MACCHO(マッチョ)は、神奈川県横浜市出身のラッパーです。
多くのラッパーにリスペクトと影響を与えた、レジェンドラップクルーのOZROSAURUS(オジロザウルス)のリーダーとして活躍しています。
日本語ラップ黎明期の90年代から現在に至るまで、常に最前線で活躍を続けているラッパーです。
数々の客演や精力的なライブ活動に音源リリースなど、フレッシュさを失わないHIP HOP至上主義なスタンスもリスペクトを集めているMACCHOのプロフィールをまとめました。
目次
MACCHOのプロフィール
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出生名 | 鈴木麻超(すずき まさあき) |
アーティスト名 | MACCHO(マッチョ) |
年齢 | 1978年4月8日(現在45歳) |
身長 | 168cm |
血液型 | A型 |
出身地 | 横浜市磯子区 |
事務所 | – |
レーベル | – |
公式サイト | https://ozrosaurus.amebaownd.com |
ブログ | https://ameblo.jp/ozrosaurus-blog |
横浜市南区六ツ川に引っ越す。
TV出演や雑誌で取り上げられるほど、すでにラッパーとして注目を集める。
MACCHO(マッチョ)は、神奈川県横浜市磯子区で生まれました。
その後、横浜市南区六ツ川に引っ越し、以降横浜を拠点に活動を続けているラッパーです。
彼がラップを始めたのは、14歳の時にkayzabroと出会い、彼にラップをやるよう勧められたのがきっかけでした。
kayzabroが所属していたラップクルーDS445(ディーエスフォーダブルファイブ)に所属し、本格的にラップ活動を始めます。
激レアな動画を発掘しました❗️❗️
この動画についてはまったく詳しくないので、詳しく解説出来る方いましたらリプライください。
高校生の頃のMACCHOです❗️❗️ pic.twitter.com/Z8glu7p9aZ— さくま/死んじゃうまで楽しんじゃう (@sakuma_friends) March 8, 2020
高校時代にはすでにTV出演を果たし、大物の風格を披露しています。
1995年にはMC MACCHO名義で「Club WILD.B」というコンピレーションアルバムに参加しています。
1996年、DJ TOMOとラップクルーOZROSAURUS(オジロザウルス)を結成します。
ミニアルバム「ライム・ダーツ」のリリースを経て、2001年に発表したフルアルバム「ROLLIN’045」は、8万枚を超えるロングヒットを記録します。
2003年にはセカンドアルバム「JUICE」をリリースしましたが、MACCHOが交通事故で瀕死の重傷を負いますが奇跡的に生還するという事件がありました。
2004年には盟友DJ TOMOのOZROSAURUS脱退や、2007年には表現を巡るレーベルとの対立などのトラブルもありました。
しかし彼は常に己のHIP HOPと対峙し続け、OZROSAURUSを新たにバンド形態で活動を始めるなど、現在も精力的にHIP HOPの最前線に立ち続けている伝説のラッパーです。
MACCHOは結婚している?
MACCHOは結婚しているのでしょうか。
彼は今までメディアに対し、彼女や結婚などについては一切公表していません。
目撃情報なども少なく、ネット上の噂だけにとどまっています。
しかし、インタビューやライブ等で左手の薬指に指輪をはめているのを度々確認できていることから、結婚している可能性は十分に考えられます。
ネット上で彼の結婚について調べていると、奥様は一般人で、とても綺麗な方だというコメントもあります。
MACCHOはハーフ?
