日本のHIP HOPの歴史上最高のMCという呼び声が高いTOKONA-X(トコナエックス)の生い立ちについて詳しくまとめました。
TOKONA-Xは 1978年10月20日に生まれ、2004年11月22日に亡くなった日本のレジェンドラッパーです。
さんピンCAMPを契機に有名になり、M.O.S.A.D.とILLMARIACHI、ソロの3つの方面で活躍してきました。
地元の名古屋を中心にHIP HOPシーンを盛り上げ、名盤「トウカイ×テイオー」を中心とした楽曲群で人気を博しました。
亡くなった後もHIP HOPアーティストからリスペクトされ、日本のHIP HOPシーンを語る上で欠かせない存在として君臨しています。
目次
TOKONA-X(トコナエックス)のプロフィール
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出生名 | 古川竜一 |
アーティスト名 | TOKONA-X(トコナエックス) |
年齢 | 1978年10月20日 2004年11月22日逝去(当時26歳) |
身長 | 181cm |
血液型 | |
出身地 | 神奈川県横浜市生まれ 愛知県常滑市育ち |
事務所 | |
レーベル | Def Jam Japan |
公式サイト |
中学時代は「横浜から来た」という理由で、仲間はずれにされ孤独でした。
しかし、体格が良く、負けず嫌いだったことから徐々に仲間を増やしていきます。
私立高校に進学し、退学
偶然立ち寄ったレコード店でHIP HOPに出会う
刃頭(BEATKICKS)に入ったオファーを経由してさんピンCAMPの前座出演を果たし波に乗る
TOKONA-Xの生い立ち
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TOKONA-Xは1978年10月20日に神奈川県横浜市で生まれました。
両親はそれぞれ問題を抱え、中学に入学する前になった頃、母親が薬物に手を出して捕まってしまい、愛知県の常滑市に引っ越します。
愛知ではあまり馴染めず、腕に物を言わせて仲間を作り、その後高校への入学を決めましたが、途中で退学してしまいました。
そんな中で出会ったのがHIP HOPでした。
ラップを練習し、HIP HOPを聴きこんでいたところ(M.O.S.結成もこの頃)に「名古屋で刃頭が新たなレーベル音韻王者 REC.を設立した」という情報を聞き、デモテープを送ります。
転機となったのは、歴史的なイベント「さんピンCAMP」の出演オファーです。
BEATKICKS(刃頭とツイギーによるグループ)が参加するはずでしたが、相方のツイギーが不在となり、代役として選ばれたのがTOKONA-Xでした。
そうして結成されたのがILLMARIACHIです。
さんピンCAMPの前座での圧倒的なパフォーマンスを披露し、ラッパーとしての道が切り開かれました。
「生まれも育ちも横浜だ 親父は根っからの女好き 気いもんだ おかあは若い時やめたはずのネタ食ってぶり返し パクラれちゃ世話ねぇ 兄貴ゃさじ投げ つれてった先は在所常滑(とこなめ) その後2年か、3年か おかあみたい もしが言えん理由で死んだか?」
TOKONA-XのMCネームの意味
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MCネームであるTOKONA-Xは幼少期を過ごした愛知県”常滑市(とこなめし)”が由来していて、「トコナメ→TOKONA-メ→TOKONA-X」と文字表記を変換して作られています。
そのため、他のMCやDJ、ファンの間ではTOKONA-Xのことをトコナメと呼ぶ人も少なくありません。
また、別称としてT-Xというのもありますが、これは呼称というよりも表記されるときに使われることが多い傾向にあります。
TOKONA-Xの彼女は矢口真里だった?
