まるで本物?合法リキッドでキマる

Dragon Ashのメンバープロフィールのwikiまとめ

ラッパーDragon Ash

広告及びプロモーションが含まれています。
画像の出典は全て本人のInstagramまたはTwitter

日本のHIP HOPをメジャーに押し上げだ伝説のHIP HOPグループDragon Ashについてまとめました。

90年代後半の日本のHIP HOPシーンはアングラすぎて全くと言っていいほどメジャーではありませんでした。

いわゆるオタクの音楽だった(日本では)

それをDragon Ashが一瞬で変えた。

テレビのCMで「Deep impact」流れた時の衝撃を今でも覚えている。

今までPOPやロックバンドしか聞かなかった人が、Dragon Ashを聞くようになったし、日本のHIP HOPがオタクの音楽からイケてる音楽ジャンルに変わった。

Dragon Ashおすすめの曲Dragon Ash(ドラゴンアッシュ)のおすすめの曲は?厳選人気ランキング13選【隠れた名曲】

降谷建志(Kj)のプロフィール

 

この投稿をInstagramで見る

 

Dragon Ash(@dragonash_official)がシェアした投稿

出生名古谷 建志
アーティスト名降谷建志(Kj)
年齢1979年2月9日(現在45歳)
身長162cm
血液型B型
出身地東京都
事務所INNOVATOR
レーベルビクターエンタテインメント
MOB SQUAD
公式サイトhttps://www.dragonash.co.jp/kenji

Kjこと降谷建志は1979年2月9日に東京で生まれました。

Dragon Ashのメインボーカル・ギターとして活躍し、ロックを中心とした日本の音楽シーンを牽引してきました。

日本最大級の音楽フェスであるROCK IN JAPAN FESTIVALには最初期から出演し続け(Dragon Ashとして)、合計20回の出演に加え、大トリを合計3回務めました。

アーティスト活動の傍らでは俳優業にも勤しみ、映画やドラマでも活躍しています。

降谷建志の高校と大学は?

 

この投稿をInstagramで見る

 

✴︎Dragon Ash ✴︎(@morrow0427)がシェアした投稿

学歴
  1. 青山学院中等部卒業
  2. 青山学院高等部中退
  3. 代々木高等学校卒(通信制)

降谷建志青山学院中等部を卒業後、高等部に内部入学を決めました。

青山学院中等部(偏差値64)・高等部(偏差値72)は名門の学校として有名で、内部進学とはいえ学力が高いことが伺えます。

しかし、Dragon Ashとして活動を始め、活動に集中していく中で、青山学院高等部を中退し、通信制の代々木高等学校に進学しました。

CBDリキッドランキング

降谷建志の彼女歴

 

この投稿をInstagramで見る

 

✴︎Dragon Ash ✴︎(@morrow0427)がシェアした投稿

降谷建志はこれまで2人の女性関係が明らかになっています。

現在は結婚し子供にも恵まれ、長男の降谷凪は2020年1月17日に上映開始された映画ラストレターで俳優デビューしたことでも話題になりました。

また、降谷凪は父の降谷建志からの薦めか、青山学院初等部に通っていて、親子揃って青山学院系統の学校に通っています。

稲村光穂(MIHO)

結婚する以前に付き合っていた女性は歌手のMIHOこと稲村美穂(現在活動休止中)です。

稲村美穂とは小学校からの同級生で、学生時代から交際関係にありました。

プライベートな面でも信頼できる関係にありながらも、MIHOのシングル「OVER/ESPERANZA」には降谷建志が所属していたユニットSteady&Co.が制作に携わっているなど、仕事面でも支え合っていました。

また、Dragon Ashのシングル「M」は稲村美穂に向けた曲で、順風満帆な交際関係を築いているように見えましたが、突如として分かれてしまいました。

嫁はMEGUMI

 

この投稿をInstagramで見る

 

