厳選バトルビートのまとめ

ANARCHY(アナーキー)の年齢・身長・生い立ちは?盗んだ機材で走り出す!ラッパープロフィールの完全まとめ

画像の出典は全て本人のInstagramまたはTwitter

ラッパーとしてメジャデビューも果たし、ゲットーからジャパニーズヒップホップドリームを体現するANARCHYについてまとめました。

 

ANARCHYは1981年9月2日生まれの現在38歳です。

過酷な家庭環境、生い立ちを綴ったリリックと逆境に立ち向かう生き様を体現した楽曲でリスナーの心を掴み、一気にスターダムへと上り詰め、日本を代表するラッパーの仲間入りを果たします。

2014年には念願のメジャーデビューを果たし、ラッパーとしてだけではなく俳優、映画監督と活躍のフィールドを広げています。

ゲットーから成り上がる生き様は、まさにジャパニーズヒップホップドリームと言えます。

ANARCHYのプロフィール

 

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出生名北岡健太(きたおか けんた)
アーティスト名ANARCHY(アナーキー
年齢1981年9月2日(現在38歳)
身長171cm
血液型O型
出身地京都府伏見区向島(大阪府生まれ)
事務所avex
レーベルONEPERCENT
公式サイトhttps://avex.jp/anarchy
STEP.1
幼少時代~小学校時代

ANARCHYは1981年9月2日に大阪府で生まれ、3歳の頃に京都府伏見区向島の市営住宅である向島ニュータウンに引っ越します。

ANARCHYが7歳の頃に両親が離婚し、母親が家を出て行ったため父親に引き取られます。

父親と2人の生活はかなり貧乏で、食事はインスタントラーメンばかりでした。

MEMO
  • ANARCHYは小学校の頃から金髪で、あだ名は「金髪ケンタ」
  • 「冒険」と称して夜な夜な出歩き、鍵付きのバイクを探し歩く
  • 漫画「SLAM DUNK」の影響でバスケットボールを始める
STEP.2
中学校時代

中学校に進学したANARCHYは、バスケットボール部に所属しキャプテンを務めます。授業にはほとんど出席せず、バスケットボールに遊び、喧嘩に明け暮れる中学校時代を過ごしました。

ちょうどこの頃ヒップホップと出会いラップを始めます。

STEP.3
暴走族時代

中学校を卒業したANARCHYは、高校進学という道を選ばず、バイトをしながらライブ活動を主に活動していました。

ANARCHY曰く「ふつうのB-BOYの生活」を送っていました。

ANARCHYが16歳の時に、地元で「喧嘩祭り」と呼ばれている京都府宇治市の「県祭り」で、友人が暴走族にボコボコにされる現場にたまたま居合わせます。

そこでANARCHYは暴走族に立ち向かうことができなかった悔しさから、父親に「1年間だけ暴走族やらせてくれ」と宣言します。

MEMO

ANARCHYは地元の伝統ある暴走族・悪妙を復活させ、16歳にして総長になる。暴走族になると宣言した1年間はとにかく喧嘩に明け暮れ、京都中の暴走族と仲良くなり、チーマーのようなグループANARCHYへと発展していく

STEP.4
逮捕〜少年院

ANARCHYは18歳の頃に喧嘩が原因で逮捕され、約1年間を少年院で過ごします。

実はANARCHY自身「暴走族はダサい」と思っていながら、暴走族の道に進みました。

逮捕されたことに対しANARCHYは「でも、捕まってよかったと思うんです。あれ捕まらへんかったらたぶん、ズルズルやってたかもしらんし。大怪我したかもしらんし、大怪我させたかもしらんし」と語っています。

19歳で少年院を出たANARCHYは、そのまま暴走族を引退しています。

ANARCHYの彼女はMARIA?

