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DOZAN11(三木道三)の年齢・出身・結婚(妻)は?

ラッパーDOZAN11

画像の出典は全て本人のInstagramまたはTwitter

三木道三は奈良県生駒市出身のレゲエDeejayです。

大学在学中の21歳の時に訪れたジャマイカでレゲエに出会い、レゲエと日本の素晴らしさを伝えるためにレゲエDeejayとしてのキャリアをスタートさせました。

2001年にリリースしたシングル・Lifetime Respectがミリオンセールスを記録し、ジャパニーズ・レゲエ史上初のオリコン1位に輝くなど、一気にスターへの階段を駆け上がります。

しかし、人気絶頂期の2002年に突如引退し、表舞台から姿を消しましたが、2014年にDOZAN11に改名し、復活を果たしました。

怪我や病気、親友の死を乗り越え、再びジャパニーズ・レゲエシーンの最前線に舞い戻った三木道三を紹介します。

三木道三のプロフィール

出生名三木 真一(みき しんいち)
アーティスト名三木道三(ミキドウザン)、DOZAN11(ドーザンイレブン)
年齢1970年2月12日(現在51歳)
身長非公開
血液型非公開
出身地奈良県生駒市
事務所有限会社フライング・ハイ
レーベル大和RECORDINGS
公式サイトhttp://dozan11.com/
STEP.1
幼少期〜小学校時代

1970年2月12日に奈良県生駒市で生まれる。

MEMO
兄弟はソフト開発などの専門知識を持つ弟がいる。
STEP.2
中学校時代
私立中高一貫校の奈良育英中学校に入学する。
STEP.3
高校時代
奈良育英高等学校に入学する。
STEP.4
大学時代
京都産業大学外国語学部英米語学科に入学し、21歳の頃に渡ったジャマイカでレゲエに出会う。

三木道三は奈良県生駒市出身のレゲエDeejayです。

京都産業大学在学中に訪れたジャマイカでレゲエに出会い、レゲエDeejayとしてのキャリアをスタートさせました。

三木道三

音楽の専門的な知識は何もなかった。

2001年にリリースした楽曲・Lifetime Respectがミリオンセールスを記録し、ジャパニーズ・レゲエを世間に浸透させるきっかけを作りましたが、翌2002年に交通事故による怪我の治療に専念するために音楽活動を引退します。

引退してから世間では「死んだ」と言われた。復活した今の俺は「死の淵から蘇った」と思ったら、何でもできる。

突然の引退から12年後の2014年にDOZAN11に改名し、復活を果たしました。

復活後はレゲエDeejayとしての活動だけでなく、株式会社明日の風の社長としてイベントのオーガナイズ、音楽アプリ・mupicの開発など、幅広く活動しています。

常に新しいことにチャレンジするスタイルで、新世代のレゲエDeejayやサウンドマンにも影響を与え続けるリビングレジェンドです。

DOZAN11に改名した理由

DOZAN(道三)は尊敬する戦国武将の斎藤道三から取り、SNSのアカウントを作る感覚で11という数字を足したことが由来です。

三木道三

葛飾北斎が葛飾北斎と名乗りだしたのも60歳を過ぎてから。リスペクトする斎藤道三も何回も名前を変えている。

尊敬する斎藤道三葛飾北斎が何度も改名していることもあり、三木道三DOZAN11に改名しました。

三木道三

11には色んな意味がある。
11の意味
  • 東北地方太平洋沖地震のチャリティーソングに参加した際の名義がⅪ
  • 10で1周し、11から新たなスタート
  • 11を漢字の十一にするとプラスマイナスに見える
  • 十一が武士の士に見える