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MACCHOは日本人離れした顔の彫の深さや、がっしりと体格から「ハーフではないか」という噂があります。
しかしMACCHO自身が日本人の両親から生まれたことを公言しているため、ハーフではありません。
生まれも育ちも神奈川県、両親ともに日本人という純粋な日本人です。
MACCHOの愛用ファッションブランド
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MACCHOのファッションスタイルは、デビュー当時はいわゆるウェッサイ、ローライダーファッションが特徴でした。
徐々にサイジングもスリムなストリートファッションに移行しています。
また、横浜発のブランドであるLafayette、ALLY&DIA、NINE RULAZを愛用していて、音楽だけでなくファッションでも横浜をレペゼンする姿勢を見せています。
MACCHOがプロデュースしているブランド
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- ASSASSYN JEANZ
- VANTAGE
- Mitchell&Ness
- 横浜ベイスターズ
MACCHO自身もアパレルブランドのコラボに数多く携わっています。
ローライダースタイル好きにも人気が高いASSASSYN JEANZは、彼をプレゼンターにスタートしたウエストコーストスタイルと横浜テイストをMIXしたHIP HOPブランドです。
他にもMACCHO自身が影響を受けたカルチャーを反映させたVANTAGEといったブランドのプロデュース、Mitchell&Ness、横浜ベイスターズとのコラボアイテムもリリースしています。
MACCHOのタトゥー
- 右腕・・行く我が道
- 左腕・・神のみ知る
MACCHOの両腕には、彼のシンボルともいえるタトゥーが刻まれています。
右腕には「行く我道」、左腕には「神のみ知る」という文字のタトゥーが入っています。
このタトゥーは、彼がプロデュースしているブランド、VANTAGEのデザインとしても使用されたことがあります。
この2つの言葉が彫られている真意についてMACCHO自身が明言したことはありませんが、寡黙な彼の強い意志を感じることができます。
MACCHOがバイクで事故!生死を彷徨い奇跡の生還
ちなみに僕にはOZROSAURUSのMACCHOさんが交通事故にあったときに2ちゃんねるの嘘を嘘と見抜けずに周りに知ったかでいろいろ話してしまったという、苦い恥ずかしい思い出があります。
— Fenomenon (@foehn_fenomena) October 1, 2014
MACCHOは2003年に、バイクで事故を起こしていました。
かなり大きな事故で、事故直後は死亡説などの噂も囁かれるほどでした。
一時は生死を彷徨いましたが、彼は見事に奇跡の生還を果たしています。
完治していないにも関わらず杖をついてライブをするなどそのストイックな姿勢は多くのファンの心を熱くさせました。
MACCHO
事故を経験し、さらに音楽に対してストイックになっていったと話しています。
MACCHOのラップスタイル
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OZROSAURUSの楽曲は、アメリカ西海岸のローライダースタイル、いわゆるウェッサイサウンドが特徴的です。
初期はDS455直系と言える、ウェッサイのラグジュアリーなサウンドを昇華させた楽曲が多くありましたが、サードアルバム「Rhyme&Blues」以降はウェッサイサウンドは薄れ、無骨なビートの楽曲が増えています。
サンプリングに生楽器を加えたいわゆるG-Funkを日本のラップシーンで昇華させた第一人者とも言えます。
またリリックにおけるパンチラインの多さは、彼の最大の魅力です。
MACCHO
リリックの中身は自分の分身
どの口が、何言うかが肝心
MACCHO
俺なりの言葉しかホンモノのやつは認めねえだろ
だって宇宙で俺は俺だけだしな
また横浜の市外局番である「045」を前面に押し出していて、のちに「045スタイル」と呼ばれるスタイルを確立しています。
MACCHOがラップをはじめたきっかけ
MACCHOは当時としてはかなり珍しく、14歳の時にラップを始めています。
DS455メンバーのkayzabroが経営する服屋に頻繁に遊びに行っていて、そこで彼からラップをやるようにすすめられたのがきっかけで本格的にラッパーの道へ進みました。
高校生の頃にはすでにラッパーとして頭角を現し、MC MACCHOとしてTV出演を果たしています。
ラップを始めた頃はウェッサイサウンドに大きく影響を受け、MACCHOの代名詞であるダミ声ではなくナチュラルな声でのラップでした。
MACCHOとTOKONA-Xの関係
MACCHOと名古屋の伝説的ラッパーTOKONA-Xは、実は運命的な関係にあります。
MACCHOとTOKONA-Xは同じ1987年生まれの同い年ということに加え、実は2人とも南区六ツ川育ちでもあります。
TOKONA-Xは小学校卒業まで南区六ツ川で生活をしていて、MACCHOとは隣町という近い距離にいました。
MACCHOは隣町に本名の竜一から「リュウ」と呼ばれるTOKONA-Xの存在を知っていて、お互いにラッパーとして活動するようになり再会、そしてマイメンと呼べる関係へとなります。
2人の幼少期についてはTOKONA-Xのクラシック「Where’s my hood at? feat. MACCHO」で語っています。
MACCHO
13 14の頃から知ってたその名
南区六ッ川 横浜の街でもな
この町の出だ あの
尾張名古屋のBIG若旦那
懐かしさよりもいっつもファンだ
何処か濱の匂いがしたんだ
若くして伝説となり亡くなってしまったTOKONA-Xと、今でも生けるレジェンドとして日本語ラップ界に君臨し続けるMACCHOの間には、リスペクトという言葉では語り切れない絆があります。

OZROSAURUS(オジロザウルス)とは?
