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ブッダブランドのメンバープロフィールのwikiまとめ【BUDDHA BRAND】

ラッパーBUDDHA BRAND

広告及びプロモーションが含まれています。
画像の出典は全て本人のInstagramまたはTwitter

1989年にニューヨークで結成し、まさに「黒船」の如く日本のヒップホップシーンに衝撃を与えたBUDDHA BRANDについて詳しくまとめました。

伝説のイベント「さんピンCAMP」への出演、名盤「病める無限のブッダの世界-BEST OF THE BEST(金字塔)」のリリースなど数々の伝説を残し、現在まで続く日本語ラップシーンの礎を気付きました。

2019年5月5日には再始動を発表し、シーンに更なる黒い衝撃を落とすBUDDHA BRANDを紹介します。

BUDDHA BRANDのメンバープロフィール

 

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BUDDHA BRANDのオリジナルメンバーは下記の4名で構成されています。

メンバー構成
  1. NIPPS
  2. CQ
  3. DEV LARGE
  4. DJ MASTERKEY

それぞれ強烈なオリジナリティとアティチュードを放つメンバーをそれぞれ紹介します。

NIPPSのプロフィール

 

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出生名木村 秀己(きむら ひでみ)
アーティスト名NIPPS(ニップス)
年齢1964年6月7日(現在59歳)
身長非公開
血液型非公開
出身地東京都台東区
事務所
レーベルUNIVERSAL.J、ONE FOOT
公式サイト

NIPPSは1964年6月7日生まれの現在59歳です。

本名は木村秀己で、東京都台東区出身です。

MCネームは日本(NIPPON)のNIPPをとってつけられ、本人曰く「響きがダサいのがいい」ということで決定しました。

独特の感性、ワード感を持ち、メンバーであるDEV LARGEにも多大な影響を与えました。

BUDDHA BRAND以外にソロ名義、TETRAD THE GANG OF FOURThe SexorcistBUDDHA MAFIAでの活動でも知られています。

STEP.1
幼少期~小学校時代

1964年6月7日に東京都台東区で生まれましたが、すぐにニューヨークに引っ越し、小学校6年生頃まで生活をしていました。

そして帰国し、約1年間を日本の小学校へ通いました。

STEP.2
中学校時代
日本の中学校へ進学し、卒業しました。
STEP.3
高校時代
カナダの高校へ進学しましたが、すぐに自主退学しました。
STEP.4
日本で就職
AVIREXSchottといったブランドの代理店である上野商会で約2年間、正社員として働きました。
STEP.5
ニューヨークへ渡米
20歳の頃に「どんな感じなのかな」と思い、ニューヨークへ渡米します。

NIPPSは結婚している

あまり多くを語らない、BUDDHA BRANDで1番プライベートが掴めない謎の男であるNIPPSですが、結婚していることが判明し話題となりました。

2018年1月26日にNHK番組「ドキュメント72時間」に、NIPPSが一般人としてインタビューを受ける姿が放送されました。

内容は2018年1月5日に結婚し、奥さんの実家である北海道函館市に移住することがNIPPS本人の口から語られました。

その後のインタビューでNIPPSは「最近買った1番高い買い物は」という質問に「カミさんへのプレゼント」と回答していることから、夫婦仲が良好であることが伺えます。

MEMO
奥さんと旅行に出かけている写真が頻繁にインスタグラムにアップされています。 

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CQのプロフィール

 

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出生名平栗 隆(ひらぐり たかし)
アーティスト名CQ(シーキュー)
年齢1964年10月27日(現在59歳)
身長非公開
血液型非公開
出身地東京都大田区蒲田
事務所
レーベルNAUTILUS
公式サイト

CQは1964年10月27日生まれの現在59歳です。

本名は平栗隆で、東京都大田区蒲田出身です。

愛称はクリちゃんで、DJ MASTERKEYとは小学校からの幼馴染です。

BUDDHA BRANDでの活動以外にソロ名義、MAKI THE MAGICILLICIT TSUBOIとのキエるマキュウNIPPSと2MCのユニット・BUDDHA MAFIAがあります。

