SOUL SCREAM(ソウルスクリーム)はHAB I SCREAM、E.G.G. MAN、DJ CELORYからなる2MC、1DJのクルーです。
さんぴんCAMP以前の日本語ラップ黎明期から活躍し、日本語ラップ屈指のクラシック「蜂と蝶」や「TOu-KYOu」を世に送り出しました。
詩的、文学的なリリックと対極な2MCの掛け合いは、現在の日本語ラップシーンにも多大な影響を与え続けています。
2020年に18年振りに活動を再開しシーンに舞い戻った、レジェンドラッパーのSOUL SCREAMを紹介します。
目次
SOUL SCREAMのメンバープロフィール
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SHIKIが脱退
シングル「TOu-KYOu」でメジャーデビュー
シングル「Love, Peace & Happiness」で約18年振りに活動再開
SOUL SCREAMは東京都を拠点に活動する、HAB I SCREAM、E.G.G. MANの2MCとDJ CELORYからなるヒップホップクルーです。
前身のPOWER RICE CREWからソロ活動も含め30年以上のキャリアを持つベテランですが、代表曲の「蜂と蝶」や「TOu-KYOu」は現在でもMCバトルで使われることも多く、日本語ラップシーンに現在でも影響を与えています。
HAB I SCREAMとE.G.G. MANの対極のラップスタイルが入り乱れるコンビネーションと文学的なリリック、DJ CELORYのシンプルでありながら耳に残るトラックがSOUL SCREAMの最大の魅力です。
EAST END、スチャダラパーのヒットにより「マス対コア」の縮図となった混沌とした90年代の日本語ラップシーンにおいて、日本語でラップをすることをスピリチュアルかつ芸術に昇華させたSOUL SCREAMの功績を計り知れません。
「ヒップホップ=不良、ギャングスタ」を「知性のある音楽」に変えたSOUL SCREAMのリリシズムは、多くのラッパーからリスペクトされています。
HAB I SCREAMのプロフィール
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出生名 | 羽深 真(はぶか しん) |
アーティスト名 | HAB I SCREAM(ハブ アイ スクリーム) |
年齢 | 1973年9月3日(現在49歳) |
身長 | 非公開 |
血液型 | 非公開 |
出身地 | 千葉県 |
事務所 | – |
レーベル | ポニーキャニオン |
公式サイト | https://twitter.com/habiscream |
HAB I SCREAMは、SOUL SCREAMのラッパー兼リーダーです。
HAB I SCREAM
鼻声のような声から放たれるフロウとメッセージ性のあるリリックはオリジナリティー性が高く、SOUL SCREAM活動休止中も積極的にソロ活動を行っていました。
社交性も高く、兄貴分的な性格から様々なラッパーに慕われています。
ラッパー以外にも映画のサウンドプロデュース、俳優としてドラマや舞台に出演するなど、マルチな活動も目が離せません。
E.G.G.MANのプロフィール
曲選んでる時に、一人でちょー騰がった!!明日が楽しみでしょうがない・・。明日おじゃまさせていただきます。#WREP pic.twitter.com/9GXyUHOkqn
— イジジマン (@e1g4g1) May 19, 2021
出生名 | 石井 孝弘(いしい たかひろ) |
アーティスト名 | イジジマン |
年齢 | 1973年 |
身長 | 非公開 |
血液型 | 非公開 |
出身地 | 千葉県 |
事務所 | – |
レーベル | ポニーキャニオン |
公式サイト | https://twitter.com/e1g4g1 |
E.G.G. MANはSOUL SCREAMのラッパーです。
HAB I SCREAMとは幼馴染で、矢継ぎ早に言葉を放つ攻撃的なフロウと硬い押韻が特徴です。
2002年にアルバム「FUTURE IS NOW」をリリース後、大阪でのライブ終わりに車に轢かれる交通事故に遭い、音楽活動休止を余儀なくされます。
命に別状はありませんでしたが、ライブ活動に支障が出るほどの後遺症が残っていました。
E.G.G. MAN独特の言い回しを使ったリリックやスタイルは、KGE THE SHADOWMENやサイプレス上野などのラッパーも影響を公言しています。
DJ CELORYのプロフィール
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出生名 | 成瀬 智征(なるせ ともゆき) |
アーティスト名 | DJ CELORY(ディージェー セロリ)、Mr.BEATS(ミスター ビーツ) |
年齢 | 1975年10月1日(現在47歳) |
身長 | 173cm |