 

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ANARCHYは結婚はしていませんが、彼女に関しての噂はこれまでありました。

SIMI LABMARIA、大阪でイベントのオーガナイズをしている女性などがANARCHYの彼女ではないかと噂に上がったことはありますが、ANARCHYが自身の恋愛について、インタビューや楽曲でも公表していません。

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決闘罪で逮捕され少年院へ

 

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ANARCHYは18歳の頃に逮捕され、少年院に入っていますが、逮捕された際の罪名は「決闘罪」でした。

あまり聞き馴染みのない罪名ですが、決闘罪が適用されたのはANARCHYが日本で三例目でした。

逮捕された経緯は「喧嘩祭り」と称される県祭りでの暴走族同士の喧嘩が大きくなり、露天などが潰れ出したために場所を変えることとなります。

場所を変えましたが他のチームやギャラリーも増え、結局200人以上が集まってしまったため、その場にいたOBのような人の提案でお互いのチームから5人ずつ出し合い、5人対5人で決着をつけることとなってしまいます。

最終的に喧嘩したメンバーが全員警察に呼ばれることとなり、取調べの結果、決闘罪で逮捕されました。

MEMO
このエピソードについて、2017年6月14日に放送されたバラエティ番組「水曜日のダウンタウン」内の「適用された事の無い罪名、山ほどある説」で、ANARCHY本人が出演し語っています。 

ANARCHYの好きなファッションブランドは超ハイブランド

 

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ANARCHYの初期のファッションはベースボールシャツやバスケシャツにベースボールキャップ、バッシュなどのアイテムを使った、いわゆるB-BOYファッションでした。

ブランドはMISHAやNIKEなどのストリート色の強いアイテムを多く取り入れていました。

最近はOFF-WHITEなどのラグジュアリーな超ハイブランド、GRIMEYやFORTYFOUR、Supremeなどの最先端のトレンドとなっているブランドをスタイリッシュに着こなしています。

ラップを始めたきっかけはクラブの影響!?デビューへの覚悟はZEEBRAの影響

 

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ANARCHYがヒップホップにハマるきっかけとなったのは、中学1年生の時に初めて行ったクラブでした。

都会への憧れもあり、とにかく今まで見たことのない世界を覗いたANARCHYは、ヒップホップへのめり込んでいくこととなります。

当時のANARCHYは「ギターやるより簡単」という気持ちもあり、クラブで流れる音楽や友達から回ってくるミックステープを聴き、友達たちと溜まり場である東公園に集まり、ラジカセを囲んでフリースタイルをする日々が続きました。