独特なフローとリリシストな一面を兼ね備えていた、BUDDHA BRANDの「赤目のダルマのおじき」です。

STEP.1
幼少期~小学校時代

1964年10月27日に東京都大田区蒲田で生まれました。

実家の平栗工務店という工務店を営む家庭でした。

小学校の頃にDJ MASTERKEYと出会います。

STEP.2
中学校時代

中学に進学すると、幼馴染のDJ MASTERKEYとは疎遠になってしまいます。

STEP.3
高校時代

高校へ進学し、真面目に野球をする学校生活を送っていました。

高校からまたDJ MASTERKEYとの交流が始まります。

STEP.4
就職

高校を卒業はお金を貯めるために実家の平栗工務店で働き始めます。

STEP.5
ニューヨークへ渡米

「まず行ってみよう」ということで、22歳の時にDJ MASTERKEYを誘い、ニューヨークへ渡米します。

DEV LARGEのプロフィール

 

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出生名今 秀明(こん ひであき)
アーティスト名D.L a.k.a DEV LARGE(ディーエル a.k.a デブ ラージ)、BOBO JAMES(ボボ ジェームス)
年齢1969年11月24日
身長非公開
血液型非公開
出身地東京都渋谷区代々木
事務所EL DORADO RECORDS
レーベルEL DORADO RECORDS
公式サイト

DEV LARGEは1969年11月24日生まれです。

本名は今秀明で、東京都渋谷区代々木出身です。

MCネームはスラングのFATの日本語訳であるDEV(デブ)と、インドの神や敬愛するMain SourceLarge ProfessorからLARGEを合わせたことが由来です。

愛称はコンちゃん、ヒデで、NIPPS曰く「真面目で努力家でアホ」な性格、CQ曰く「結婚してもみんなに言わないシークレットを好む人」でもあります。

他のメンバーより5つ年下ですが、BUDDHA BRANDのトラックメイク、プロデューサーも担当する中心人物で、レコードコレクター、DJ、トラックメーカーとしての顔も持ち合わせています。

STEP.1
幼少期~小学校時代

DEV LARGEは1969年11月24日に東京都渋谷区代々木で生まれます。

いつもお酒を飲んで酔っ払っている自由な母親と厳格な父親という家庭環境で育ちます。

小学校4年生の頃に父親の転勤で、ニューヨーク市クイーンズ区フラッシングに引っ越し、アメコミにハマります。

11歳の頃にラジオがきっかけでヒップホップにハマり、レコード収集を始めます。

STEP.2
中学校時代
ヒップホップ文化が根付いたニューヨークということもあり、毎日のように友達とヒップホップの話題で盛り上がる学生生活を送りました。
STEP.3
高校時代

中学卒業と同時に帰国し、神奈川県茅ヶ崎市に引っ越し、地元の高校に進学します。

しかし全くヒップホップが好きな友達がいない環境に唖然とし、更にニューヨーク、ヒップホップへの愛が強くなっていきます。

STEP.4
ニューヨークへ渡米

高校での生活にフラストレーションを感じ、自らの意思でニューヨークへ渡米します。

音楽で食べていくことを意識し、レストラン「れんげ」でアルバイトをしていましたが、そこで客として来たDJ MASTERKEYと運命の出会いを経て、BUDDHA BRAND結成へ繋がります。

DEV LARGEの死因の真相

DEV LARGEは2015年5月4日に45歳という若さでこの世を去りました。

シーンに大きな衝撃を与えたレジェンドの逝去ですが、死因については公式発表されていません。

STEP.1
健康管理を始める
2005年あたりからタバコを辞めるなど、健康管理に気を使い始めるようになりました。
STEP.2
ブログでの発言
2008年にブログで「あのオバーサン達の歳になる頃、まだ自分があんな風に食欲を持ててるか気になる?それより生きてるか?そっちが気になる…」と綴る。
STEP.3
イベント中に倒れる
2013年にイベント出演中に、体調不良で倒れる。
STEP.4
逝去
2015年5月4日早朝に逝去する。

逝去する前のDEV LARGEの写真はかなり痩せていて、ファンからも心配の声が続々と上がっていました。

そういったことも踏まえると、DEV LARGEの死因は病気であったという説が濃厚です。

DEV LARGE vs K DUB SHINE!ビーフの流れ

日本における初めての大きなビーフ、そしてインターネット上で大きく発展したことにより、シーンでも大きな話題となったのがDEV LARGEとキングギドラのK DUB SHINEビーフです。

STEP.1
K DUB SHINEの楽曲「来たぜ」発表
K DUB SHINEが2004年7月14日にリリースされたアルバム「理由」をリリースします。

アルバム収録曲「来たぜ」のリリックの「人に聞かしたミュージックセミナー そんとき初めて出会ったブッダ バトルは俺が完全に食った」でBUDDHA BRANDを名指しします。

STEP.2
DEV LARGEが最初のアンサーソング
DEV LARGEが2004年6月19日にYouTube上にアンサーソング「ULTIMATE LOVE SONG」をアップします。

後のラジオ番組で、自らがアップしたものであることを公式に発表し話題となります。

STEP.3
K DUB SHINEのアンサーソング
2014年6月22日にK DUB SHINEもアンサーソング「1 THREE SOME」をYouTubeにアップします。
STEP.4
DEV LARGEのアンサーソング
K DUB SHINEのアンサーを受け、アンサーソング「1 THREE SOME」をサンプリングした更なるアンサーソング「前略ケイダブ様」をYouTubeにアップします。
STEP.5
K DUB SHINEがアンサーを返さない
DEV LARGEのアンサーソング「前略ケイダブ様」にK DUB SHINEはアンサーソング、アクションを起こさず、自然にビーフは終着します。

最終的にDEV LARGEのアンサーソング「前略ケイダブ様」に対し、K DUB SHINEがアクションを起こさないことにより、ビーフは「自然消滅」という形で終わりました。

しかし2人には溝ができ、後のインタビューでK DUB SHINEDEV LARGEとの関係について「険悪な関係」であることを明しました。

DEV LARGE vs K DUB SHINE!和解の真相

STEP.1
K DUB SHINEがDEV LARGEの体調不良を知る
K DUB SHINEが2013年にDJ MASTERKEYからDEV LARGEが「最近倒れて危なかった」と聞かされ、DEV LARGEが体調不良であることを聞かされます。

このことがきっかけとなりK DUB SHINEに「DEV LARGEと和解したい」という気持ちが芽生えます。

STEP.2
MAKI THE MAGIC逝去
2人の盟友であるMAKI THE MAGICが2013年7月14日に脳内出血に逝去します。
STEP.3
再会
2013年10月17日に開催されるMAKI THE MAGICの追悼イベント当日に、偶然にも代々木上原でばったり遭遇し再会を果たします。
STEP.4
和解
偶然の再開にK DUB SHINEは「いや、いろいろあったけど、もう水に流そうぜ」と声をかけ、DEV LARGEも「そんな昔のことだし」と返し、お互いに握手を交わし和解が成立します。
STEP.5
MAKI THE MAGIC追悼イベントで共演
K DUB SHINEDEV LARGEに「マキくんのイベント出るからさ、おいでよ」と誘い、MAKI THE MAGICの追悼イベント「MAKI THE MAGIC R.I.P PARTY MAGIC FOREVER」で共演を果たしました。

ビーフが終わって約10年間もの長い間、険悪な状態が続いたDEV LARGEK DUB SHINEですが、お互いの盟友でもあるMAKI THE MAGICの死がきっかけとなり、和解を果たします。

MAKI THE MAGICが引き寄せたドラマチックな展開で和解となりましたが、K DUB SHINEDEV LARGEとのビーフの原因として「自分のうっかりちょっとした自分のリリック」としつつ「自覚もなかった」と語っています。

しかし「相手にとって不覚なし」ということでアンサーを返し、結局「お互いに感情的になっていた」というのが原因でビーフが大きくなってしまいました。

MEMO
 K DUB SHINEとDEV LARGEの最後の会話はMAKI THE MAGICの追悼イベントで話したのが最後となってしまった。 

DJ MASTERKEYのプロフィール

 

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DJ MASTERKEY a.k.a. ROCK SMITH(@djmasterkey)がシェアした投稿

出生名矢沢 正樹(やざわ まさき)
アーティスト名DJ MASTERKEY(ディージェー マスターキー)、ROCKSMITH(ロックスミス)
年齢1964年8月12日(現在59歳)
身長非公開
血液型非公開
出身地東京都大田区蒲田
事務所THE LIFE ENTERTAINMENT
レーベルUniversal Music
公式サイトhttps://www.universal-music.co.jp/dj-masterkey/

DJ MASTERKEYは1964年8月12日生まれの現在59歳です。

本名は矢沢正樹で、東京都大田区蒲田出身です。

DJネームの由来は本名の「まさき」から取っていて、愛称はやーちん、英語で「鍵師」を意味するLOCKSMITHから「ROCKSMITH」があります。

BUDDHA BRANDでの活動以外にもクラブDJ、ミックステープのリリース、オリジナルブランド「ROCKSMITH」のプロデュースと多岐に渡ります。

STEP.1
幼少期~小学校時代

1964年8月12日に東京都大田区蒲田で生まれます。

実家は美容室を営んでいました。

小学校時代にCQと出会いました。

STEP.2
中学校時代
CQとは疎遠になっていましたが、部活の野球に明け暮れる生活を送っていました。
STEP.3
高校時代

高校に進学し、野球部に入りますが、徐々にグレ始めていきます。

CQとも頻繁に遊ぶようになります。

STEP.4
ニューヨークへ渡米

実家の美容師を継ぐか迷っていたところ、CQに誘われ、22歳の時にニューヨークへ渡米します。

BUDDHA BRANDとは

BUDDHA BRANDは「無敵の三本マイク」ことDEV LARGENIPPSCQ、そしてNO.1 DJのDJ MASTERKEYの4人から構成されます。

MCのDEV LARGENIPPSCQILLMATIC BUDDHA MC’Sとして、そしてNIPPSCQBUDDHA MAFIAとしても活動していました。

結成、そして再結成の流れを詳しく紹介していきます。

BUDDHA BRANDのデビューから現在まで

STEP.1
うわさのチャンネルを結成
1988年にDEV LARGENIPPSCQDJ MASTERKEYで前身となるグループ「うわさのチャンネル」をニューヨークで結成します。

MEMO
 当時放送されていたお色気バラエティ番組「うわさのチャンネル」がグループ名の由来 
STEP.2
BUDDHA BRANDに改名
1990年にグループ名をBUDDHA BRANDに改名します。

MEMO
 グループ名の候補として「NUMB BRAIN BUDDHA BRAND」が挙がっていたが、「カントリー過ぎる」という理由でBUDDHA BRANDに短縮された。 
STEP.3
アナログリリース
1995年にアナログ盤で「Funky Methodist」、「人間発電所」をリリースします。
STEP.4
メジャーデビュー
日本に帰国し、1996年5月22日にシングル「人間発電所」をcutting edgeからリリースしメジャーデビューを果たします。
STEP.5
ベストアルバムリリース
2000年3月15日にベストアルバム「病める無限のブッダの世界-BEST OF THE BEST(金字塔)」をリリースするも、BUDDHA BRANDとしての活動は自然消滅的になくなっていきます。
STEP.6
DEV LARGE逝去
2015年5月4日早朝にDEV LARGEが逝去します。
STEP.7
BUDDHA BRAND再始動
2019年5月5日にBUDDHA BRANDが再始動を発表します。
STEP.8
セカンドアルバムリリース
2019年10月30日にセカンドアルバム「これがブッタブランド!」をリリースします。
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BUDDHA BRANDの結成秘話

STEP.1
CQ、DJ MASTERKEYが渡米
小学校からの幼馴染であるCQDJ MASTERKEYが渡米し、ニューヨークでルームシェアを始めます。
STEP.2
DJ MASTERKEYとNIPPSとの出会い
DJ MASTERKEYがホームシックになり、ロックフェラーセンターの日本の情報番組「ズームイン!朝」の収録に遊びに行き、収録現場で照明をしていたNIPPSに出会います。
STEP.3
CQとNIPPSが出会う
DJ MASTERKEYCQとルームシェアしていたフラットにNIPPSを招待したことがきっかけで、CQNIPPSも出合います。
STEP.4
DJ MASTERKEYとDEV LARGEの出会い
DEV LARGEがアルバイトをしていたレストラン「れんげ」にDJ MASTERKEYが客として行き、DEV LARGEから話しかけられてDEV LARGEDJ MASTERKEYが出会います。
STEP.5
DJ MASTERKEYがDEV LARGEを紹介
DJ MASTERKEYDEV LARGECQNIPPSに紹介したことがきっかけで、後にBUDDHA BRANDとなる4人が出会います。
STEP.6
うわさのちゃんねる結成
CQNIPPSは「なんとなく」という理由、DEV LARGENIPPSのラップに衝撃を受け、それぞれMCとなります。

DJ MASTERKEYは「4人の中で一番DJが上手い」という理由でDJを担当することとなり、前身グループ「うわさのチャンネル」を結成します。

STEP.7
BUDDHA BRANDに改名
その後グループ名をBUDDHA BRANDに改名します。

それぞれ生まれた土地は日本の東京ですが、遠く離れたニューヨークという街で偶然に偶然が重なるような、まるで運命で決まっていたかのように4つのピースが集まりました。

初めはトラックメイクなど裏方に徹する気持ちが強かったDEV LARGEですが、NIPPSのラップ、リリックを聴き、自らもラップをする決意をします。

それにより、BUDDHA BRANDの無敵の三本マイクが揃い、3MC1DJスタイルが固まりました。

BUDDHA BRANDののラップの凄さ

BUDDHA BRANDのラップの凄さは、1980年代当時のニューヨークのヒップホップを肌で体感し、ニューヨークのオールドスクールヒップホップの空気感をそのままラップに落とし込みつつ、しっかり「日本語ラップ」としてのアイデンティティを確立した点です。

いわゆるバイリンガルな日本語と英語を織り交ぜたリリックですが、ヒップホップで使われるスラングを日本語に和訳した表現方法や、言葉の響きを重視した構成にはなっていますが、しっかりとしたメッセージ性も感じられます。

3人のMCがそれぞれオリジナリティーをぶつけ合う、そんないい意味でこれまでの日本語ラップにはない「自由すぎる」ほどのラップがBUDDHA BRANDの凄さと言えます。

BUDDHA BRANDのパンチラインまとめ

  • U need a hard to play this game 気持ちがレイムじゃ モノホンプレイヤーにになれねえ / 人間発電所
  • ILLで1番イカす MC That’s me me イカれてる イっちゃってる 異ノーマル 普通じゃない 並み外れてる / 人間発電所
  • 普通がなんだか気づけよ人間 / 人間発電所
  • 空を駆けてくような気持ち良さ / ブッタの休日
  • 昼のSUNDAY 床屋が首刈る / Top of Tokyo
  • 深すぎる凄すぎるILLすぎるスキル / ILL伝導者
  • マグニチュード測定不可 まさにウルトラヘビー級のパンチドランカー いっちゃったチャンピオン / PUNCH(仮)
  • DON’T DON’T DON’T DON’T DON’T TEST DA MASTER / DON’T TEST DA MASTER

BUDDHA BRANDの代表曲「人間発電所」

BUDDHA BRANDにとって初のCDリリースとなった実質的なデビュー曲であり、日本語ラップシーンの金字塔とも言えるクラシックが「人間発電所」です。

DEV LARGEの複数のサンプリングソースを散りばめたトラックと、3人のMCによる三者三様、日本語と英語を織り交ぜたリリック、流れるようなフロー、全てにおいて「ヒップホップは自由な音楽」であることを体現しています。

一見、支離滅裂に聴こえるリリックも、強烈なメッセージ性とパンチライン、これまでなかった表現方法が当時のシーンに衝撃を与えました。

元はNIPPSのバースだったというフックのキャッチーさも魅力で、バトルビートとしてだけでなく、多くのアーティストからカバーや賞賛される、まさに「日本語ラップの教科書」とも言えるクラシックです。

日本屈指のレア盤でもある

人間発電所」は1996年のCDリリース以前に、1995年にアナログで「人間発電所 (ORIGINAL ’95 VINYL VERSION)」としてリリースされています。

発売当時のシスコ坂ではアナログ盤を求めて徹夜で並ぶ長蛇の列ができていて、社会現象とも言える反響がありました。

ラベルカラーはファーストプレスがブルー、セカンドプレスがグリーンとなっていて、発売当時でもプレミア価格の約2万円前後で取引されていました。

現在ではオリジナル盤はほとんど市場に出回らないレア盤でもあります。

BUDDHA BRANDのコラボ曲は大神「大怪我」

BUDDHA BRANDSHAKKAZOMBIEが合体したユニット・大神による唯一リリースされたシングルが「大怪我」です。

さんぴんCAMPでの伝説のライブ、そしてDEV LARGEの追悼イベント「D.L PRESENTS HUSTLERS CONVENTION NIGHT」でも披露された、日本語ラップの歴史に残るクラシックです。

トラックの特徴

DEV LARGEの十八番とも言える複数のサンプリングソースを散りばめた手法ではなく、Nice and Nasty3の「The Ultimate Rap」のリフのみを抜き、再構築した手法を使っています。

大ネタのサンプリングではありますが、オリジナルトラックも組み込んだ、DEV LARGEの新境地と言える快心作です。

ラップ

DEV LARGEから始まり、OSUMICQヒデボウイNIPPSと5人のMCによる怒涛のマイクリレーが展開されていくのが、このクラシック「大怪我」の最大の魅力と言えます。

随所に往年のオールドスクールクラシックのサンプリングが散りばめられていて、思わずニヤリとしてしまう仕掛け満載です。

畳み掛けるように個性がぶつかり合うマイクリレーは必聴です。

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BUDDHA BRANDのニューアルバム「これがブッダブランド!」

BUDDHA BRAND再始動の衝撃醒めやらぬ中、2019年10月30日にBUDDHA BRANDとして2枚目、実に約19年振りとなるアルバム「これがブッダブランド!」がリリースされました。

DEV LARGEの逝去から約4年半が経つ中でのリリースとなりましたが、アートワークから全トラックのプロデュースをDEV LARGEが担当していて、いわゆる「追悼アルバム」ではなく、正真正銘の「BUDDHA BRANDのセカンドアルバム」となっています。

BUDDHA BRANDの代名詞とも言える「これがブッタブランド!」というフレーズを冠にしたタイトルですが、BUDDHA BRANDとして「最後のアルバム」になることは公言されています。

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収録内容

収録内容はアナログシングルとして先行リリースされた「CODEな会話」「PUNCH(仮)」に加え、1995年にリリース予定でしたがNIPPSのリリックが出来上がらなかったことが理由でお蔵入りになっていた「マタドール(76コロシアム)」や、ファーストアルバムに収録予定でしたがリリックの過激さが理由でお蔵入りとなっていた「BUDDHA PORNO ALL STARS(女体の狩人のテーマ)」を含めた全6曲です。

MEMO

ジャケットは2012年にDEV LARGEが書き上げたもので、トラックはDEV LARGEの膨大な未発表トラックから選出、「BUDDHA PORNO ALL STARS(女体の狩人のテーマ)」のアナログ盤はテストプレスで7枚のみこの世に存在するレア盤

DEV LARGEとNIPPSの不仲説の真相

DEV LARGEは他のメンバーを兄貴のように慕っていましたが、BUDDHA BRANDの自然消滅的な活動休止にはDEV LARGENIPPSの仲が関係しています。

職人気質で努力家のDEV LARGEと自由奔放なNIPPSの間で衝突があったことは事実です。

合コンが理由で合宿から脱走したり、そもそも練習にもほとんど来ないNIPPSに対しフラストレーションが溜まっていたDEV LARGEですが、1996年8月24日に開催されるイベント「鬼だまり」に向けて、NIPPSを抜いた2MC1DJスタイルで構想を練り、猛練習を重ねます。

鬼だまりでの衝突

DEV LARGEはNIPPSを抜いた2MC1DJスタイルで構想を練り、イベント「鬼だまり」当日を迎え、ステージに上がります。

そんなこともつゆ知らず会場に遊びに来ていたNIPPSですが、出演者みんなに「デミさんも出なきゃ」と言われ、ノリでステージに上がってしまいます。

DEV LARGENIPPSに「練習も来てねえのに、なんでお前出るんだ」と激怒し、NIPPSは「俺のせいで何かが進まないなら、先に進めてくれ、その方が楽だ」と言い放ち、それ以降はBUDDHA BRANDNIPPS抜きで活動していくことになります。

DEV LARGEとNIPPSに確執はあったのか

1997年11月12日にリリースされたシングル「天運我に有り(撃つ用意)」にはNIPPSは参加せず、2000年1月26日にリリースの「DON’T TEST DA MASTER」にはNIPPSが参加しているもののフューチャリング表記になっています。

周りからは「絶縁状態」に見える2人ですが、2人は誰よりもお互いをリスペクトし、そして「近い関係」ということで、これは「兄弟喧嘩」のようなものという表現が一番近いと言えます。

結局DEV LARGEの強い気持ちに他のメンバーがついていけない形となり空中分解してしまいましたが、それぞれDEV LARGENIPPSを含めたそれぞれのメンバーに確執はありません。

BUDDHA BRANDと仲のいいラッパー

 

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BUDDHA BRANDと仲の良いラッパーは、cutting edgeでレーベルメイトでもあり、良き理解者でもあるECDです。

BUDDHA BRANDは帰国後、cutting edgeからデビューしていますが、cutting edgeの担当にBUDDHA BRANDを紹介したのはECDでした。

ECD主催の「さんぴんCAMP」でのライブは伝説ですが、それ以降もBUDDHA BRAND、それぞれメンバーのソロ活動で頻繁にイベントなどで共演しています。

ECDは2018年1月24日に癌で逝去していますが、CQECDについて「一番すごい人でした」と訃報を惜しんでいることから、強いリスペクトがあったことが分かります。

 

注意
本サイトはラッパーさんのバッググランドを知ることで、リリックの意味や楽曲をより好きになってもらうことを目的としています。情報の誤り・追加等につきましては速やかに修正対応させて頂きますのでフォームへご連絡ください。

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