また、数字の11には、三木道三の様々な思いが込められています

初めてのジャマイカの思い出

三木道三は京都産業大学に在籍している21歳の時に、土方のバイトをして貯めたお金で初めてジャマイカに行きました

三木道三

モンティゴベイに行くつもりが、間違えて逆方向のキングストンに行ってしまった。

当初は観光地のモンティゴベイに行くつもりでしたが、間違えて逆方向の首都・キングストンに到着してしまいます。

キングストンで偶然にも現地のレゲエプロデューサー・チャイナマンに出会い、ジャマイカのレゲエ文化に触れました。

初めてのジャマイカで体験したスタジオやゲットーでの強烈な経験が、三木道三のレゲエのルーツです。

Lifetime Respect誕生秘話

代表曲・Lifetime Respectは、コード進行や音楽の知識が全くと言っていいほどない中で作られました

三木道三

コード進行やキー、小節など、全くと行っていいほど知らなかった。

そんなLifetime Respectは、ジャパニーズ・レゲエ初のオリコン1位を獲得、累計ミリオンセールスを記録する歴史に残るビッグチューンです。

三木道三

Lifetime Respectのヒット中は、街を歩けないほどの反響だった。

テレビ出演自体は少なかったものの、連日のようにテレビでPVが放送され、街を歩けないほどの大反響でした。

電撃引退の秘話

三木道三は楽曲「Lifetime Respect」の大ヒットから約1年後の2002年に、音楽活動を引退しました。

引退の理由は、交通事故による後遺症です。

後遺症
  • 肩が上がらない
  • 足が曲がらない
  • 腰痛

交通事故により損傷した箇所が完全に治療できてないこともあり、治療に専念するために引退を決意しました。

注意
人気絶頂期での突如の引退により、世間では「三木道三死亡説」が流れた。

引退後の生活

引退後に襲った病気
  • 逆流性食道炎
  • 自律神経の乱れ
  • 激しい腰痛

三木道三の引退後の生活は、リハビリと治療の繰り返しです。

逆流性食道炎でほとんど言葉を発することができなくなり、2年半もの間、筆談での会話を余儀なくされました。

三木道三

激しい腰痛で、2ヶ月ほど寝たきりになったこともある。

追い討ちをかけるように激しい腰痛、自律神経の乱れによる体調不良で、心身ともに満身創痍の状態でした。

三木道三

怪我や病気に10年ほど苦しめられた。

10年もの長い間、病気や怪我に苦しめられたと語っています。

三木道三を襲った交通事故

交通事故で負った怪我
  • 足の先が複雑骨折
  • 右膝の皿が破れる
  • 足の裏が破れる
  • 顔中血だらけ
  • 顔の骨と歯が飛ぶ

三木道三は1995年に留学先のアメリカで、交通事故に遭っています

友人が運転するが横転し、外に放り出されるという大事故です。

8割死んでいてもおかしくない。

医者

死んでもおかしくない大事故でしたが、大手術を受け、奇跡的に一命を取り留めました。

その後も複数回の手術、リハビリ、6回にわたる全身麻酔を経験しています。

注意
音楽活動に支障をきたすほどの後遺症が残り、運転していた友人は自殺した。

三木道三のファッションのまとめ

着用ブランド

三木道三のファッションは、無地Tシャツにデニムなどのシンプルなカジュアルファッションが多いです。

しかし、ステージ上ではジャケットにスラックスのセットアップなど、フォーマルなコーディネートが多く、オンオフを使い分けています。

また、活動初期は浴衣や着物などの日本古来の服装でPVを撮影することも多くありました。

三木道三のDeejayスタイル

Deejayスタイル
  • 関西弁を使ったストレートなリリック
  • 硬い押韻
  • ジャマイカのダンスボールレゲエを踏襲したフロウ

三木道三は黄金期のジャマイカのダンスボールレゲエを踏襲したフロウに、関西弁を使ったストレートなリリックを乗せたDeejayスタイルです。

三木道三

一発で歌詞を聞き取れるように心がけている。

ジャマイカ人がジャマイカ訛りの英語で飾らず歌っていることから、三木道三も普段自分が喋っている関西弁を使って歌うことに誇りを持っています。

ヒップホップでTOKONA-Xが名古屋弁でラップをしたように、レゲエにおいて関西弁で歌うことをスタンダードにしたパイオニアです。

MEMO
90年代後半のジャマイカのレゲエに強い影響を受けている。

Deejayを始めた理由はジャマイカと日本への愛

もともと三木道三は、欧米の音楽に強く影響された日本の音楽に嫌悪感を持っていました

そんな中でレゲエに出会いましたが、ジャマイカへの信仰心だけてレゲエをすることにも違和感があり、

三木道三

日本語で韻を踏んで、日本の素晴らしさをレゲエで歌いたい。