そして中学3年生にして自らクラブを借り、自主イベント「覚醒」を開催します。

イベントを主催することに関して全く知識がなかったANARCHYですが、フライヤーとチケットを手書きで描き、コンビニで印刷し、隣の中学校まで配布して集客します。

結局、自主イベント「覚醒」は17時から22時のイベントながら、なんと300人を集客する大成功を収めます。

MEMO
ANARCHYたちが練習で使っていたラジカセや機材などは、全て自分たちで盗んできた盗品でした。

デビューまでの道のり

ラッパーでありながら、16歳の時に暴走族のリーダーとなったことにより、ANARCHYは「ラッパーと暴走族の総長の二足の草鞋」となってしまいました。

そして18歳の時に逮捕され、少年院に入ることとなりましたが、少年院の中でZEEBRAが出演する音楽番組を見たことで、本格的にラッパーとなる覚悟を決めます。

その決意は固く、少年院の中から友人に向けて決意表明の手紙を送るほどでした。

そして自ら結成したチームの名前であるANARCHYと名乗るようになります。

19歳で少年院を出た後は、同じ中学校の同級生であり、常に行動を共にしてきたDJ AKIOから「これでメシ食おうや」と声をかけられ、ANARCHYは奮い立ちます。

またソロのラッパーとしてだけでなく、地元・向島の仲間と共にRUFF NECKも結成し、クルーでの活動にも力を入れます。

そんな中、2002年1月1日にシングル「GHETTO DAY’Z」を自主制作でリリースします。

限定2000枚だったシングル「GHETTO DAY’Z」はすぐに完売し、ANARCHYの名前は京都中のみならず日本中に浸透していきます。

そして2005年12月21日にFUTURE SHOCKより、満を辞してシングル「Ghetto King」をリリースし、デビューを果たします。

RUFF NECK結成秘話

ANARCHYは中学の頃に、まず幼馴染のJC、中学校の同級生のDJ AKIOらと共にラップグループ・サムライを結成し、精力的に活動を始めます。

ちょうどそのころにANARCHYたちがラップをしているという噂を聞き、溜まり場である東公園にYOUNG BERYNAUGHTYが訪ねてきたことにより交流は始まりますが、それぞれ別の相方とともにラップをしていたため、クルー結成には発展しませんでした。

しかし時が経つにつれて音楽を辞めていくメンバーも増え、YOUNG BERYNAUGHTYもお互いに相方がいなくなったこともあり、YOUNG BERYNAUGHTYサムライに吸収します。

ですがメンバーも変わり「元々のサムライと関係なくなってきた」という理由でANARCHYサムライを解散させ、今はなき京都の老舗クラブのWHOOPEE’Sで解散ライブも開催します。

そして2000年にANARCHYJCYOUNG BERYNAUGHTYDJ AKIORUFF NECKを結成し、2002年には1000枚限定のシングル「BLACK JACK」をリリースし、即完売となりました。

MEMO
RUFF NECKという名前は「筋金入りのストリート育ち」という意味で、ANARCHYが後輩に付けた名前でしたが、「なんかカッコよすぎるから」という理由で、後輩から取り返し自分たちのクルー名にしたという経緯がある

ANARCHYのラップの特徴は逆境からの成り上がり

 

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ANARCHYはセカンドアルバム「Dream and Drama」までは自らのハードな生い立ちを赤裸々に綴り、ゲットーから抜け出すという逆境に立ち向かう楽曲がメインでした。

しかしサードアルバム「Diggin’ Anarchy」は、これまでのANARCHYのイメージやスタイルを自ら崩す「ANARCHYの10の顔を見せる」というコンセプトを掲げ、MUROトータルプロデュースのもとラブソングやスムーズなトラックでのチルチューンなど、アーティストとしての音楽性の幅広さを見せています。

メジャーデビューアルバム「NEW YANKEE」以降はパーティーチューンも増え、メジャー志向の強い楽曲が多くなっています。

ANARCHYのデビュー曲は「9 BLOCK」

2002年1月1日にシングル「GHETTO DAY’Z」をリリースしているANARCHY ですが自主制作のため、2005年12月21日にリリースされたシングル「Ghetto King」が正式なデビューシングルとなります。

シングル「Ghetto King」のA面に収録された「9 BLOCK」は、楽曲を通して「過酷な環境を跳ね除けて成功を掴む」というANARCHYの強い信念を感じられます。

過酷な環境、経験をそのままANARCHYの言葉で赤裸々に綴ったリリックは、オリジナルティ溢れるフローに乗って聴く者の魂を揺さぶります。

荒削りなサウンドも相まって鬼気迫る緊張感もあり、デビュー以降の快進撃を予言させる初期のクラシックと言えます。

MEMO
また「9 BLOCK」は、ANARCHYが育った「向島ニュータウン9街区」を指すスラング

ANARCHYの代表曲は「Fate」

2008年9月10日にリリースされたセカンドアルバム「Dream and Drama」の収録曲「Fate」は、ラッパー・ANARCHYの名前を確固たるものにしたクラシックです。

