それ以降は彼女について明言していません。

DOTAMAのファッション

DOTAMAと聞いて思い浮かべるのは「スーツにメガネ」というサラリーマンファッションです。

実際にMC漢がDOTAMAを始めて見たときの印象を「所謂B-BOYでも不良でもないクソパンピーだった」と語っていることからも分かるように、MCバトルという場において「不相応な格好」と言えます。

DOTAMAがスーツをトレードマークにしているのは「オリジナリティ」という理由でもありますが、10年間サラリーマンとして、毎日スーツを着て仕事をしていたDOTAMAにとって「スーツは気合いの入る戦闘服」です。

そのため負けられないMCバトルやライブ、メディア露出などの場で、DOTAMAはスーツを着ているわけです。

トレードマークであるスーツには、DOTAMAらしい真面目さが垣間見れる理由が隠されていました。

DOTAMAがラップをはじめたきっかけ

DOTAMAが初めてヒップホップに触れたのは、中学の時にテレビCMで流れたDragon Ash feat.Rappagariyaの「Deep Impact」でしたがDragon Ashのボーカル・kjに魅了されたわけではなく、初めに目を付けたのはラッパ我リヤ(Rappagariya山田マンでした。

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日本人の一般的な苗字である「山田」に「マン」が付いているということに衝撃を受け、名前のインパクトとラップの格好良さに加え、クールかつユーモアがあるところに惹かれたそうです。

そんなDOTAMAは父親にビデオカメラを借り、当時流行していたアシッドジャズユニットJamiroquaiのヒット曲「Virtural Insanity」のミュージックビデオの真似をして映像を撮り、そこにラップを乗せたのが初めてのラップ体験でした。

それから音楽の授業の課題で自作のラップを提出したりと、遊びでありながらもラッパーとしてのキャリアをスタートさせます。

DOTAMAデビューまでの道のり

STEP.1
ドリルヘッドを結成
高校3年生文化祭に向けてHIP HOPクルーのドリルヘッドを結成
STEP.2
5W1H」を結成
ドリルヘッドが前身となり4歳からの幼馴染であるラッパーDUFFとともに5W1Hを結成
STEP.3
クルーとソロ活動平行
北関東スキルズ(KITAKANTO SKILLZ)にも参加し、ラッパーとして精力的に活動するDOTAMAですが、クルーでの活動と並行してソロ活動も行う
STEP.4
音源リリース
2003年に5W1H としてキャリア初のなる音源「THE…」をリリース
STEP.5
ソロ音源リリース
200585日に、初のソロ音源となる「DOTAMATICA EP」をリリース

音源は両方とも完全自主製作でフォーマットもCD-Rですが、ラッパー・DOTAMAの初期衝動が詰まった1枚であり、この「DOTAMATICA EP」をリリースしたことで更にラッパーとしての活動にエンジンがかかります。

脱サラして本格的にラッパーの道へ

ULTIMATE MC BATTLE 2008 東京予選の初戦での般若とのバトル以降、着実に人気ラッパーとしての階段を昇り始めたDOTAMAですが、201210月に脱サラして栃木県佐野市から東京へ上京する決意を固めます。

高校を卒業後すぐに就職したホームセンターでの仕事も10年となり、管理職になるために上司に「危険物取扱者の資格を取らない?」と声をかけられるなど、ラッパーとしてだけでなく社会人としても順調にキャリアを積み重ねていました。

10年もの間、正社員として働いたホームセンターを辞め、上京して本格的にラッパーの道へと進むDOTAMA27歳という年齢に加え、すでにシーンで頭角を現していたこともあり「ラッパーとしてやっていける」という自負もありました。

ですが実際には厳しく、上京して半年ほどはライブがない苦しい状況でした。

またDOTAMAが脱サラして上京するという後押しをしたのは、2004年公開の映画「コラテラル」であり、映画に登場するタクシードライバー・マックスに自分を重ねたそうです。