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- MACCHO(MC)
- DJ SN-Z(DJ)
- 武史(ベース)
- Bunta(ドラムス)
- YD(ギター)
- GUNHEAD(トラックメイカー)
- DJ TOMO(元メンバー・DJ)
OZROSAURUSは、1996年にMACCHOとDJ TOMOの2人で結成されました。
DJ TOMOがバイトしていたレコード屋に、MACCHOが遊びに行っていたことがきっかけで意気投合し、誕生したクルーです。
結成翌年にはミニアルバム「ライム・ダーツ」を発表し、メジャーデビューを果たしています。
OZROSAURUSという名前は、オセロ、おじろ鷲という意味の「OZRO」に様々な単語を組み合わせた造語「SAURUS」を足したことに由来します。
MACCHO
2004年には方向性の違いによってDJ TOMOが脱退してしまいましたが、2011年にDJ SN-ZがMACCHOの専属DJを経て正式加入します。
2015年にはベースの武史(山嵐)・ドラムスのBunta(TOTALFAT)・ギターのYD(Crystal Lake)・トラックメーカーのGUNHEAD(HABANERO POSSE)が加入し、新生OZROSAURUSとして現在も精力的に活動しています。
MACCHOの初レコーディング曲は「Nanatsuki」
MACCHOのデビュー曲は、1995年11月にリリースされたコンピレーション「CLUB WILD.B」に収録された「Nanatsuki」です。
まだOZROSAURUS結成前のMACCHOが若干17歳の頃にレコーディングされた楽曲です。
この曲はアルバムの最後を飾っていて、当時からの彼のラッパーとしての天性の才能が伺えます。
ラップトピックも「失恋」についてスピットしていて、OZROSAURUSではなかなか聴けないラブソングとなっています。
MACCHO(OZROSAURUS)のおすすめ楽曲【厳選3選】
- AREA AREA
- The Phoenix ( will rise )
- 曼陀羅
MACCHO率いるOZROSAURUSは、2021年現在8枚のアルバム・6枚のシングルを発表しています。
1996年にOZROSAURUSを結成して以来、多くのラッパーの憧れとして存在し、自らもHIP HOPの最前線に君臨し続けています。
そんな彼のおすすめ楽曲3曲を紹介します。
OZROSAURUS / AREA AREA
2000年11月にリリースされたシングルです。
この曲はOZROSAURUSの代表曲であり、日本のHIP HOPシーンのクラシックです。
様々なバトルでビートとしても使われているDJ PMXのトラックに、MACCHOの力強いラップが乗ります。
ちなみにこの曲は、もともとOZROSAURUS用ではなくDS455用のトラックだったという逸話も残っています。
MACCHO
ここからそこ エリアからエリア
そこからここ エリアからエリア
内から外 エリアからエリア
外から内 エリアからエリア
OZROSAURUS / The Phoenix ( will rise )
2005年にリリースされたシングルです。
その数年前、彼は交通事故に遭い生死をさまよっていました。
この曲のタイトル通り、「Phoenix=不死鳥」のように復活した彼の新しい想いを感じることができる曲です。
MACCHO
一度 死にかけたフェニックス Smokin’ Phillies
首に2Faceのヘッド Yellow White Red
ぶら下げて腕に光る Rolex時計
唸るBasslineとBeatzとRhymeに
魂 込めて吐き出した Blues
OZROSAURUS / 曼陀羅
2015年に発表された、精鋭ミュージシャンを新メンバーに迎え入れ、新生OZROSAURUSとして発表された第一弾の楽曲です。
HIP HOP界の重鎮が放つ最新鋭のミクスチャーサウンドは、ファンに大きな衝撃を与えました。
新しいことに挑戦しながらも、想いはブレていないMACCHOのカッコよさを再認識できる曲です。