血液型 | A型 |
出身地 | 東京都世田谷区南烏山 |
事務所 | – |
レーベル | ポニーキャニオン |
公式サイト | https://twitter.com/DJCELORY |
小学校6年生の時に聴いた2 Live Crewがきっかけでヒップホップを好きになる。
映画「Juice」に影響を受けてDJを始める。
DJ CELORYはSOUL SCREAMのDJ兼トラックメイカーです。
愛称は「成瀬さん」「ビーツさん」で、歴史好きでライブの合間に趣味の史跡巡りをしています。
また、熱狂的なサッカー好きで、好きなチームはFC東京です。
DJ CELORY
SOUL SCREAMとしての活動だけでなく、ZeebraやYMO、佐野元春などのヒップホップ内外の国内アーティスト、TALIB KWELIやO.C.などのUSラッパーとのコラボ、フリースタイルダンジョンの2代目DJを務めるなど、フットワークの軽さも持ち合わせています。
ヒップホップだけでなくレゲエ、ソウル、ファンクなど幅広い選曲眼と、シンプルながら耳に残るトラックメイクを得意としています。
SOUL SCREAMのラップスタイル
- 文学的なリリック
- 固い押韻
- 個性的な2MCによる掛け合い
SOUL SCREAMのラップスタイルは、固い押韻と文学的なリリックが特徴です。
黎明期の日本語ラップはフロウや押韻を重視したスタイルが主流でしたが、SOUL SCREAMのリリックは文学作品からのオマージュも含め、リリシズムとして昇華しています。
高い文学性に加え、頭韻と脚韻を織り混ぜ、押韻という面でもヒップホップのリリックとして完成されています。
鼻声のような特徴的な声と小節間で区切りをつけるフロウのHAB I SCREAMと畳みかけるようなフロウのE.G.G. MANの対照的な2MCのコントラストも魅力です。
SOUL SCREAMの結成秘話
SOUL SCREAMはもともとPOWER RICE CREWとして活動していたHAB I SCREAM、E.G.G. MAN、ALGに、DJ CELORYとSHIKIが加入する形で結成されました。
DJ CELORY
出会いはDJ CELORYが箱DJをしていた錦糸町のCLUB NUDEで、当時POWER RICE CREWのファンでもあったDJ CELORYをHAB I SCREAMとE.G.G. MANが誘って、SOUL SCREAMの結成に至ります。
Bro.KORN事件の真相
HAB I SCREAM
Bro.KORN事件とは、1994年頃にBro.KORNがHAB I SCREAMを殴打した事件です。
E.G.G. MAN
ことの発端は楽曲「Free Way」でE.G.G. MANが、 EAST ENDのヒット曲「DA.YO.NE」をオマージュしたラインでEAST ENDをDisしたことです。
このDisに対し、EAST ENDを弟分のように可愛がっていたBro.KORNが激怒しました。
ある日、Bro.KORN主催のイベントにRHYMESTERの代役としてSOUL SCREAMが出演し、Bro.KORNの前で楽曲「Free Way」を披露したことで事件に発展します。
激昂したBro.KORNが格闘家を含めた取り巻き50人でSOUL SCREAMの楽屋に殴り込み、SOUL SCREAMもメンバー6人で応戦するあわや大乱闘寸前の事態になりました。
事態を収集させたのはMC仁義
MC仁義
騒ぎを聞きつけたZINGIのMC仁義が仲裁する形でその場は収まります。
YOU THE ROCK★
G.K.MARYAN
SOUL SCREAMと親交のあるラッパーの発言、CDショップではSOUL SCREAMのCDの紹介コメントがBro.KORNに向けて「暴力は良くない」と言う趣旨のものもあり、インターネットが普及していない時代ということもありヘッズに湾曲して広まっていきました。
名盤「THE DEEP」の裏話
Soul ScreamのTHE DEEPは自分クラシック
— pσчσчσ ぽよ_よ_(ФωФ) (@miso_pytc) March 29, 2022
1996年7月7日に伝説のヒップホップイベント「さんぴんCAMP」に出演し、日本語ラップブームが全国に広がる中、ファーストアルバム「THE DEEP」が同年7月31日にリリースされました。
荒削りながらSOUL SCREAMの初期衝動、当時の日本語ラップの熱狂をそのままパッケージしたような熱量溢れる名盤です。
DJ CELORY
セカンドアルバム「The positive gravity ~案とヒント~」以降全てのアルバムで全曲、DJ CELORYがプロデュースしていますが、ファーストアルバム「THE DEEP」はDJ CELORYのプロデュースが4曲で、他の楽曲は親交のある外部プロデューサーを迎えて制作されています。
日本語ラップ史の中でコンシャスラップという観点における金字塔で、今もなおクラシックとして語り継がれています。