✴︎Dragon Ash ✴︎(@morrow0427)がシェアした投稿

稲村美穂との交際後、現在の嫁であるMEGUMIと付き合い始め、見事結婚しました。

付き合うまで至ったのはMEGUMI「夕凪Union」のMVに出ていた降谷建志に一目惚れしたことが始まりでした。

それからはMEGUMIの猛アプローチでライブ後の楽屋に挨拶に行ったり、メールでのやり取りを欠かさずしたりなど、たゆまない努力をした結果ようやく親しい友人関係になり、それが発展し交際関係になりました。

そして2008年に妊娠・結婚し、現在は幸せな家庭を築いています。

MEMO
息子の降谷凪の名前は「夕凪ユニオン」が由来している 

降谷建志のファッション

 

この投稿をInstagramで見る

 

D.A.CREW 8(@d.a.crew)がシェアした投稿

降谷建志の愛用ブランド
  • ROTTWEILER
  • COOTIE
  • Ray-Ban
  • DELUXE

降谷建志ファッション誌の表紙を飾るほど、ファッションの分野でも注目を浴びています。

降谷建志が愛用しているブランドとしてはROTTWEILERCOOTIERay-BanDELUXEなど様々ですが、中でも印象深いのがROTTWEILERです。

ROTTWEILERDragon Ashのスタイリストを担当していた宮島尊弘が立ち上げたブランドで、アメカジやスケート、ストリート、ロックのテイストを織り交ぜているのが特徴的です。

降谷建志の愛車はマスタング・コンバーチブル

降谷建志の愛として有名なのが1996年製フォードのマスタング・コンバーチブルです。

「Let yourself go, Let my self go」のMVにも登場し、アルバム「Mustang!」やシングル「Mustang A Go Go!!!」など、マスタングに関連した楽曲もリリースしているところから、このへの愛が滲み出ています。

日本人ラッパーの愛車のまとめ日本人ラッパーはどんな車に乗っているのか!?まとめてみた。【高級車31台】

降谷建志の父は古谷一行

 

この投稿をInstagramで見る

 

NHKあさイチ(@nhk_asaichi)がシェアした投稿

降谷建志の父親は俳優の古谷一行です。

古谷一行土曜ワイド劇場火曜サスペンスなどを中心に活躍するベテラン俳優の1人で、その名声で成功するのを嫌った降谷建志はあえて”降谷”と名字を変えて活動し始めたというエピソードもあります。

家族という関係性にありますが、Dragon Ashのアルバム「Viva La Revolution」のテレビCMに出たり、逆に古谷一行がプロデュースした映画「手紙」降谷建志が共演したりなど、仕事の中でも関係を持っています。

Dragon Ashとは

 

この投稿をInstagramで見る

 

Dragon Ash(@dragonash_official)がシェアした投稿

降谷建志が所属し、これまでメインで活動してきたのがDragon Ashという音楽グループです。

主にミックスチャー・ロックやオルタナティブ・ロック、パンク、ラテンといった様々なジャンルの楽曲制作をしていて、過去にはHIP HOPの楽曲を制作していたこともありました。

これまでリリースしてきた11枚のアルバムではオリコン1位を3回獲得し、CMソングとして提供したり、FIFAワールドカップのテーマソングに起用されたりなど、日本を代表するロックバンドとして活躍してきました。

MEMO
Dragon Ashの名前の由来は「Drag on Ash(=ダラダラしていると灰になる)」で、「Drag」と「on」をもじって作られた。

Dragon Ashの音楽はHIP HOPとロックの融合

 

この投稿をInstagramで見る

 

Dragon Ash(@dragonash_official)がシェアした投稿

Dragon Ashの楽曲の特徴は様々なジャンルの音楽の要素を取り込んだ多様性にあります。

アルバムごとにテーマが違い、それぞれのテーマに合った音楽の要素を盛り込んでいるため聞き飽きることが無く、次のアルバムのテーマにも期待できるワクワク感があるのも魅力的です。

しかし、そういった特徴が根幹になってはいるものの、ある時期を契機に音楽スタイルを少し変えることになりました。

CBDリキッドランキング

90年代から2000年前半

活動を始めた90年代から2000年前半にかけて急成長し、トップアーティストの階段を瞬く間に上っていった中で、様々なジャンルの音楽の要素を感じさせる特徴は”顕著”にありました。

