宇多丸は、日本のヒップホップ界最高峰クルー「RHYMESTER」のメンバーです。
1990年代ヒップホップ黎明期から活動をしていて、現在もメジャーで活躍しています。
デビューから30年が経過した今も、新曲をリリースしたりコラボをしたりと精力的に活動しています。
ラジオ番組のパーソナリティを務めたり、あらゆる方面からヒップホップ業界を牽引し続けています。
楽曲はバトルビートにも度々使用され、ヒップホップを知らない層にも名が通る有名ラッパーです。
目次
宇多丸のプロフィール
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出生名 | 佐々木士郎(ささき しろう) |
アーティスト名 | 宇多丸(うたまる) |
年齢 | 1969年5月22日(現在54歳) |
身長 | 180cm |
血液型 | B型 |
出身地 | 東京都港区 |
事務所 | スタープレイヤーズ |
レーベル | starplayers Records |
公式サイト | https://www.rhymester.jp |
父親は精神科医の石川信義で、裕福な家庭で育つ
架空の弟ソウスケを作って母親を泣かす。
文化祭で立花ハジメの音楽に合わせてPV制作
J-POPやアイドルソングなど幅広い音楽に触れ、ブラックミュージックと出会う
ヒップホップと出会い、いとうせいこうや佐野元春を聞き始める
中高の同級生だったDr.LOOPERと学園祭で、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」を披露
父親は精神科医の石川信義で、ディスコが併設された完全開放病棟を作るなど風変りな父親です。
宇多丸は父親のことを「破天荒で漫画の主人公のような人。周りに人が集まるスーパースター体質」と語っていて、尊敬の念を示しています。
幼少期は東京ドーム周辺に住んでいて、裕福な家庭で育ちます。
父は多忙で不在が多く、週1回家族の食事会が開催されていました。
中高時代にヒップホップに出会い、大学入学後にヒップホップ活動を開始しました。
活動開始から30年以上が経過した現在でも、積極的にヒップホップ活動をしています。
宇多丸の学歴
宇多丸は中高一貫の男子校巣鴨中高等学校を経て、早稲田大学法学部を卒業しています。
中学受験のために小学4年生から塾へ通っていて、頭がいいです。
宇多丸がスキンヘッドにしている理由
若いころ漫画「AKIRA」の鉄雄のように整髪料をたっぷりつけて髪を立てていたら、ハゲてしまいやむを得ずスキンヘッドにしました。
見た目が地味という理由からサングラスを着用し、スキンヘッドとサングラスのトレードマークが完成しました。
宇多丸は結婚している
宇多丸は2010年に一般女性と結婚しています。
プライベートは切り売りしない宇多丸の方針から、嫁や子どもの情報は非公開です。
一時期離婚疑惑が浮上しましたが、宇多丸は離婚騒動を否定しています。
夫婦なのでアップダウンはありつつも、仲良く続いていると語っています。
宇多丸の好きな食べ物は「カレーライスと鍋焼きうどん」
宇多丸の好きな食べ物は、カレーライスと鍋焼きうどんです。
とくにカレーライスはマニアで「音楽はカレーで、カレーは音楽だ」と語っています。
おすすめのカレー店は、デリー上野のカシミールカレーです。
宇多丸の趣味
宇多丸の趣味は映画鑑賞、モデルガン収集、ゲームです。
映画鑑賞
小学生のころから映画が趣味で、現在は映画評論家としての顔も持っています。
暇さえあれば1人で映画館に行き、映画館をハシゴします。
好きな映画は「スーパーマン」で、フィギュアやTシャツなどのグッズも所持しています。
エアガン収集
エアガンをコレクションしています。
実際に打ったりすることよりも、エアガンの見た目などを楽しんでいます。
ラジオ番組で共演しているアナウンサーに、エアガンをプレゼントしたこともあります。
ゲーム
宇多丸はゲームのラジオ番組を持つほど、ゲームが好きです。
大人になってから自分でプレイステーションなどを購入して、ゲームにハマっていきます。
日本のゲームだけでなく、海外のゲームやボードゲームもしています。
宇多丸の入院原因は「大腸憩室炎」
宇多丸は2019年4月と12月に大腸憩室炎で二度手術を受け、入院しています。
4月のときはRHYMESTER47都道府県 ツアーの真っ只中で、病気の影響で埼玉公演が中止になりました。
- 2010年喉のポリープ除去手術を受け、しばらく筆談で仕事をしていた。
- 通風持ちで、薬を服用している。
宇多丸のラジオ
- アフター6ジャンクション(平日18:00~21:00)
- ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル(土曜日22:00~24:00)
- ライムスター宇多丸とマイゲーム・マイライフ(木曜日21:00~21:30)
宇多丸がラッパーだと知らずにラジオ番組を聴いている人もいて、宇多丸のラジオ番組を経てヒップホップを知る人も多数います。
2009年には第46回ギャラクシー賞「DJパーソナリティ賞」を受賞しました。
宇多丸のラップスタイル
【謹賀新年】新年あけましておめでとうございます。
旧年中はライムスターを応援してくださり、誠にありがとうございました。47都道府県津々浦々で、皆様からいただいた声援は一同の宝物です。31年目からも、気持ちを新たに努めます。今年もよろしくお願いいたします。 #R31https://t.co/nAvNWdmqBH pic.twitter.com/UC7ACTJoRM— RHYMESTER OFFICIAL (@_RHYMESTER_) December 31, 2019
- 言いたいことはいうが、攻撃的すぎない
- トラックに合わせたフロウ
宇多丸のラップの特徴は、自分の意見はしっかり主張しつつも攻撃的すぎません。
トラックに合わせたフロウも特徴で、ポップよりに聞こえるけれどヒップホップをしています。
ライムに偏りすぎるとフロウが疎かになり、フロウに偏りすぎると内容が薄くなってしまいます。
どちらかに偏りすぎず、全てのバランスが程よいのが宇多丸の特徴です。
1990年代前半は日本語ラップがまだ確立していなく、誰もが手探りだったなかリズミカルなライムとフロウの両立を確立しました。
黎明期にリズミカルな手法を生み出したことは当時の日本語ラップ界に衝撃を与え、宇多丸の手法を見本にするラッパーも現れるほどでした。
宇多丸30年の歴史
サイプレス上野(サ上)は毎月宇多丸に手紙を送るなど、多くのラッパーに影響を与えた。
「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」の放送がスタート。
「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」の放送がスタート。
宇多丸がラップをはじめたきっかけ
宇多丸がラップをはじめたきっかけは、成り行きと語っています。
日本語ラップ黎明期に、いとうせいこうや佐野元春などを聞いてヒップホップに出会います。
様々なジャンルの音楽を聞いていた宇多丸は、それまでの音楽とは異なるヒップホップに虜になります。
もしヒップホップでなければ、音楽活動はしていなかったと語るほどヒップホップに魅了されていました。
宇多丸はギャラクシー出身
宇多丸は「早稲田大学ソウルミュージック研究会GALAXY」」出身です。
高校時代にブラックミュージックが好きになり、詳しくなれるサークルに入会しようと思ったことがきっかけで入会します。
ギャラクシーでMummy-DやDJ JINと出会いRHYMESTERを結成し、日本語でラップをする方法を模索し始めます。
宇多丸と般若のビーフ
宇多丸は過去、般若にディスられています。
事の発端は般若も出演している品川祐の映画「Zアイランド」を、宇多丸が番組で取り上げなかったことに般若が怒ったことから始まります。
般若はブログを自身のサイトにてラップで公開していて、そのブログにて宇多丸ディスを公開します。
映画マニア?偉えの?Zアイランド見てねえの?
じゃあマニアじゃねーじゃん
っつーか その髪型ねえじゃん
曲にすんのもダリーぶっちゃけRHYMESTERさみー
宇多丸は般若にリスペクトを送りつつも、アンサーを返します。
宇多丸
本当マジで困ったちゃんの根っからのかまってちゃん
そのアンサーに対し、般若が謝罪をし和解しました。
宇多丸と仲のいいラッパー
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宇多丸は人のことを否定することがなく、誰に対しても尊重とリスペクトを送っています。
ラッパー同士は敵対することが多いですが、宇多丸は基本的に誰とでも仲がよくコラボ曲も数多くリリースしています。
そのなかでもとくに仲がいいのは、大学時代の同級生で同じRHYMESTERのメンバーでもあるMummy-Dです。
リズミカルなフロウとライムを生み出すために、宇多丸はMummy-Dにライムを指摘されたこともありました。
ヒップホップ黎明期に自分たちのラップスタイルを確立させるために共に歩み、結成から30年経った現在も2人は最先端を走り続けています。
2人の絆がなければ成し遂げられなかった数々の偉業を2人で作り上げてきました。