DOTAMAのラップの特徴

DOTAMAの楽曲の特徴は、甲高い声から名前の由来ともなった「怒り」に任せた切れ味抜群のリリックが魅力です。

この「怒り」に関して、DOTAMA自身は自虐的な意味も込めて「母親譲り」と語っています。

ですがただ怒りに任せただけの言葉ではなく、知性、ユーモアを散りばめ、誰もが言えなかったことを「DOTAMAならではのアングルで捉えて言葉にしている」というのが、多くのリスナーを惹きつける魅力です。

また幅広いバックボーンを感じさせるトラックが多く、アーティストとしてヒップホップに囚われないアプローチも魅力です。

言葉、リリックにフォーカスが当てられがちですが、多彩なフローも持ち合わせています。

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DOTAMAが影響された音楽

DOTAMAが音楽に興味を持ちだした時期は、ちょうど日本の音楽シーンはDragon Ash、山嵐、RIZEなどのミクスチャーロックの全盛期とも言える盛り上がりを見せていました。

DOTAMA自身、Dragon Ashからヒップホップを知り、ミクスチャーロックを聴き漁っていたそうです。

そんなDOTAMAの初めて買ったCDB’zの「SURVIVE」だったと語っていて、ロックの影響も色濃く、DOTAMAの自由な音楽活動への影響を感じさせます。

また最も影響を受けたラッパーにはTHA BLUE HERBを、フリースタイルダンジョンのモンスターズツアー内のルーツとなった一枚を紹介する企画「俺の一枚」では、WU-TANG CLANGZAによる名盤「LIQUID SWORDS」を挙げています。

DOTAMAの代表的な曲は「音楽ワルキューレ2

ファーストフルアルバムのタイトルであり、タイトル曲でもある「音楽ワルキューレ」の続編でもある「音楽ワルキューレ2」は、DOTAMAらしさ全開の代表曲です。

Fragmentのヒップホップを根底にしたあまりにも自由な独特の発想から作られたトラックの上で、音楽業界では深刻に叫ばれつつもリリックのトピックとしては珍しい「音楽業界の不況」についてラップしています。

YouTubeやストリーミング、フリーコンテンツに対し「DOTAMA=福島数馬」の観点や切り口でラップを展開していく様は、フローも相まって爽快感すら感じさせてくれます。

散々不満をぶつけつつも、最後はポジティブに「それでも進化は終わらない 音楽は終わらない」と締めるあたりがDOTAMAらしさを感じます。

弟の自殺を乗り越えた経験

DOTAMA3兄弟の長男ですが、2006年に弟(次男)を自殺で亡くています。

ライブで訪れた群馬のクラブで、深夜にいきなり母親から「ちょっと帰ってきてもらっていいかな」という電話があり、胸騒ぎを覚えつつ、明け方実家に帰ると居間に棺桶が置かれており、棺桶の前で泣き崩れる母親の姿がありました。

DOTAMAは教員一家の長男として生まれながら大学へ進学せず、ホームセンターで働きながらラッパーとして活動する「人生のレールから外れた生き方」を選びました。

ですが次男は埼玉県川口市で予備校に通いながら浪人生をしており、母親から長男であるDOTAMAに代わり溺愛されていました。

DOTAMAもかなり真面目な性格ですが、次男はさらに真面目な性格ということもあり、DOTAMAは弟の自殺について「すべて正面から受け止めて、プレッシャーになってしまったんだろうという気がします」と語っていますが、実際には遺書が見つかっていないため理由は定かではありません。

DOTAMAは「自分が両親の期待に応えていれば」と自分を責めましたが、弟の死を乗り越えてラッパーとして活躍する現在があります。

DOTAMA「違法大麻撲滅キャンペーン」で大炎上

DOTAMAは故郷である栃木県佐野市のブランド大使に就任したり、栃木県の「とちぎ未来大使」に就任したりと、とにかくラッパーのイメージを覆す「クリーンな活動」も積極的に行い注目を集めています。