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TOKONA-Xは結婚し、子供にも恵まれていた中で早すぎる死を遂げましたが、嫁となった女性を含め、これまで2人の女性関係が発覚・噂されています。
そのTOKONA-Xの嫁以外の女性で関係性がうわさされたのが芸能人の矢口真里でした。
このうわさが出てきたきっかけは実話ナックルズというゴシップ誌の記事からでした。
- 矢口真里がクラブDJの彼氏(ラッパーX)を寝取った
- ラッパーXと矢口真里が口論になったという目撃証言
- その後ラッパーXが不良のようなグループに囲まれ薬物を強要させられ死亡
ラッパーでXと付くのはTOKONA-Xくらいで、大まかな死亡時期が合致していることや熱中症による死はあの若さでは考えにくいなどの理由から「ラッパーX=TOKONA-X=矢口真里の元カレ」と認識されることも少なくありませんでした。
しかし、一方でTOKONA-Xではないのではないかという意見も多く、現在の世論としてはTOKONA-Xではないという意見が多いです。
- TOKONA-Xがトランスパーティーに行くこと自体考えにくい
- 死亡時期が雑誌では2014年12月だが公式では11月だから
- 矢口真里が交際相手ならばもっと他の雑誌でも取り上げられているはず
TOKONA-Xの愛車はハマー2(H2)
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TOKONA-Xが所有していた車の中でも有名なのがH2です。
前々から欲しかったことを明かしていて、Def Jam Japanと契約を結んだ際に入ったお金でハマーを購入しました。
楽曲「H2」はタイトルがハマーの車種名であるとともに、楽曲内でもハマーについて語られていて、TOKONA-Xのハマーに対する愛が垣間見える作品となっています。

TOKONA-Xの娘
https://www.excite.co.jp/news/article/Techinsight_20170822_416233/
TOKONA-Xは1998年に嫁(真美子)と結婚し、2000年には娘(小町)が生まれ、3人の家庭を築いていました。
娘が4歳頃の時には、2ショットが雑誌に掲載されたりなど、幸せな家庭環境を築いていることが伺えます。
2017年8月20日にANARCHYが出演したNAMIMONOGATARI 2017の会場に訪れていたTOKONA-Xの娘との2ショットをInstagramにアップし話題になりました。
TOKONA-XのマブダチはDJ RYOW
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TOKONA-Xの交友関係は主にM.O.S.A.D.のメンバーやDJ RYOWといった身近な関係性を濃く持っていました。
特に東京への敵対心があったことや名古屋HIP HOPシーンの殺伐とした雰囲気が相まっていたのが起因して、外への交友関係はそれほど密なものではありませんでした。
そんな中でも関係性を持っていたことで有名なのがAK-69(愛知県出身)で、TOKONA-Xのシングル「Let Me Know Ya」の客演として呼ばれ、AK-69にとって初めてのメジャー作品となったことに感謝しているという感慨深いエピソードも明らかになっています。
- AK-69
- ANARCHY(アナーキー)
- AKIRA (M.O.S.A.D.)
- ANTY the 紅乃壱
- EQUAL (M.O.S.A.D.)
- MACCHO(OZROSAURUS)
- Mr .OZ(ミスターオージー)
- DABO
- 般若
TOKONA-XとDJ RYOW
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TOKONA-Xは様々な人からリスペクトされている存在ですが、中でも印象的なのがDJ RYOWです。
TOKONA-Xと初めて出会ったのはILLMARIACHIのライブに行ったときでした。
その頃はまだDJとしての活動はしていなかったものの、徐々に活動を展開していき、名古屋のHIP HOPクルーBALLERSの一員として関わるようになりました。
TOKONA-Xの没後も「BEST OF TOKONA-X mixed by DJ RYOW」や「NEW X CLASSIC」などの楽曲制作においてリスペクトの念を感じさせ、空いた時間にはお墓参りにも行くほどTOKONA-Xを慕っています。
また、過去には
と述べているところから、日本のHIP HOPの歴史で見ても非常に重要な存在であると認識していることが伺えます。

デビュー後からTOKONA-Xの最期まで
TOKONA-Xのデビュー後
さんピンCAMPでの活躍を契機にILLMARIACHIとして初の楽曲「荒療治 / TOKONAIZM」をリリースしました。