言い換えれば、AIRこと谷浩司の楽曲に酷似していたりなど、世間一般的に”パクリ”と捉えられるような取り入れ方をしてしまうこともあり、それが90年代から2000年前半のDragon Ashの特徴の1つでもありました。

もちろん悪意があったわけではなく、完全なリスペクトからそういった取り入れ方をしてしまっていたために、特に揶揄されることなく順調に成功の道をたどっていました。

Zeebraのディス以降

しかし、そういった過度な取り入れ方が裏目に出てしまい、2002年にZeebraからシングル「公開処刑」で名指しを受け、激しいディスに合うことになりました。

これはDragon Ashが2000年にリリースした「Summer Tribe」での声・フロウ・ステージングなどがZeebraと酷似していたことがきっかけで、リスペクトを込めたつもりがビーフに発展しました。

これ以降、他ジャンルの音楽や他人の音楽の要素を過度に取り入れることはなくなり、現在のスタイルにまとまっていきました。

Zeebra(キングギドラ)がKj(Dragon Ash)に仕掛けた一方的なBEEF(ビーフ)の結末は?

Dragon Ashのメンバープロフィール

 

この投稿をInstagramで見る

 

Dragon Ash(@dragonash_official)がシェアした投稿

Dragon Ashのメンバー
  1. Kj(降谷建志)
  2. BOTS(佐藤哲也)
  3. MAKOTO SAKURAI(桜井誠)
  4. IKÜZÖNE(馬場育三)*逝去
  5. KenKen(金子賢輔)*脱退
  6. HIROKI(杉山弘樹)
  7. DRI-V(千葉雅紀)
  8. ATSUSHI(高橋アツシ)

Dragon Ashはこれまで逝去してしまったり、脱退してしまったメンバー(サポートメンバーを含む)も合わせると8人いますが、現在は6人のメンバーを軸に活動しています。

また、The BONEZPay money To my PainのメンバーであるT$UYO$HIがサポートメンバーのベーシストとして補助にあたっています。

DJ 佐藤 哲也

 

この投稿をInstagramで見る

 

Dragon Ash(@dragonash_official)がシェアした投稿

出生名佐藤 哲也
アーティスト名BOTS
年齢1973年5月30日(現在50歳)
身長
血液型O型
出身地東京都
事務所INNOVATOR
レーベルビクターエンタテインメント
MOB SQUAD
公式サイト

BOTSでお馴染みの佐藤哲也は1973年5月30日に生まれ、1999年からDragon Ashの正式なメンバーとして迎え入れられました。

歳は違いますが、降谷建志桜井誠と同級生であり、古くからの仲でもあります。

Dragon Ashの中ではサウンド・トラックメイカー、ターンテーブリストとして活躍しています。

趣味はサッカーやバイク、で、特にサッカーは草サッカーチームに所属するほどで、自身のインスタグラムにもサッカー関連の投稿が多くされています。

ドラム 桜井 誠

 

この投稿をInstagramで見る

 

Makoto Sakurai(@m_sakurai_da)がシェアした投稿

出生名桜井 誠
アーティスト名MAKOTO SAKURAI
年齢1979年2月7日(現在45歳)
身長165cm
血液型O型
出身地東京都
事務所INNOVATOR
レーベルビクターエンタテインメント
MOB SQUAD
公式サイト

MAKOTO SAKURAIこと桜井誠は1979年2月7日に生まれ、Dragon Ashの結成当初のメンバーの1人です。

桜井誠BOTSと同様に、降谷建志と同級生であり、グループの中でも古株のメンバーでもあります。

Dragon Ashの中ではドラム担当で、ライブではMCとしても活躍しています。

趣味は料理やスロットで、桜井食堂を出店したり、料理本の出版、パチスロ番組への出演など、自分の趣味もオープンにして仕事をしています。

CBDリキッドランキング

ベース 馬場 育三

 

この投稿をInstagramで見る

 

