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サイプレス上野(さいぷれすうえの)の年齢・身長・出身は?結婚相手は誰?プロフィールの完全まとめ

フリースタイルダンジョンの初代モンスター、進行でも知られる、日本語ラップシーン屈指のエンターテイナーサイプレス上野の生い立ちを紹介します。

サイプレス上野のプロフィール

 

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出生名上野恭輔(うえの きょうすけ)
アーティスト名サイプレス上野、LEGENDオブ伝説 a.k.a. サイプレス上野
年齢1980年8月9日(現在39歳)
身長175cm
血液型A型
出身地神奈川県横浜市戸塚区
事務所Melody Fair
レーベルEVIL LINE RECORDS
公式サイトhttp://www.sauetoroyoshi.com

サイプレス上野は1980年8月9日の現在39歳です。

本名は上野恭輔で、神奈川県横浜市戸塚区出身です。

1MC1DJのユニットサイプレス上野とロベルト吉野として以外にも、東京女子流中江友梨とのヒップホップユニットサ上と中江フリースタイルダンジョンで初代モンスター、進行への大抜擢など活動は多岐に渡ります。

またテレビやCM、ラジオ、映画などのメディア露出も多く、ヒップホップシーン屈指のエンターテイナーとしても活躍しています。

STEP.1
幼少時代~小学校時代

サイプレス上野は1980年8月9日に、神奈川県横浜市戸塚区の2002年に閉園した遊園地、横浜ドリームランドの付近にあるドリームハイツで生まれます。

STEP.2
中学校時代

中学校に進学すると、サイプレス上野は野球部に入部

STEP.3
高校時代

高校野球の名門、横浜高校に進学

STEP.4
大学時代

サイプレス上野は横浜高校を卒業後、神奈川大学に進学しています。

サイプレス上野の幼少期

幼少期の頃は横浜ドリームランドの影響で街が活気づいており、夏になるとフリーパスを購入し、毎日のように横浜ドリームランドに通う生活を送っていました。

兄弟には兄がおり、物心がつく頃から兄の影響でプロレスにハマり、学校の友達にプロレスを馬鹿にされると、技をかけて遊んだりもしていました。

スポーツに関しては野球も始めますが、スポーツ少年団などには入らず、友達たちと草野球をする程度でした。

サイプレス上野がストリートカルチャーに興味を持つのも小学校時代で、横浜ドリームランド周辺では空前のスケートブームが起きたこともありスケートを始めました。

また小学6年生の頃に見たバラエティ番組「元気が出るテレビ」内のコーナー「ダンス甲子園」で、バックで流れるヒップホップにも興味を持ちます。

MEMO
ロベルト吉野とは小学校で出会ったが、特別仲が良かったわけではない。バラエティ番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」に影響され、コントを作って家の森で披露したことかある 

サイプレス上野の中学校時代

部活で野球に明け暮れる一方、不良の溜まり場ともなっていた横浜ドリームランドの駐車場でスケボーをする中学校生活を送っていました。

不良のたまり場でスケボーはしていたものの「ヤンキーはダサいな」と思っており、サイプレス上野自身は周りに流されることなく、不良ではありませんでした。

野球やスケボーだけでなく、本格的にヒップホップを聴くようになり、中学3年生の頃にはラップを始めています。

サイプレス上野の高校時代

横浜高校に進学します。同級生は松坂大輔です。サイプレス上野の世代は「松坂世代」で、更に横浜高校野球部の黄金期と言われる世代です。

しかし、サイプレス上野は野球部ではなく、新入生部活勧誘会で騙される形で応援指導部に入部します。

そして伝説とも語り継がれている横浜高校の1998年の春・夏の甲子園の連覇を、サイプレス上野はスタンドで応援団長として経験します。

また高校に上がると当然、応援指導部での活動にも力を入れる一方、ラッパーとしても本格的に活動し始めます。

MEMO

野球部に入らなかった理由は「野球部はあまりにも強過ぎて、レギュラーどころか3年続けるのなんて絶対無理」と追われて諦めたから、松坂大輔とはたまにメールをする仲で、サイプレス上野の曲を聴き「すげーいいじゃん」とメールが来たこともあった。

サイプレス上野の大学は神奈川大学

横浜高校時代は松坂大輔フィーバーで、横浜高校中が大いに盛り上がっていました。

そんな松坂大輔率いる野球部を応援指導部の団長として応援したこともあり、先生たちがかなりいいことを書いて推薦してもらったことで、サイプレス上野は見事、神奈川大学に推薦入学を果たしました。

そして「なんとか」ではありますが、神奈川大学を卒業しています。

サイプレス上野は結婚している!奥さんは誰?