MACCHO
精神と時の部屋
呼吸はアブノーマル
イメージを殺すな
新天地は孤独だ
理解者には届くさ

MACCHOとKREVAのビーフまとめ
2006年に勃発した、MACCHOとKREVAとのビーフはコアなヘッズの中で伝説となっています。
発端は「Disrespect 4 U feat. ZEEBRA」で、MACCHOがKREVAをDisしたことです。
MACCHO
ガキだまくらかす くそエリート
サビの唄のメロでへたれヒット
おりこうさんだが ナルシスト
それがあだで迷い込んだHip Hop
だがそれまでにしろおめーのラップごっこ
ここじゃ通用しねえおめーの学力も
特筆すべきは、特に2人ともお互いの名指しをすることなくラップのリリックのみでビーフが巻き起こったことです。
そのため一般的にはビーフが起きていることに気付かなかったファンも数多くいました。
この2人のビーフについては、下記の記事で詳しくまとめています。
とKREVAのビーフ.png?strip=all&lossy=0&quality=90&webp=90&resize=160%2C160&ssl=1)
ラップクルーDS455とは?
- Kayzabro(MC)
- DJ PMX(DJ)
DS455(ディーエスフォーダブルファイブ)は、KayzabroとDJ PMXによって1989年に結成された、日本におけるアメリカ西海岸のカルチャーに影響を受けたウェッサイのパイオニア的存在です。
クルー名の「455」は、Kayzabroの地元である横浜市鶴見区の電話番号が「045-5」となっていることから名づけられました。
MACCHOもDS455には多大な影響を受けていて、ラップを始めた14歳の頃から数年間在籍し、脱退以降も頻繁に客演で共演しています。
また、服屋を経営しているKayzabroは、MACCHOがプロデュースしたファッションブランド、ASSASSYN JEANSにも関わっています。
音楽面のみならず、「横浜をレペゼンする」というスタイルも共通していて、MACCHOを語る上で欠かせない存在です。
MACCHOと仲の良いラッパー
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MACCHOは多くの硬派なラッパーとの交友があります。
NORIKIYOは同じ神奈川県をレペゼンするラッパーで、MACCHOをリスペクトしているとともに、楽曲で共演もしています。
日本語ラップシーンを牽引してきた2人の強い想いを感じ取れる楽曲です。
ラッパーの人で最初に自分と話してくれたのはMACCHO君とマイクアキラさんだった そのあとIQさんだった 何年たっても俺は忘れない
— SEEDA (@neetseeda) March 12, 2014
SEEDAとは、彼がラップキャリアをスタートさせた時からの良き先輩であり友人でした。
また、ZORNといった若いラッパーとの交流もあります。
2019年に発表された葛飾区と横浜市をレペゼンする2人の楽曲「Rep feat. MACCHO」は多くのヘッズの間で話題となり、iTunesシングル総合チャート1位を獲りました。
MACCHOのラッパーへの敬愛の姿勢が、多くのラッパーに愛されている理由だということがわかります。
般若
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MACCHOのマイメンは、東京を代表するラッパー般若です。
MACCHOと般若はお互い1978年生まれの同級生で、お互いにリスペクトを公言するマイメンでありライバルでもあります。
また、般若の奥さんでありシンガーのSAYとは、お互いDS445のメンバーだったこともあり、家族ぐるみで仲が良いことが知られています。
MACCHO,NORIKIYO,般若&DABOの「BEATS&RHYME」や般若の「ジレンマ feat. MACCHO」を始め、数々の楽曲での共演やSNSでも仲の良い姿が度々アップされています。
お互いに「孤高の存在」と評されるラッパーですが、黎明期から日本語ラップを作り上げてきた中での固い絆があります。