@ikuzombieがシェアした投稿

出生名馬場 育三
アーティスト名IKÜZÖNE
年齢1965年11月1日(2012年4月21日逝去)
身長170cm
血液型A型
出身地東京都
事務所INNOVATOR
レーベルビクターエンタテインメント
MOB SQUAD
公式サイト

IKÜZÖNEでお馴染みの馬場育三は1965年11月1日に生まれ、Dragon Ashの初期から活躍してきました。

ベースマガジンでのメンバー募集からオーディション選考を通過し見事メンバーとなり、グループ最年長のメンバーとして支えてきました。

Dragon Ash内ではベースを担当し、特に初期のDragon Ashの基盤作りに大きく貢献しました。

しかし、2012年に急逝してしまい、メンバーからはアナタはずっと俺達のベースヒーローでしたなど、追悼のメッセージが捧げられました。

ベース 金子 賢輔

 

この投稿をInstagramで見る

 

Dragon Ash(@dragonash_official)がシェアした投稿

出生名金子 賢輔
アーティスト名KenKen
年齢1985年12月30日(現在38歳)
身長
血液型AB型
出身地東京都
事務所合同会社 大宴会
レーベル
公式サイト

KenKenこと金子賢輔は1985年12月30日に生まれ、父はジョニー吉長、母は金子マリ、兄は金子ノブアキと音楽に精通した家系で育ち、レッド・ホット・チリ・ペッパーズに憧れベースを始めました。

Dragon Ash内ではIKÜZÖNEの代理ベーシストとしてグループをサポートしてきました。

2019年の事件以降はグループから脱退していて、2019年内は活動を自粛していましたが、2020年から活動を順次再開していくとアナウンスされています。

ギター 杉山 弘樹

 

この投稿をInstagramで見る

 

Dragon Ash(@dragonash_official)がシェアした投稿

出生名杉山 弘樹
アーティスト名HIROKI
年齢1966年2月9日(現在58歳)
身長
血液型O型
出身地東京都
事務所INNOVATOR
レーベルビクターエンタテインメント
MOB SQUAD
公式サイト

HIROKIでお馴染みの杉山弘樹は1966年2月9日に生まれ、2003年を契機にサポートメンバーから正規のメンバーとして迎え入れられました。

Dragon Ash内ではギターを担当し、降谷建志と共に2トップのギターで存在感を表しています。

また、Dragon Ash以外にもバンドを組んでいて、ミックスチャーバンドStrobo.Cell no.13ROSといった他のバンドもサイドプロジェクトとして進めると同時に、桜井誠とはダンスユニットendiveを結成しています。

ダンサー 千葉 雅紀

 

この投稿をInstagramで見る

 

DRI-V(@dri_v_dance)がシェアした投稿

出生名千葉 雅紀
アーティスト名DRI-V
年齢1979年2月13日(現在45歳)
身長
血液型
出身地
事務所INNOVATOR
レーベルビクターエンタテインメント
MOB SQUAD
公式サイト

DRI-Vこと千葉雅紀は1979年2月13日に生まれ、2003年からDragon Ashの正式メンバーとして迎え入れられました。

Dragon Ashではダンサーとして活躍し、ヒップホップやブレイクダンス、パントマイムなど、あらゆる要素を取り入れたスタイルのダンスが特徴的です。

ダンサーとして活躍する一方でダンス講師としても活動していて、DRI-V DANCE SCHOOLという初心者向けの都内のダンス教室を運営していたり、子供園の園児達に運動能力発達のレッスンをしたりなど、教える立場としても存在感を発揮しています。

CBDリキッドランキング

ダンサー 高橋 アツシ

この投稿をInstagramで見る

 

ATSUSHI TAKAHASHI(@atsushi_takahashi_official)がシェアした投稿

出生名高橋アツシ
アーティスト名ATSUSHI
年齢1979年2月7日(現在45歳)
身長180cm
血液型AB型
出身地東京都
事務所INNOVATOR
レーベルビクターエンタテインメント
MOB SQUAD
公式サイトhttp://www.atsushi-takahashi.com/