サイプレス上野は一般女性と結婚しており、2013年9月22日に結婚式を挙げています。

結婚式の様子やお祝いの言葉を、バニラビーンズりちゃこスチャダラパーANISOFFetGooFYOUR SONG IS GOODシライシコウジなど、各方面からツイートされていることからも、サイプレス上野の交友関係の広さが分かります。

相手の女性は一般人ということもあり、名前や年齢などは公表していません。

MEMO
結婚式は新郎新婦が船で登場するなど、サイプレス上野らしいエンターテインメント性溢れるものだった 

サイプレス上野が好きなファッションブランドは?


サイプレス上野は好きなファッションについて「おばちゃん達のお店で売っているような服と、友達がやっているブランドをうまく混ぜ合わせる」と語っています。

音楽のパフォーマンスもエンターテイメント性に溢れていますが、ファッションも一つのパフォーマンスと捉えているかの如く、独自のファッションセンスを発揮しています。

着用しているブランドについて、まず代名詞ともなっているLafayetteサイプレス上野のファッションを語る上で欠かせません。

Lafayetteは神奈川県藤沢市発のストリートブランドであり、サイプレス上野以外にもOZROSAURUSMACCHOCHICO CARLITO唾寄など、日本語ラップシーンを代表するファッションアイコンもこぞって着用していることでも有名です。

他にもLafayetteのフラッグシップであるPRIVILEGEサイプレス上野自身がプロデュースするRESORT LOVERBOYEEといったブランドも頻繁に着用しています。

サイプレス上野がラップをはじめたきっかけはキミドリ

サイプレス上野が小学6年生の頃に、スケボー雑誌に載っていたヒップホップユニットキミドリの紹介記事を見たことで、ヒップホップに本格的にのめり込みます。

それまでサザンオールスターズ小田和正といったJ-POPばかり聴いていたサイプレス上野にとって、キミドリの音楽は衝撃的でした。

当時サイプレス上野が好きだったスケボーやダンス、バスケットボールといったストリートカルチャーとの結び付きも感じたことも、ヒップホップにのめり込む大きな要因となりました。

また生まれ育った横浜ドリームランドが、活気のある夢の国からどんどんと廃れていく様子をリアルタイムで見ていたサイプレス上野にとって、ヒップホップの「何もないところから成り上がる」という部分に自らの環境を重ね、中学3年生の頃にラップを始めます。

初めは仲間たちとグループタイトルBを結成し、15歳の頃からライブ活動を始めます。

18歳の頃にタイトルBからドリームラップスに改名し、ライブ活動やデモテープの配布など精力的に活動します。

MEMO
ドリームラップスの音源はサイプレス上野の極少数のみ自宅生産という形でCD-Rで2009年8月10日、2曲加えて2017年7月25日にリリースしている 

デビューまでの道のり

2000年のサイプレス上野とロベルト吉野の結成以降、精力的にライブ活動を行う中で「なんか戸塚にヤバいやつがいるらしい」という噂が横浜のクラブシーンで広まっていきます。

狭いシーンではありましたが、にわかに音源リリースの期待が高まっていきます。

そしてサイプレス上野とロベルト吉野の結成から約4年、ようやく「いい加減音源作るか的な感じ」というサイプレス上野らしい理由ではありますが、2004年5月9日にサイプレス上野とロベルト吉野としてシングル「ヨコハマジョーカーEP」でデビューを果たします。

MEMO

「ヨコハマジョーカーEP」は少量しか市場に出まわることなく、早い段階で廃盤となった。2007年4月24日に再販されたが、それまでオークションでは1万円以上で取引されていた。

サイプレス上野のフローとリリックの特徴

サイプレス上野のラッパーとしての特徴は、とにかく「エンターテインメント性が高い」というところに尽きます。

それは幼少期からプロレスやお笑いに大きく影響を受けていることが理由に挙げられます。

ですがサイプレス上野が生粋のヒップホップヘッズであることは言うまでもなく、あくまでヒップホップマナーに則り、上手くプロレスやお笑いというバックグラウンドを楽曲やパフォーマンスに落とし込んでいます。

それこそがサイプレス上野がヒップホップを聴かない層にもヘッズに受け入れられる、最大の理由と言えます。

またリリックは基本的に親しみやすい言葉をチョイスしており、等身大ですんなり耳に入ってきます。

また音楽はヒップホップ以外にJ-POPの影響も大きく受けているため、メロディセンスも抜群です。

サイプレス上野のデビュー曲は「ヨコハマジョーカー」

デビューシングル「ヨコハマジョーカーEP」が市場に出回った枚数が極端に少ないあまり、再発されるまで幻の名曲とも言われていた収録曲「ヨコハマジョーカー」は、デビュー曲ながらサイプレス上野のラップスタイルをヒップホップシーンに強烈に印象付けた楽曲です。