ですが20199月に警察庁の大麻乱用防止キャンペーン「I’m CLEAN なくす やめる とおざける」に参加したことにより、ヒップホップシーン内で大炎上となりました。

大麻はもちろん日本では違法ですが、海外では合法化される流れがあり、日本国内でも大麻を合法にしようとする意見も上がっています。

またヒップホップと大麻は切り離せない関係であり、ヒップホップアーティストには「大麻好き」を公言していたり「大麻合法化」に賛同している人がたくさんいます。

ヒップホップカルチャーの中で大々的に「大麻撲滅」を掲げ、また警察のキャンペーンに参加するという姿勢が大きな反発を生みました。

これには呂布カルマも「俺は別に大麻の使用を擁護してる訳じゃない。」と前置きしつつ「ただ余りにも自分が育ってきたカルチャーやそこにいる人達への理解と配慮が足りない」「警察の側に回ったり撲滅は明らかに行き過ぎ」と批判しています。

元相方でもあるDUFFDOTAMAに対してディス曲を発表するなど、文字通りの大炎上となりました。

DOTAMAとアーティストとのコラボ

MCバトルのイメージが強いDOTAMAですが、音源リリースや他のアーティストとのコラボも積極的に行なっています。

特になどのMCバトルで活躍するラッパーとコラボが多いのが特徴です。

ジャンルレスな音楽活動

他のラッパーとも積極的にコラボする姿勢を見せているDOTAMAですが、ヒップホップという枠に囚われず、ジャンルレスに音楽活動をするのもDOTAMAの魅力です。

  • チップチューンミュージシャンのUSK
  • ジャズベーシストのOLD MACHINE

ロックバンドFINAL FRASHを結成

また20163月にthe telephonesTHE SUZANのメンバーとともに、DOTAMA自身初となるロックバンドFINAL FRASHを結成し、アルバムリリースも行なっています。

201661日にリリースされたファーストミニアルバムFINAL FRASHについて般若はインタビューで

2016のナンバー3には入るよ。」

DOTAMAは前からすごいと思っていたけど、表現の部分で改めてこいつすごいなと思った。」

と賞賛していました。

DOTAMAとR-指定は犬猿の仲!?

R-指定とは初対戦はULTIMATE MC BATTLEです。

  • ULTIMATE MC BATTLE 2011
  • ULTIMATE MC BATTLE 2013
  • ULTIMATE MC BATTLE 2014

チャレンジャーとして対戦した

  • フリースタイルダンジョン
  • フリースタイルダンジョン モンスターズウォー
  • フリースタイルダンジョン 東西口迫歌合戦

以上、計6戦もバトルし24敗、全てのバトルが伝説として語り継がれています。

そういった経緯もあり、R指定とは「因縁」や「犬猿」という言葉で揶揄されることが多くあります。

ですが実際にはラッパーとしての仕事について、バトルについて、フリースタイルダンジョンについて、お互いの楽曲について、アルバムの感想など、2時間くらい電話で話すほど仲が良いです。

時を同じくして、フリースタイルの酸いも甘いも経験し、お互いに「死闘」とも言えるバトルを繰り広げてきたラッパー同士だからこその関係と言えます。

両親との関係は?

高校卒業後に進学ではなくホームセンターへの就職、そして10年勤めたホームセンターを退職して本格的にラッパーとしての道へ進むことを決めたことに対し、両親には当然理解してもらえずに冷たい目で見られたそうです。

ですが、上京して5年が過ぎたあたりからDOTAMAもメディアへの露出がかなり増えたり、フリースタイルダンジョンのモンスターに抜擢されるなどの活躍で両親もラッパーとしての活動に理解を示すようになりました。

今ではたまに両親揃ってライブに訪れるなど、友好的な関係を築いています。

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