という衝動が、三木道三がDeejayを始めた理由です。

三木道三

日本で日本のレゲエをすることに使命を感じた。

単純に「レゲエがしたい」と言う気持ちではなく、日本オリジナルのレゲエを広めることに強い使命感を持ち、Deejayとしてのキャリアをスタートさせました。

三木道三の歌詞は12年間でどう変わったのか

三木道三は引退から復活までの12年間で、歌詞が大きく変わりました

12年間で変わったポイント
  • 韻重視からメロディ重視へ
  • 大乗仏教やお経、般若心経を取り入れる

三木道三時代の楽曲は硬い押韻が特徴でしたが、12年間で韻にあまり囚われない、楽曲の流れやメロディを重視した歌詞に変わりました。

また、これまでは日本の文化を分かりやすい言葉で表現していましたが、大乗仏教や般若心経などのより深い日本古来の文化や文学を歌詞に取り入れてます。

三木道三のおすすめの楽曲【厳選3選】

三木道三のジャマイカと日本への深い愛、強いメッセージ性が心に響く楽曲を厳選して3曲紹介します。

三木道三 / Lifetime Respect

ミリオンセールスを記録し、ジャパニーズ・レゲエを世間に浸透させたビッグチューンです。

三木道三の恥ずかしくなるほどに臭い真っ直ぐな愛の言葉と甘いメロディは、発売から20年以上経った今でも多くの人を魅了し続けています。

三木道三

一生一緒にいてくれやみてくれや 才能も全部含めて

三木道三 / JAPAN一番

三木道三の記念すべきデビュー曲です。

欧米に侵食される日本に警告を鳴らし、日本への愛を歌ったメッセージ性の強いリリックは必聴です。

三木道三

JAPAN一番 めちゃええ国やん どの国もうちの国にはかなわん JAPAN一番

三木道三 / 明日の風

「どれだけ転んでも立ち上がれる」というポジティブなメッセージを詰め込んだ、三木道三流の応援ソングです。

メッセージ性の強いリリックだけでなく、メロディセンスも光った初期の名曲です。

三木道三

俺は生きてる価値がある こけてもまた立ち上がる たまに思いっきり間違うこともあるけどそれはそれでまた味がある
MEMO
三木道三が設立した株式会社明日の風は、この曲が由来。

三木道三の仲の良いDeejay

仲の良いDeejay

三木道三はジャパニーズ・レゲエ黎明期から一緒に切磋琢磨したベテランのDeejayから、若手のDeejayまで幅広く交友関係を持っています

レゲエをするきっかけの一つが三木道三さん。

寿君

三木道三さんに影響を受けて、レゲエを始めました。

導楽

多くの若手のDeejayに影響を与え、リスペクトされています。

三木さんはとにかく優しい。

JUNIOR(RED SPIDER)

年齢やキャリア関係なく後輩Deejayに接し、一緒に楽曲を制作する姿勢が、多くのレゲエ関係者からリスペクトされる理由です。

ACKEE & SALTFISH

愛知県名古屋市出身の双子兄弟レゲエユニットのACKEE & SALTFISHとは、お互いが20代の頃からの長い付き合いです。

出会いはジャマイカのWATERHOUSEにあるスタジオ・JAMMY’S STUDIOで、

ちょうどレコーディングしてるから、お前も入れ。

ACKEE & SALTFISH

三木道三

分かりました!

と、ACKEE & SALTFISHのレコーディングに飛び入りで参加したことがきっかけでした。

三木道三

日本に帰国した後も一緒にツアーを回ったりした。

日本に帰国後も関係は続き、一緒に全国ツアーを回るなど、交流を深めていきました

MEMO
三木道三が勝手にACKEE & SALTFISHのツアーについて行ったが、しっかりギャラは支払われた。

カエルスタジオの創設者・麻芋との絆

RED SPIDERやAPOLLOなどが所属するレーベル・カエルスタジオの創設者・麻苧俊宏と三木道三は、奈良育英高等学校時代の同級生です。

三木道三

麻苧がサーフィンに行く時に、の中でよくレゲエを流していた。

高校卒業後も一緒に遊んだり、レゲエに出会ってからはクルーを組んだり、海外に行ったりする関係でした。

スタジオの名前、カエルスタジオにする。

麻苧

三木道三

もっと格好いい名前はないの?
世の中を変えるスタジオっていう意味や。

麻苧

三木道三

いいな!

カエルスタジオ創設時も三木道三が麻苧に力を貸すなど、親友同士でレゲエシーンの発展に尽力しました。

仲悪い時期もあったみたいやけど、2人はすごく不思議でいい関係やと思う。

JUNIOR

MEMO
カエルスタジオの名前は、一緒に行ったバリで購入したカエルの置物をスピーカーの上に置いたことが由来。

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