その翌年には「Nagoya Queens + Younggunnz」をリリースした後、これまで出した曲をリードシングルとして名盤「THE MASTA BLUSTA」をリリースしHIP HOPシーンに衝撃を与えました。
ILLMARIACHIとしての活動がひと段落すると、次はM.O.S.としての活動を展開し、デビューシングル「M.O.S. / E.A.T.」のリリースや2000年にはFIXERの加入によりM.O.S.からM.O.S.A.D.へとグループのエンパワーメントを行いました。
2年後の2002年にはDJ RYOWも仲間に迎え入れ、デビューアルバム「THE GREAT SENSATION」をリリースし、2つのグループで大きな活躍を果たしました。
その傍らで海外大手レーベルDef Jamが日本に展開していくことになり、2000年のNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDとの契約を始めとして、さらなる勢力拡大を模索していました。
そこで目を付けたのがTOKONA-Xで2003年に契約を果たし、デビューシングル「I JUST WANNA」やオリコン39位にランクインした「Let Me Know Ya ft. Kalassy Nikoff(AK-69)」「H2」といった楽曲をリリースしました。
2004年に入るとソロ活動に力が入っていき、リードシングル「知らざあ言って聞かせやSHOW」からソロデビューアルバム「トウカイ×テイオー」をリリースし、それぞれオリコン804位と36位にランクインするほどの大ヒットとなりました。
とうとうソロとしての活動にも本腰を入れ、これから更なる活躍が期待されていた中で急逝してしまい、自身のアーティスト人生に終止符を打つことになりました。
TOKONA-Xの本当の死因
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TOKONA-Xは2004年11月22日で26歳という若さでこの世を後にしました。
Def Jam Japanというアメリカのメジャーレーベルに加入し、より一層活動を広げていく最中の突然の訃報で、当時のラッパーやファンは状況を受け入れられず困惑しました。
死因についても、ドラッグを掴まされたなど、様々な憶測が飛び交いましたが、公式発表で「夏からかかっていた熱中症による体力低下が心停止を引き起こした」と死因が発表されました。
TOKONA-Xが所属したHIP HOPグループ
TOKONA-Xが所属したHIP HOPグループをまとめました。
- M.O.S.A.D.(モサド)
- ILLMARIACHI(イルマリアッチ)
M.O.S.A.D.(モサド)とは
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- TOKONA-X(トコナ・エックス)
- Equal(イコール)
- Akira(アキラ)
- Fixer(フィクサー)
詳しくは下記の記事でまとめています。

ILLMARIACHI(イルマリアッチ)とは
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- TOKONA-X
- 刃頭
M.O.S.A.D.と同じくらいの時期に作られたもう1つのグループとしてILLMARIACHIがあります。
このグループはDJの刃頭とのタッグで構成されていて、さんピンCAMPから活動を開始しました。
後にデビューシングル(レコード)「荒療治 / TOKONAIZM」や「Nagoya Queens + Younggunnz」、アルバム「THA MASTA BLUSTA」をリリースすることになりましたが、活動を休止することになりました。
2001年には活動を再開し「AIMING HIGHER」をリリースしましたが、TOKONA-Xの他界により滞り、2006年に刃頭のリミックスで「TWELVE VIPER’S + ONE」をリリース、2017年には「THA MASTA BLUSTA」の20周年記念エディションと「ILLMARIACHI BEATS and ACAPELLA」をリリースしました。
TOKONA-XとILL-BOSSTINOのビーフ
HIP HOPの文化的な側面として捉えられているビーフですが、TOKONA-Xも過去にビーフになりかけたことがありました。
その相手はTHE BLUE HERBのILL-BOSSTINO(通称BOSS)で、THE BLUE HERBがリリースしたシングル「A SWEET LITTLE DIS」の1節で”XXX DIS”という部分をTokona-Xが自身の刺青のディスと勘違いしたことが発端です。