Ambrosiaの「Drink Of Water」を大胆にサンプリングしたトラックは多くのバトルでもビートとして使われていることでも有名です。

Fate=運命」というタイトルを掲げ「運命なんて蹴っ飛ばす」と宣言し、楽曲が幕を開けます。

貧乏な父子家庭、向島というハードな環境で育ったことに対し真っ向から立ち向かう力強いリリックは、日本語ラップという枠を超えて様々な人の心に届きました。

ANARCHYと言えばリリックや力強いフローに目が行きがちですが、韻もかなり固く、哀愁を感じさせるフックもANARCHY節のブルースであり、後世に語り継がれるべきクラシックと言えます。

MEMO
  • FateのMVはスペースシャワーTV VIDEO MUSIC AWARDS 09にて「BEST HIP HOP VIDEO」を受賞
  • ANARCHYの原点である向島ニュータウンにて、RUFF NECKを始めとする地元の仲間と共に撮影

ANARCHYの初期の名曲「Growth」

ANARCHYの初期の名曲である「Growth」は、ラッパー・ANARCHY、そして1人の人間・北岡健太を語る上で欠かせません。

Growth=生い立ち」という直球なタイトルですが、この楽曲のタイトルはANARCHYの母親が残してくれたフォトアルバムから取っています。

ANARCHY自身が「あの曲を作った時が、ラッパーANARCHYの誕生やった」と語っていることからも分かるように、この曲がいかにANARCHYにとって特別なものだったか分かります。

「きれいなこと、きたないことのすべてを歌うのがラッパーだ」というANARCHYの言葉通り、生い立ちをあまりにも生々しい言葉、フローで表現しており、まさに「4分間のANARCHYの自伝」とも言える楽曲です。

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ANARCHYの交友関係

 

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ANARCHYのマブダチ
  1. TOKONA-Xを始めとするM.O.S.A.D.のメンバー
  2. AK-69
  3. OZROSAURUSMACCHO
  4. 般若
  5. SANDMAKOTO

R-RATED RECORDSのボスであり、京都のフッドスターでもあるRYUZORUFF NECKのメンバーと熱い絆で結ばれています。

RYUZOとTOKONA-Xとの絆


ANARCHYがラッパーとして全国へ羽ばたくきっかけとなったのは、RYUZOTOKONA-Xとの出会が大きく影響しています。

RYUZOは京都で伝説的クルー・MAGUMA MC’sのMCとして活躍し、ANARCHYがボスと慕う人物です。

RYUZOとの出会いはANARCHYがまだ中学生の頃、RYUZOの主催するイベントに仲間と共に行きましたがANARCHYは年齢制限のために会場に入ることができず、ANARCHYRYUZOに「年齢制限で入れないから入れてほしい」と直談判したのがファーストコンタクトでした。

RYUZOANARCHYのことを「ストリートでヤバいやつがいる」と噂では聞いたことがあったそうですが、中学生ながらに入れ墨が入っているANARCHYを見て「俺のパーティーやし、何かあったら俺が責任取るから」とANARCHYを会場に入れました。

そこからANARCHYRYUZOの交流が始まりますが、RYUZOANARCHYをクルーに入れたり、プロデュースすることはありませんでした。

理由は「ANARCHYをアーティストとして扱うべきだ」と、RYUZOは考えていたからです。

しかしANARCHY自身も交流のあった、名古屋の伝説のラッパーであるTOKONA-XANARCHYのラッパーとしての可能性を誰よりも早く見出していました。

そのためことある事にTOKONA-XRYUZOに「何で(ANARCHYのプロデュースを)やらへんねん」「RYUZO君がやらへんのやったら、俺が(ANARCHYのプロデュースを)やるで」と言っていました。

またRYUZOTOKONA-Xと生前、最後に飲んだ日も、目を見て真剣に「RYUZO君がANARCHY(のプロデュースを)やらな、俺はリスペクトできん」とまで言いました。

TOKONA-Xからの熱いアドバイスもあり、ANARCHYRYUZOのレーベルであるR-RATED RECORDSの立ち上げに合流し、日本のヒップホップシーンを巻き込む快進撃を開始します。