幻の名曲「Free Way」
さんぴんCAMPでも披露された「Free Way」は、フル尺でオフィシャルリリースされていない幻の名曲です。
HAB I SCREAM
プロデュースはDJ BEATで、ファーストアルバム「THE DEEP」に「自由街道」として収録されました。
しかし、アルバム自体が廃盤になっていることから、現在では知る人ぞ知る日本語ラップのクラシックとして語り継がれています。
SOUL SCREAMのおすすめの楽曲【厳選3選】
数多くのラッパーに影響を与え続けるSOUL SCREAMのおすすめの楽曲を厳選して3曲紹介します。
SOUL SCREAM / 蜂と蝶
日本語ラップの歴史に燦々と輝く、SOUL SCREAMのクラシックです。
攻撃的に飛ぶ蜂とゆらゆら舞うように飛ぶ蝶は、対照的なラップスタイルのHAB I SCREAMと E.G.G. MANを見事に比喩しています。
固い押韻と知性溢れるリリシズム、2MCの掛け合いが聴き所です。
SOUL SCREAM
蜂と蝶の元ネタ
「蜂と蝶」の元ネタはPaul Parrishの「The Painter」です。
Paul Parrishはアメリカのシンガーソングライターで、名盤と名高い68年作「THE FOREST OF MY MIND」に収録されています。
印象的なイントロのフレーズをループさせ、原曲の浮遊感も残したサンプリングです。
SOUL SCREAM / TOu-KYOu
2022年3月23日に盟友であるRHYMESTER、Zeebra、K Dub Shine、DJ Oasis を迎えてリメイクした「TOu-KYOu 2021 feat. RHYMESTER、Zeebra、K Dub Shine、DJ Oasis」がリリースされたことでも話題になった楽曲です。
タイトルは「東京」と「問う今日」のダブルミーニングになっています。
現代の日本に向けられたメッセージ性の強いリリックは、現在でも心に響く内容です。
SOUL SCREAM
TOu-KYOuの元ネタ
「TOu-KYOu」の元ネタは、Champaignの「I’m On Fire」です。
「蜂と蝶」と同様に、原曲の雰囲気を大きく残したままサンプリングしています。
同曲をSHUSHI BOYSのHARMHOUSEも同ネタをサンプリングするなど、新旧日本語ラップリスナーに馴染みのあるネタです。
SOUL SCREAM / Love,Peace & Happiness
18年という長い沈黙を破りリリースされた、SOUL SCREAMの待望の新曲です。
DJ CELORYの耳に残るビートに、コロナ禍で病んだ世界へのHAB I SCREAM、E.G.G. MANのメッセージが詰まっています。
18年待ち望んだヘッズからリアルタイムでSOUL SCREAMを知らないリスナーまで、日本語ラップファンなら誰もが首を振るクオリティーはさすがの一言です。
SOUL SCREAM
SOUL SCREAMと仲の良いラッパー
- Zeebra
- RHYMESTER
- MICROPHONE PAGER
- ECD
- BUDDHA BRAND
- YOU THE ROCK★
- MELLOW YELLOW
SOUL SCREAMは、日本語ラップ黎明期から活躍するレジェンドラッパーたちと古くから交流があります。
まだSOUL SCREAM名義で音源をリリースする前から、さんぴんCAMPに出演することになるラッパーたちと切磋琢磨してきました。
DJ CELORY
さんぴんCAMPのメンバーとは現在でも楽曲やメディアでの共演があり、さんぴんCAMPから25年以上が経った現在でも交流が続いています。
Zeebra
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ZeebraとSOUL SCREAMのメンバー全員は、25年来の友人であり戦友です。
特にDJ CELORYはZeebraのバックDJを務め、代表曲「Street Dreams」のプロデュースやZeebraがオーガナイザーを務めた番組「フリースタイルダンジョン」のDJにも抜擢するほど、熱い信頼を置いています。
Zeebraの方がDJ CELORYより4歳も歳上ですが、音楽性、人間性共にリスペクトする関係です。
Street Dreams誕生秘話
DJ CELORYが27歳の時に制作した代表曲「Street Dreams」は、トラックが出来上がってからしばらく温められていました。
DJ CELORY
ある日Zeebraから「ビートを聞かせてほしい」と連絡があり、当時近所に住んでいたこともあり「Street Dreams」を含む5曲ほどトラックを持って自転車でZeebraの家に向かいます。
トラックを聞いたZeebraは真っ先に「Street Dreams」のトラックを選び、クラシック「Street Dreams」が完成しました。