DJ KAZZ-Kの哀愁感溢れるトラックの上で、サイプレス上野の等身大で飾らないリリック、ラップが映えます。

「混沌としたヒップホップシーンのジョーカー」と言わんばかりのスタイルはこの頃から現在で、サイプレス上野の内に秘めた熱い気持ちも伝わる初期の名曲です。

サイプレス上野の代表曲は「PRINCE OF YOKOHAMA」

サイプレス上野とロベルト吉野の代表曲と言えば、2009年1月21日にリリースされたセカンドアルバム「WONDER WHEEL」の収録曲「PRINCE OF YOKOHAMA」です。

フリースタイルダンジョンでも、サイプレス上野の登場曲としても使われていました。

サイプレス上野とロベルト吉野の人気を決定付けた名盤として名高いアルバム「WONDER WHEEL」の中でも屈指の人気を誇っている楽曲ですが、なんと言ってもヴァース、フック関わらず口ずさめるポップさを持っているところが最大の魅力です。

しかしいわゆる「セルアウト」な楽曲ではなく、しっかりヒップホップマナーを守り、ヒップホップ愛を感じさせる楽曲に仕上げているところはサイプレス上野らしいと言えます。

リリックも親しみやすい言葉が並びますが、内に秘めた野心や熱さを感じることもできます。

子供から大人まで、ヒップホップを知らない人も、もちろんヘッズまで楽しめる、エンターテインメント性溢れる名曲です。

MEMO
PRINCE OF YOKOHAMAには「PRINCE OF YOKOHAMA 2016」「PRINCE OF YOKOHAMA 2222」というアップグレードされたりミックスが存在し、リリースもされている 

フリースタイルダンジョンでの活躍!飲酒して苦言も?

 

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フリースタイルダンジョンの初代モンスターとして、サイプレス上野はこれまで記憶に残る名勝負、また持ち前のエンターテインメント性を発揮して数々の名場面を演出してきました。

しかし2017年2月14日に放送されたフリースタイルダンジョンの終了後、InstagramとTwitterでフリースタイルダンジョンに対する苦言を呟いたことで大きな注目を浴びました。

2017年2月14日放送のフリースタイルダンジョンサイプレス上野魅RIンがバトルをし、結果は魅RIンが勝利しました。

ですが恒例となっているバトル後の審査員のコメントがカットされていたことに対し「魅リんはいいラッパーだし負けたなら負けたし認めるけど」「なんでモンスターの話無いんだよ?みんな本音言っただろ?言わせたくないのか?審査員、解説した場所は?かませ犬じゃないんだよ」と、強烈な批判とも取れる苦言を発しました。

またフリースタイルダンジョン内での恒例のアーティストによるライブコーナーも、普段は90秒に編集された楽曲で披露するのに対し、同じモンスターのR-指定が所属するCreepy Nutsのライブでは楽曲「未来予想図」をフルで披露、放送されました。

これに対しても「いつも90秒縛りのライブがなんでクリーピーはフルなの?90秒でやるの大変なんだよ。出るラッパー舐めてんのか?いつも平等に一緒にやれよ、納得いかないね。クソ」と、待遇の違いについて強烈に批判しました。

一連の投稿にフォロワーはすぐに反応し、サイプレス上野は飲酒をしていることもあり、フォロワーに対し「死ね」と発言するなど、白熱したバトルへと発展してしまいます。

最終的に「なんか嫌な思いさせたみたいでごめんなさい」「死ねはないな。勢いとはいえごめん!」とサイプレス上野が謝罪したことで騒動は鎮火しますが、フリースタイルダンジョンの番組の在り方を問われる騒動となりました。

サイプレス上野とdodoのビーフ!黒幕は?