ANARCHYと餓鬼レンジャーのYOSHIとの意外な関係

ANARCHY餓鬼レンジャーYOSHIというと、ANARCHYが京都なのに対し餓鬼レンジャーYOSHIは熊本で、年齢も離れており、更にはラップのスタイルも全くと言っていいほど違います。

普通に考えると「混じり合わないであろう2人」ですが、ANARCHYの楽曲「LOYALTY」で「餓鬼レンYOSHIから教わったラップ 15のガキにラップ教えてくれた」というリリックがあります。

意外に思う人も多いと思いますが、実は餓鬼レンジャーYOSHIANARCHYにラップを教えたことがあります。

それはANARCHYが15歳の頃、京都でのRHYMESTERのライブに餓鬼レンジャーMAGUMA MC’sがフロントアクトで出演、そのライブを最前列で見ていたのがANARCHYでした。

そのライブ後、YOSHIANARCHYに京都河原町のマクドナルドで五十音表を使い、韻の探し方や繋げ方を的確に教えました。

このエピソードに関してANARCHY自身は鮮明に覚えていたものの、餓鬼レンジャーYOSHIは全く覚えておらず、実は「LOYALTY」を聴いて知りました。

そして餓鬼レンジャーの楽曲「MAD BOMBER」でANARCHYで共演することとなり、レコーディングでYOSHIの方からANARCHYに確認し、答え合わせをしました。

餓鬼レンジャーポチョムキンは「LOYALTY」を聴き「YOSHI君の株が俺の中でグーンと上がった瞬間だった」と笑いながら語っています。

他のアーティストとのコラボ

 

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初期のANARCHYは自身が所属するクルー・RUFF NECKのメンバー、RYUZOLA BONOなどのR-RATED RECORDSのラッパー、交流のある名古屋のヒップホップシーンからはTOKONA-X擁するM.O.S.A.D.AK-69、横浜のOZROSAURUSと頻繁にコラボをしていました。

メジャーデビュー以降は、三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEELLYことCRAZY BOYm-floVERBALなどのメインストリームで活躍するラッパーに加え、KOHHT-PABLOWJIN DOGGなどコラボの幅が広がっています。

ジャンルを超えて、ハードコアバンド・SANDRIZEThe BONEZJESSEなどともコラボをしています。

また自主レーベル・ONEPERCENTを設立後は、ウィリーウォンカLeon Fanourakisといった所属する若手ラッパーとも積極的にコラボするスタンスをとっています。

ANARCHYの父親は超ロック

 

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ANARCHYを語る上で、父親の存在は欠かせません。

男手ひとつでANARCHYを育てた父親の北岡翔は、世間一般の父親像とはかなりかけ離れた父親でした。

父親は物事の全てを「ロックかロックじゃないか」を判断基準にし、生活は貧乏でもアメ車に乗り、家にもほとんど帰ってきませんでした。

ロカビリーバンドでボーカルを務め、アメリカンカルチャーにどっぷりハマる父親を見て育ったANARCHYは、父親から音楽面も男としての生き様も学びました。

ANARCHYが中学3年生の頃、急に瓦職人の仕事を辞め、刺青の彫師として修行を始めた」や、ANARCHYが決闘罪で逮捕された際には「日本で3回目やぞ、すごいなお前」と言いながら新聞の切り抜きを家に貼ったりと、破天荒なエピソードがたくさんあります。

ですがANARCHYが決闘罪で逮捕された後、ANARCHYに「安心した」「肩の荷が下りたし、ここから1年間はゆっくり寝れるわ」「おまえが暴走族やってるときなんか寝れへんかった」と本音を漏らしました。

豪快で破天荒、我が道を行く父親ですが、ANARCHYへの愛情は人一倍強いです。

ANARCHYの父
  • ANARCHYの父親は、京都府宇治市でアメリカンライブバー・Lucky’s Clubを経営
  • ロカビリーバンド、Lucky’s Club BandのLuckyとしてボーカルとギターを担当

ANARCHYの評価

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