その勘違いを解くべくILL-BOSSTINOが連絡を入れたところ、特に何も無く和解しましたが、既にTOKONA-Xはアンサー曲「EQUIS_EX_X」をレコード+リリース予定にしていたため、和解しているにもかかわらず世間的にはバチバチの状態という稀な状況になりました。

その後世間では「ILL-BOSSTINOがTOKONA-Xに土下座させられた」といった憶測が飛び交いましたが、2016年の2月にTHE BLUE HERBの公式サイトのアーカイブからその時の真実が明るみになりました。

TOKONA-Xの音楽の特徴とおすすめの曲
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- 名古屋に対する誇りを感じさせるリリック
- 自分自身のプライドやスタイルを貫き通した楽曲制作
TOKONA-Xの楽曲の特徴は地元名古屋への思いと自分自身のスタイルの両方が前面に出ている点にあります。
TOKONA-Xが活動を始めた当初はHIP HOPの流れが着々と全国各地に来ていて、東京を中心とした大きいマーケットにHIP HOPが参入していた頃でした。
その流れの中で、都会には負けないという思いで名古屋のHIP HOPシーンに火を付け、トップにまで上り詰めたTOKONA-Xの楽曲には自分の地元でHIP HOPに行き着いたきっかけとなった名古屋への誇りを感じます。
また、自分の生き様や考えなど、自分自身へのプライドを感じさせる気迫のこもった楽曲群も特徴的で、楽曲の魅力というよりもTOKONA-Xという人間が好きで憧れたというファンも多く存在します。
TOKONA-Xのデビュー曲は「I JUST WANNA」
TOKONA-Xのソロとしてのデビューを飾ったのは2004年7月にリリースされた「I JUST WANNA」です。
同時期にリリースされた楽曲として「Let Me Know Ya」や「H2」がありますが、それらは2004年11月リリースなので4カ月早めのリリースになりました。
「I JUST WANNA」はドラッグや女性など、ストリートらしい情景が描かれていて、自分のしたいようにしている生き様が描かれています。
TOKONA-Xのおすすめの曲は「知らざあ言って聞かせやSHOW」
TOKONA-Xの楽曲の中でも特に人気なのが「知らざあ言って聞かせやSHOW」です。
クラブの定番曲の1つでもあり、TOKONA-Xのことを知らなくても1度は聞いたことがあるくらい有名な曲です。
元々はDJ MOTOに対するディス曲として作られたといわれていて、強烈なパンチラインと中毒性のあるTOKONA節が炸裂した楽曲です。
MCバトルのビートでもかなり使用されていて、数々の名バトルを生み出しているビートです。
TOKONA-Xがフィーチャリングしているおすすめの曲は「GOD & BLUES feat. TOKONA-X」
TOKONA-Xがフィーチャリングした楽曲の中でもおすすめしたいのがKalassy NikoffことAK-69の「GOD & BLUES feat. TOKONA-X」です。
「GOD & BLUES feat. TOKONA-X」はHIP HOPにポップスの要素が入り混じっていて、神などに頼らず自分の力で成功を築いた経緯をテーマにした楽曲になっています。
TOKONA-Xの死後にフィーチャリングされた楽曲
TOKONA-Xがあの世へ旅立った後にも影響は留まらず、そのムーブメントの中でリリースされた楽曲の中でも有名なのがDJ RYOWによる「WHO ARE U ? feat. TOKONA-X」です。
レコーディング自体は2004年に済んでいましたが、結果としてTOKONA-Xが亡くなった翌年の2005年にリリースされ、TOKONA-Xの遺作・追悼曲として知られています。
2005年のオリジナル版のリリースから、幾度もリメイクが重ねられ、盟友である“E”QUALやAKIRAはもちろんのこと、般若やANARCHY、AK-69、紅桜、T-PABLOWなど、数多くのアーティストを招いて作られています。

TOKONA-Xの名言と名リリック
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TOKONA-Xは生前の間に数々の名言・名リリックを残してきました。
いずれの名言・名リリックもTOKONA-Xの自分自身を貫き通した生き様が垣間見えていて、憧れを抱かせるスター性が感じることが出来ます。
今回はその名言・名リリックの中で印象に残ったものを5つピックアップしてきました。
流派-R 名古屋HIP HOPシーン潜入 M.O.S.A.D.密着
TOKONA-X
bounce 251号 TOKONA-X vs Equal
TOKONA-X
EQUIS_EX_X
TOKONA-X
知らざあ言って聞かせやSHOW
TOKONA-X
Where’s my hood at ?
TOKONA-X