ATSUSHIでお馴染みの高橋アツシは1979年2月7日に生まれ、2003年からDragon Ashの正式なメンバーとして活躍してきました。

Dragon Ashではダンサー兼振付師として活躍し、大きな体格からなる迫力あるダンスでDRI-Vと2トップのダンサーとしてグループの重要な役割を担っています。

Dragon Ash以外にも自身のプロジェクトとしてPOWER of LIFEを立ち上げたり、宮崎県の野外フェスGAMA ROCK FESを立ち上げるなど、プロデューサーとしての側面も持ち合わせています。

また、自身のスタイルを活かし、パリコレを含めたファッションショーにも数多く出演しています。

Dragon Ashの活動デビューから現在まで

 

この投稿をInstagramで見る

 

Dragon Ash(@dragonash_official)がシェアした投稿

1996~1997年
グループ結成からデビューまで
  1. 降谷建志(Kj)MAKOTO SAKURAIによりグループを結成
  2. オーディションでIKÜZÖNEが加入
  3. 初のミニアルバム「The day dragged on」やファーストアルバム「Mustang!」をリリース
1998~2002年
セカンドアルバムから4枚目のアルバムまで
  1. セカンドアルバム「Buzz Songs」をリリース
  2. サポートメンバーBOTSが正式加入
  3. 5枚目のシングル「Grateful Days」で初のオリコン1位
  4. サードアルバム「Viva La Revolution」をリリースし、アルバムで初のオリコン1位に輝く
2003~2011年
メンバーの加入と復帰
  1. サポートメンバーのHIROKIDRI-VATSUSHIの3名が正式加入
  2. MOB SQUAD設立
  3. 療養中のIKÜZÖNEの代わりにKenKenがサポートメンバーに
  4. 5枚目・6枚目のアルバム「HARVEST」と「Río de Emoción」がオリコン1位を獲得
  5. 橈骨神経麻痺に悩まされていたIKÜZÖNEが復帰
2012~2016年
メンバーの死から27枚目のシングル
  1. IKÜZÖNEが急性心不全により逝去
  2. デビュー15周年のベストアルバム「LOUD & PEACE」リリース
  3. 10枚目のアルバム「THE FACES」をリリース
  4. Dragon Ash Tour 〜THE SHOW MUST GO ON〜で初めて日本武道館に立つ
2017~2019年
20周年からメンバーの脱退
  1. デビュー20周年を記念してシングル「Mix It Up」をリリース
  2. 初めてミュージック・ステーションに出演を果たす
  3. 11枚目のアルバム「MAJESTIC」をリリース
  4. KenKen大麻取締法違反の容疑で逮捕
  5. サポートメンバーとしてT$UYO$HIが臨時加入
  6. KenKenが脱退を表明

Dragon Ashは当時学生だった降谷建志(Kj)MAKOTO SAKURAIによって結成され、後にオーディションでIKÜZÖNEを迎え入れた3人体制からスタートしました。

1997年に入るとミニアルバム「The day dragged on」とファーストアルバム「Mustang!」でデビューを果たし、サードアルバム「Viva La Revolution」ではオリコン1位を獲得し、急激に成長していきました。

その過程の中でメンバーのBOTSが正式加入し、後にHIROKIDRI-VATSUSHIの3人が加わったり、レーベルMOB SQUAD設立によって、より活動の幅を広げていきました。

その後、数多くのヒット曲を生み出し、2011年に入るとKenKenをサポートメンバーとして迎え入れ、フルメンバーが揃った中で2012年にIKÜZÖNEが急逝してしまうことになります。

それからは残っていたメンバーで活動を展開していき、活動20周年や日本武道館での初ライブ、ミュージック・ステーション初出演など、ベテランながらも破竹の勢いで成長していきました。

しかし、2019年に入るとKenKen大麻取締法違反の容疑で逮捕されてしまい、メンバーやレーベルなど周りに迷惑をかけたことを理由に脱退を表明しました。

注意
本サイトはラッパーさんのバッググランドを知ることで、リリックの意味や楽曲をより好きになってもらうことを目的としています。情報の誤り・追加等につきましては速やかに修正対応させて頂きますのでフォームへご連絡ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA