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 KICK THE CAN CREWのメンバープロフィールのwikiまとめ

KICK THE CAN CREW

画像の出典は全て本人のInstagramまたはTwitter

KICK THE CAN CREWKREVALITTLEMCUの3名からなるヒップホップクルーです。

ヒップホップクルーとして紅白歌合戦へ出場するなど、日本語ラップをオーバーグラウンドに押し上げ、KREVAは邦楽ヒップホップのソロアーティスト初のオリコンウィークリーチャート1位、日本武道館公演などの金字塔を打ち立てます。

一方LITTLEは地元八王子愛に溢れる活動、MCUはロックバンドとのコラボレーションやゲーマーとしての活動など、個々の活動でも話題に事欠きません。

満を持して2017年に約14年の沈黙を破りカムバックを果たした、KICK THE CAN CREWを紹介します。

KICK THE CAN CREWのメンバープロフィール

メンバー
  • KREVA・・・MC、トラックメーカー
  • LITTLE・・・MC、リーダー
  • MCU・・・MC
STEP.1
1996年
コンピレーションアルバム「THE BEST OF JAPANESE HIPHOP vol.7」の収録曲「カンケリ」で共演
STEP.2
1997年
KICK THE CAN CREWを結成
STEP.3
2001年

5月23日にシングル「スーパーオリジナル」でメジャーデビュー

STEP.4
2002年

1月23日にリリースしたシングル「マルシェ」が14万枚セールスを記録する大ヒット

第53回NHK紅白歌合戦に出場

STEP.5
2004年
6月20日より活動休止
STEP.6
2017年

8月30日に約14年振りにアルバム「KICK!」をリリースし完全復活

KICK THE CAN CREWはKREVA、LITTLE、MCUからなる、3MCのヒップホップクルーです。

それぞれバックボーンの違う個性のある3人のマイクリレーから「キャラ立ち3本マイク」を自称しています。

2001年5月23日にシングル「スーパーオリジナル」でメジャーデビューを果たすと、実質約3年の活動の中でシングル15枚、アルバム3枚とハイペースでリリースしました。

2002年にはシングル「マルシェ」の大ヒット、紅白歌合戦への出場、翌年2003年には台湾進出など順風満帆に見えましたが、2004年に人気絶頂の中で突如として活動を休止します。

長い活動休止期間を経て2017年に待望の活動再開し、ヒップホップシーンの最前線にカムバックを果たしました。

KREVAのプロフィール

出生名畠山 貴志(はたけやま たかし)
アーティスト名KREVA(クレバ)、DJ908(ディージェー クレバ)
年齢1976年6月18日(現在46歳)
身長177cm
血液型O型
出身地東京都江戸川区葛西
事務所SPEEDSTAR RECORDS
レーベルくレーベル
公式サイトhttps://twitter.com/KREVA_DrK_dj908
STEP.1
幼少期〜小学校時代

青森県弘前市で生まれ、小学校4年生の頃に東京都江戸川区葛西に引っ越す。

サッカーに明け暮れる毎日で、将来の夢は「サッカー選手」だった。

MEMO
家族構成は父親、母親、姉の4人家族
STEP.2
中学校時代

江戸川区立南葛西第二中学校に入学し、ニュージャックスウィングに影響を受けてラップを始める。

MEMO
Bobby Brownの「Every Little Step」のMVに衝撃を受けた。
STEP.3
高校時代

東京都立国際高等学校に入学し、バイト代を貯めてターンテーブルを購入する。

STEP.4
大学時代

慶應義塾大学環境情報学部に入学し、小学校時代の幼馴染のCUE ZEROBY PHAR THE DOPESTを結成

KREVAは青森県弘前市生まれ、東京都江戸川区葛西育ちのラッパー、DJ、トラックメーカー、プロデューサーです。

青森県弘前市生まれましたが父親が転勤族で、千葉、神奈川、東京都引っ越しを繰り返し、小学校4年生の頃に東京都江戸川区葛西に引っ越しました。

KREVA

小学校の頃に見た高校サッカー選手権がきっかけでサッカーにハマった。

無類のサッカー好きで小学校3年生から高校3年生までサッカーを続け、スタッフたちと結成したサッカーチーム「東京忍者」の代表も努めています。

大学には進学するつもりはなかったものの、父親に「せめて大学は出てほしい」と言われ「どうせ入るならいい大学に入る」という想いから、慶應義塾大学環境情報学部に入学しました。

アーティストとしてはラッパーだけでなくトラックメーカー、DJもこなすマルチプレイヤーです。

また、フリースタイルは1999年から2001年までのB-BOY PARKで前人未到の3連覇を達成し、当時のフリースタイルシーンには「KREVAスタイル」と称するフォロワーを多く生み出すなどの輝かしい実績があります。

KICK THE CAN CREW活動休止以降はソロのラッパーとして、2006年2月1日にリリースしたアルバム「愛・自分博」で邦楽ヒップホップのソロアーティスト初のオリコンウィークリーチャート1位、同年に「KREVA TOUR 2006 愛・自分博 〜国民的行事〜」の千秋楽で邦楽ヒップホップソロアーティスト初となる日本武道館公演を果たすなどの金字塔を打ち立てました。

MEMO
MCネームの由来は「clever=賢い、利口」

LITTLEのプロフィール

出生名小島 健司(こじま けんじ)
アーティスト名LITTLE(リトル)
年齢1976年5月7日(現在46歳)
身長156cm
血液型AB型
出身地東京都八王子市
事務所エレメンツ
レーベル徳間ジャパンコミュニケーションズ
公式サイトhttps://twitter.com/akalittle_
STEP.1
幼少期〜小学校時代

1976年5月7日に東京都八王子市で生まれる。

STEP.2
中学校時代

甲ノ原中学校に入学する。

MEMO
元AKB48の高橋みなみと同じ中学校出身
STEP.3
高校時代
レゲエの現場でスピーカー運びなどの手伝いをしながら、音楽活動をスタートさせる。

LITTLEは東京都八王子市生まれのラッパーで、KICK THE CAN CREWではリーダーも努めています。

身長が156cmであることから「東京で一番小さなMC」を自称し、愛称はリッ君です。

LITTLE

MC仁義さんは兄貴だと思っている。

レゲエからキャリアをスタートさせ、一時はMC仁義率いるZINGIに加入していました。

2020年に八王子について歌うユニット「八王子少年」を立ち上げ、タレントのヒロミが主催する八王子会にも名前を連ねるなど、地元八王子に深い愛があります。

ラップスタイルの特徴はとにかく「硬い韻」で、韻に特化したYouTubeチャンネル「愛韻TV」も運営しています。

MEMO
MCネームはRIP SLYMEのPESが命名した。

MCUのプロフィール

出生名小泉 雄志(こいずみ ゆうし)
アーティスト名MCU(エムシーユー)
年齢1973年8月1日(現在49歳)
身長167cm
血液型A型
出身地東京都豊島区巣鴨
事務所エレメンツ
レーベルBMG JAPAN
公式サイトhttps://twitter.com/MCU
STEP.1
幼少期〜小学校時代

1973年8月1日に東京都豊島区巣鴨に生まれ、小学校時代はゲームに明け暮れる。

MEMO
初めて買ったゲーム機はエポックのスーパーカセットビジョン
STEP.2
中学校時代

RUN-D.M.C.のMV「Walk This Way」に衝撃を受けラップを初め、中学の同級生のDJ TATSUTATA-1RADICAL FREAKSを結成する。

MCUは東京都豊島区巣鴨出身のラッパーです。

KREVA、LITTLEより3歳上ということで、メンバーからは「雄志君」と呼ばれています。

小学校の頃からゲーム好きで、芸能界屈指のゲーマー、レトロゲーム収集家としても有名です。

また、ハードオフ公式応援ソング「ラブハドフ」もリリースするほど、自他共に認める無類のハードオフ好きとしても知られています。

RUN-D.M.C.のMV「Walk This Way」を見てラップを始めましたが、ホコ天のバンドブームの影響を色濃く受けていて、THE BOOMFLYING KIDSの大ファンです。

ソロ活動ではTHE BOOMの宮沢和史やFLYING KIDSの浜崎貴志、175Rなどのロックバンドとコラボをしています。

ラップスタイルはロックからの影響を感じさせるトリッキーなフロウ、言葉選びが特徴です。

MEMO
ハードオフの公式アンバサダーも務める。

DJ SHUHOが正式メンバーになれない理由は遅刻

DJ SHUHOはKICK THE CAN CREW結成以前にLITTLEとLITTLE & SHUHO名義で活動し、活動再開以前は専属バックDJとしてライブからメディア出演もしていました。

また、各所で「3MCs+1DJ」「S(LITTLE)M(MCU)L(KREVA)XL(DJ SHUHO)」と表記されるなど、実質的なKICK THE CAN CREWの4人目のメンバーとしてファンには認知されています。

ですが、正式メンバーとしてクレジットされない理由は「遅刻が多いから」です。

しかし、2017年のKICK THE CAN CREW活動再開以降は、DJ SHUHOは参加していません。

MEMO
KICK THE CAN CREW活動再開以降にDJ SHUHOが参加していない理由は明かされていない。

KICK THE CAN CREWが解散した理由

KICK THE CAN CREWが人気絶頂の2004年に解散した理由は、いくつかあります。

KREVA

KICK THE CAN CREWがデカくなりすぎた。

その中で一番大きいのは、KICK THE CAN CREWで活動する上でビジネス、周りの大人がたくさん関わり、メンバー3人ではなく「みんなでKICK THE CAN CREWを動かす」という身動きの取りにくい構図になったことです。

KREVA自身は頭に浮かぶ楽曲のイメージが「トラックメイクからラップまで1人で楽曲を完結させられる」になったことも理由だと語っています。

商業ベースの活動に嫌気が差し、それぞれ個々に自由な活動を求めた結果、KICK THE CAN CREWは「解散」という答えを出しました。

3人の出会い〜結成

KICK THE CAN CREW結成以前、KREVABY PHAR THE DOPESTMCURADICAL FREAKSLITTLELITTLE & SHUHOとして個々に活動していました。

LITTLE

当時の僕とKREVAは声質が似ていたから、声質が違うMCUを誘った。

1996年にリリースされたコンピレーションアルバム「THE BEST OF JAPANESE HIPHOP vol.7」でLITTLE、MCU、KREVAの3人が楽曲「カンケリ」で共演したことをきっかけに意気投合します。

その後、自然な流れで3人で活動することになり、2007年にKICK THE CAN CREWが結成されました。

クルー名の「KICK THE CAN CREW=缶を蹴る奴ら」も、きっかけになった楽曲「カンケリ」が由来です。

注意
もともと「カンケリ」はKREVAプロデュースでLITTLEのソロとして制作される予定だった。

KICK THE CAN CREWのラップスタイル

ラップスタイル
  • キャラが立った3MCの掛け合い
  • ポップからバラードまで音楽性の幅広い楽曲
  • ヒップホップマナーに則ったアティテュード

KICK THE CAN CREWの最大の魅力は、KREVAはヒップホップやニュージャックスウィング、LITTLEはレゲエ、MCUはロックというそれぞれ違うルーツを持つオリジナリティーのある3MCによる掛け合いです。

クルーでありながら異なる音楽性、個性がぶつかり合うマイクリレーとポップからバラードまでこなす幅広い楽曲は、ヒップホップという枠を超えて様々なアーティスト、リスナーにリスペクトされています。

また、楽曲はポップではありますが、サンプリングや硬い押韻などのヒップホップマナーに則ったアティチュードと確かなラップスキルもKICK THE CAN CREWの特徴です。

キングギドラ「公開処刑」

あと芸能系の聴くとカン狂う

K DUB SHINE

キングギドラが2002年10月17日にリリースしたアルバム「最終兵器」の収録曲「公開処刑 feat. BOY-KEN」で、KICK THE CAN CREWをディスしました。

KREVA

「公開処刑 feat. BOY-KEN」がリリースされた当時は最悪だった。思い出したくもない。他の人に同じような思いをさせたくないから、俺はディスはしない。

公開処刑 feat. BOY-KEN」ではKICK THE CAN CREWの他にDragon AshRIP SLYMEもディスし、アルバム「最終兵器」はオリコン最高3位を獲得する好セールスを記録したこともあり、ヘッズの間で大きな話題を集めます。

公開処刑から和解した理由

「公開処刑」というタイトルが誤解を生んだが、俺からすると「後輩への手紙」という感じでリリックを書いた。反省している。

K DUB SHINE

公開処刑 feat. BOY-KEN」がリリースされた後も、K DUB SHINELITTLEは何度も会う機会がありました。

LITTLE

K DUB SHINEさんと会う度に色々なアドバイスをもらい、あの「公開処刑」のリリックの意図を理解した。一緒になって起こってくれた仲間もいるし、いい思い出です。

2019年にLITTLEが運営するYouTubeチャンネル「愛韻TV」にK DUB SHINEがゲスト出演し、楽曲「公開処刑 feat. BOY-KEN」について語っています。

お互いのヒップホップ観の相違点をぶつけ合い、LITTLEK DUB SHINEは和解しました。

活動休止〜完全復活までの流れ

STEP.1
2004年

3月に活動休止を発表

6月20日のライブ「KICK THE CAN CREW LIVE 旅人〜STEP IN THE DAY〜」を最後に活動休止

STEP.2
2008年

8月5日に開催されたROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008KREVAのステージにLITTLEMCUが参加し「イツナロウバ」「アンバランス」を披露

STEP.3
2011年
2月16日にリリースされたKREVAのシングル「挑め」にLITTLEMCUが収録曲「挑め feat. MCU & LITTLE」に参加
STEP.4
2014年
3月5日にリリースされたMCULITTLEからなるユニット「UL」のファーストアルバム「ULTRAP」をKREVAがプロデュース
STEP.5
2017年

6月18日に告知なしで KICK THE CAN CREWとしての新曲「千%」をYouTubeで発表

8月30日に約14年振りにアルバム「KICK!」をリリース

KICK THE CAN CREWは、2004年6月20日に開催されたライブ「KICK THE CAN CREW LIVE 旅人〜STEP IN THE DAY〜」をもって活動休止期間に入ります。

その後、2008年以降に度々メンバー3人が公に集まる機会があり、ファンから活動再開を求める声が上がっていました。

しかし、KICK THE CAN CREWを冠にした活動はない状態が続きます。

KREVA

誰かに「KICK THE CAN CREWをやれ」と言われたら、活動再開はなかった。あくまでメンバー3人のタイミングで活動再開した。

メンバーが活動再開を意識したタイミングは2016年1月で、結成20周年を迎えるタイミングの2017年に向けて、月1曲ペースでKICK THE CAN CREWとして楽曲制作に入りました。

そして来る2017年6月18日にサプライズ的に楽曲「千%」を公開し、完全復活を果たします。

KICK THE CAN CREWのおすすめの楽曲【厳選3選】

KICK THE CAN CREWのキャラの立った3本マイクから放たれるスーパーオリジナルなおすすめの楽曲を厳選して3曲紹介します。

KICK THE CAN CREW / マルシェ

2002年に第53回NHK紅白歌合戦で披露した、KICK THE CAN CREWの代表曲です。

アッパーなパーティーチューンで、三種三様のラップが入り乱れたKICK THE CAN CREWの魅力が詰まっています。

KICK THE CAN CREW

上がってんの? 下がってんの? 皆はっきり言っとけ!(上がってる!) yeah 誰も置いてかない こっちの世界も覗いてかない? 連れてきたい 触れてみたい… てか、全て見たいんだ!
MEMO
曲名の由来はハウス食品のレトルトカレー「カレーマルシェ」

KICK THE CAN CREW / アンバランス (Unbalance)

活動休止以降に初めてKICK THE CAN CREWのメンバーが揃い踏みとなったROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008でも披露された、KICK THE CAN CREWを象徴する楽曲です。

KREVAの壮大なトラックに、不安定な実情をポジティブに払い除けるようなリリックが心に刺さります。

KICK THE CAN CREW

マイアンサー No.1 快感の ワンダーランド 階段を上がんなら そう 今じゃない 今はアンバランス

KICK THE CAN CREW / 千%

KICK THE CAN CREWが新たなフェーズの幕開けを感じさせる、活動再開後に発表された一発目の楽曲です。

これまでのKICK THE CAN CREWらしさを残しつつ、個々の活動でスキルアップした3人のラップは、往年のファンから新規のリスナーまで唸らせる仕上がりです。

KICK THE CAN CREW

俺は 1000% 俺を抜いて 前を向いて なんなら進んでる 俺は 1000% 俺を抜いて 前を向いて なんなら進んでる 今 言える 言えてる あの日もあの日も俺の本気は嘘じゃない 経て からの ここ
千%制作秘話

KREVA

千%のトラックはすごく手が込んでいる。

KICK THE CAN CREWの千%のトラックは、まずサンプリングネタのコード進行に近いコード進行で新たに曲を作ることから始めています。

サンプリングネタに近いコード進行の新たな曲をベースに様々な音を重ね、納得のいくストリングスが完成したあとに、ソウルのフェイクを何パターンも重ねて完成させました。

ヒップホップのポピュラーな「サンプリング」は既存の楽曲のフレーズを抜き取って作りますが、千%サンプリング元を参考に新たに弾き直してトラックを作り上げています。

KICK THE CAN CREWと仲の良いラッパー

仲の良いラッパー
  • RHYMESTER
  • RIP SLYME
  • CUE ZERO
  • MELLOW YELLOW
  • EAST END
  • DABO
  • RYO THE SKYWALKER
  • NG HEAD

KICK THE CAN CREWは、RHYMESTERが主催するFUNKY GRAMMAR UNITに所属するラッパーを中心とした、2000年代を代表する東京のラッパーと深い交流があります。

KREVAの「音色」はすごくいいと思った。俺がKREVAANARCHYを紹介して「DABO,ANARCHY,KREVA / I REP」が生まれた。

DABO

オーバーグラウンドで活躍するFUNKY GRAMMAR UNIT周りのラッパーだけでなく、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDDABOとも楽曲やライブで頻繁に共演しています。

また、レゲエシーンで活躍するDeejayとも交流があり、KICK THE CAN CREW名義の楽曲だけでなく、KREVAのソロ名義でもレゲエシーンとリンクした活動をしています。

RHYMESTER

KREVA

RHYMESTERを聴いた瞬間に「自分のやりたいラップはこれだ」と感じた。

KICK THE CAN CREWとRHYMESTERは、RHYMESTERが主催するユニット「FUNKY GRAMMAR UNIT」で活動を共にする、古くからの仲です。

KICK THE CAN CREW、それぞれのソロも含めて楽曲、ライブでの共演も多く、KICK THE CAN CREWのメンバーはRHYMESTERをリスペクトしています。

KICK THE CAN CREWはスキルが高く、しっかりラップの上手さを楽曲に落とし込んでいる。しかも、それで売れている。簡単にできることではない。

宇多丸

RHYMESTERも後輩として可愛がっているだけでなく、KICK THE CAN CREWをヒップホップ、ラッパーとしてしっかり評価しています。

RIP SLYME

KREVAがまだBY PHAR THE DOPESTをやっている20年以上前から会っている。

RYO-Z

KICK THE CAN CREWとRIP SLYMEは同じFUNKY GRAMMAR UNITとして活動し、お互いがメジャーデビュー前から苦楽を共にする仲です。

KREVA

メジャーデビューするのもブレイクするのも、いつもRIP SLYMEが先だった。

キャリアは同じくらいですが、歳はRIP SLYMEのメンバーの方が若干上で、FUNKY GRAMMAR UNITにもRIP SLYMEのほうが先に加入しています。

メジャーデビュー前から頻繁にクラブで顔を合わせては、フリースタイルをしたり、話たりするほど頻繁に交流していました。

出会いから20年以上経た今でも交流があり、対談などで昔話に花を咲かせています。

注意
本サイトはラッパーさんのバッググランドを知ることで、リリックの意味や楽曲をより好きになってもらうことを目的としています。情報の誤り・追加等につきましては速やかに修正対応させて頂きますのでフォームへご連絡ください。

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