ビーフについては下記の記事で紹介しています。

dodo(どど)とサイプレス上野のビーフのまとめ

サイプレス上野と他のアーティストとのコラボ

サイプレス上野の活動スタイルの大きな特徴として、ヒップホップシーン内外問わず、様々なアーティストとコラボしていることが挙げられます。

神奈川県出身のOZROSAURUSNORIKIYOとは頻繁にコラボしており、最近ではSKY-HIとのコラボも話題となりました。

またヒップホップシーン以外では中江友梨東京女子流)との「サ上と中江」を始め、ももいろクローバーZベッド・インと言った、いい意味でヒップホップの概念を打ち壊すコラボをしています。

サイプレス上野の交友関係


コラボしているアーティストを見てもわかる通り、サイプレス上野は交友関係も非常に広いことでも知られています。

フリースタイルダンジョンの二代目モンスターでもあるFORKは、同じ横浜出身の先輩にあたりますが、サイプレス上野FORKのことを本名から「タカ君」と呼ぶほどの仲です。

また同じ横浜出身でOZROSAURUSMACCHOは頻繁にサイプレス上野のインスタグラムに登場しますし、相模原市出身のNORIKIYOは「キー君」と呼んでおり、旧知の仲と言われています。

他にもSKY-HIHIDADDYANIスチャダラパー)、MEXMANなども仲が良く、頻繁に遊んでいます。

MEMO
サイプレス上野はプロレス業界でも交友関係が広い 

サイプレス上野とロベルト吉野

お互いに小学校の頃から知ってはいたものの、サイプレス上野ロベルト吉野は一緒に遊んだりする関係ではありませんでした。

ですがお互いにスケボーなどのストリートカルチャーを通して距離を縮めていきますが、お互いが音楽を本格的に始めた高校生の頃は、同級生同士で別のグループを結成し活動を続けていました。

しかし年を重ねるにつれてどんどんとお互いのグループのメンバーはやめていき、「お前ヒマだろ?」「ヒマっすね」「じゃあDJやってくれ」「いいっすよ」という軽いノリで、2000年にサイプレス上野とロベルト吉野は結成されます。

「ヒップホップ ミーツallグッド何か」を座右の銘に掲げており、その一度見たら忘れられないライブパフォーマンスは圧巻です。

ロベルト吉野が体調不良により一時活動を休止するも、2014年10月26日には復帰しており、2018年11月28日にはアルバム「ドリーム銀座」で念願のメジャーデビューを果たし、勢いは留まることを知りません。

MEMO
いっぱいある中から適当に1枚とったレコードがCypress Hill(サイプレス・ヒル)だったことから、サイプレス上野というMCネームとなった。

LEGENDオブ伝説 a.k.a. サイプレス上野とは?


サイプレス上野は2009年から、日本語オンリーしかプレイしない世界最高峰の法人型KING OF J-POP DJ TEAM申し訳ナイタズに加入し、DJとしての活動も精力的に行っています。

申し訳ナイタズは代表取締役のミッツィー申し訳宇多丸申し訳Jr.ライムスター)、ギュウゾウ申し訳Jr.電撃ネットワーク)、GEE申し訳Jr.GTS)、掟ポルシェ申し訳Jr.ロマンポルシェ。)そしてLEGENDオブ伝説 a.k.a サイプレス上野申し訳Jr.を中心に14~48人で構成されています。

LEGENDオブ伝説 a.k.a サイプレス上野申し訳Jr.は、バレバレではありますが「覆面DJプロジェクト」です。

話題性が先行しがちですが、自らが影響を受けた日本語ラップ、J-POPをエンターテインメント性溢れる独自の選曲眼で、イベントでのプレイだけてなくMIX CDもかなり好評です。

しかしサイプレス上野とロベルト吉野としてメジャーデビューが決定したため、2017年7月21日にリリースされたMIX CD「OOpart of JAPANESE HIPHOP」のリリースを最後に、惜しまれつつも「伝説終焉」という形で活動を終えました。

MEMO
LEGENDオブ伝説 a.k.a. サイプレス上野のキャラクターは、昔から似ていると言われ続けている漫画「モンモンモン」の作者つの丸先生による書き下ろし 

サイプレス上野がバイク事故!

 

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サイプレス上野は2017年8月24日に、事故に遭ったことをインスタグラムで報告し、大きな話題となりました。

「自分の不注意でバイク転倒してしまい」と報告していますが、命に別状はなかったものの、鎖骨を骨折し全治1か月の大けがでした。

事故を起こした場所は神奈川県藤沢市で、事故を起こしてすぐは身体は痛くなかったため、バイクのエンジンをかけて帰ろうとしました。

ですがバイクも身体も動かないことに気付き、タクシーで病院まで行きましたが消毒しかしてもらえず、1件目の病院で救急車を呼び、別の病院に行って治療となりました。

事故後ですが、8月23日に放送されたネット配信番組「ライムスター宇多丸の水曜The NIGHT」は欠席したものの、8月24日にはラジオ番組「たまむすび」では早くも復帰し、痛々しいながらも元気な姿を見せました。

サイプレス上野の評価

画像の出典元は全て本人のInstagramまたはTwitter

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