まるで本物?合法リキッドでキマる

Nujabesの偉大さとその人生について

Nujabes(ヌジャベス)とは

広告及びプロモーションが含まれています。

Nujabesは東京都港区西麻布出身で、2010年2月26日に逝去したトラックメイカー、プロデューサーです。

ヒップホップをベースにジャズやソウル、クラシックなど様々なジャンルを取り入れ、Nujabes独自の選曲眼からチョイスされたサンプリングビートは、没後10年以上が経過した現在も多くのリスナーの心を掴んで離しません。

アニメ「サムライチャンプルー」やShing02との「Luv(sic)」シリーズなどの影響で海外での知名度も高く、J Dillaと並んで「Lo-fi Hip Hop(ローファイ・ヒップホップ)」の開拓者として世界中でフォロワーを獲得しています。

Nujabesを見ていて「いい音楽はやはり認められるものだ」と確信した。

日高良太郎 onepeace CEO

メディアにほとんど出ないミステリアスな存在ながら、純粋に音楽のみで国内外から高い評価を獲得し続けるNujabesの魅力に迫ります。

目次

Nujabesのプロフィール

 

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出生名山田 淳(やまだ じゅん)
アーティスト名Nujabes(ヌジャベス)
年齢1974年2月7日〜2010年2月26日
身長非公開
血液型非公開
出身地東京都港区西麻布
事務所HYDEOUT PRODUCTIONS
レーベルHYDEOUT PRODUCTIONS
公式サイトhttps://twitter.com/tribemusic

Nujabesは1974年2月7日生まれ、2010年2月26日に逝去した、東京都港区西麻布出身のトラックメイカー、DJ、プロデューサーです。

他にもインディペンデントレーベル「HYDEOUT PRODUCTIONS」の主宰、レコードショップ「GUINNESS RECORDS」「TRIBE RECORDS」の運営に携わるなど、マルチに活動していました。

父親は国税局に勤めていて、Nujabesがまだ大学生だった21歳の頃に渋谷区宇田川町でレコードショップ「GUINNESS RECORDS」オープンさせた後に、トラックメイクを本格的に開始します。

ヒップホップをベースにジャズ、ソウルなどのブラックミュージックをサンプリングしたNujabesの生み出すトラックは、アナログ中心のリリースに加えてほとんどメディアに出ないスタンスながら、純粋に音楽のみでリスナーの心を掴みました。

その後、アニメ「サムライチャンプルー」の音楽を担当したり、Shing02との「Luv(sic)」シリーズがきっかけで、世界各国で高い評価を得ます。

実は亡くなる前に人気ゲーム「ファイナルファンタジー」やジブリ音楽で有名な久石譲とのプロジェクトも進めていた。

日高良太郎 onepeace CEO

2010年2月26日に交通事故で突如としてこの世を去ることになりますが、近年盛り上がりを見せる「Lo-fi Hip Hop(ローファイ・ヒップホップ)」のパイオニアとして、没後10年以上が経過した現在でも、世界中のリスナーから愛されています。

注意
GUINNESS RECORDSの設立に父親は猛反対していた。

Nujabesの名前の意味と由来

アーティストネーム「Nujabes」は、ペンネームとして使っていた「瀬葉 淳(せば じゅん)」のローマ字表記「SEBA JUN」を逆から読んだことが由来です。

Nujabesは音楽誌「SUBURBIA SUITE」にライターとして参加していて、1995年からライター名として「瀬葉 淳」と名乗り始めました。

その後、トラックメイカーとして活動するにあたり、アーティストネームを「Nujabes」としています。

死因は交通事故

Nujabesは2010年2月26日に交通事故により、36歳という若さで逝去しました。

東京都港区内の首都高速を降りてすぐの地点で事故に遭い、病院に搬送されましたが、そのまま息を引き取っています。

訃報が正式にアナウンスされたのは2010年3月18日で、それまでの間は親しい一部の関係者にしか知らされていません。

Nujabesの死を知って、悲しいというより信じられない気持ちが強かった。

Shing02

不慮の事故ということもあり、国内外のアーティスト、リスナーからは驚き、悲しみの声が上がりました。

インタビューや取材はほとんど受けない

Nujabesは生涯にわたり、インタビューや取材はほとんど受けないスタンスを貫きました。

恐らくNujabesは戦略的に取材を受けていなかったと思う。

橋本徹

Nujabes自身は取材やインタビューを受けない理由を語ることはありませんでした。

しかし、音楽誌「SUBURBIA SUITE」の編集長でNujabesと親交の深かった橋本徹は「戦略的なものだった」と語っています。

Nujabesは注目されたばかりの頃はレコードが店頭に並ぶだけで、活動歴や国籍などもほとんど知られていないミステリアスな存在でした。

結果的にそのミステリアスが、Nujabesが神格化された一つの要因です。

海外での評価

Nujabesは海外でも高い評価を受けていて、2018年に音楽ストリーミングサービスのSpotifyが発表した「海外で最も再生された国内アーティスト」ランキングで、ONE OK ROCKとRADWIMPSに次ぐ3位を獲得しました。

Nujabesが海外のリスナーに認知された大きなきっかけが、2004年から放送された海外でも人気の高いアニメ「サムライチャンプルー」の音楽をNujabesが担当したことです。

Nujabesは楽曲は当然、アートワークにも強いこだわりがあった。だからこそ、海外の人もジャケットを見て購入するパターンもあった。

日高良太郎 onepeace CEO

アートワークも含めてNujabesの作品には一切妥協がなく、日本人特有の美意識、繊細さ、哀愁を感じられる作品であることも、海外で評価された理由です。

また、Nujabesがほとんどメディアに出なかったスタンスを貫いたことも、音楽面のみで海外で評価される土壌となりました。

2016年からサブスク解禁

Nujabesの楽曲は2016年から順次、SpotifyやApple Musicなどの音楽配信サービスで配信を解禁しました。

解禁された作品はCDでリリースされているのもに加えて、入手困難なアナログでのみリリースされている作品も含みます。

Nujabesは生前から自分の音楽を配信することにピンときていなかった。アナログに対する愛が深かった人ですし。

日高良太郎 onepeace CEO

音源のデジタル配信や著作権はNujabesが生前に親交の深かった日高良太郎がCEOを務めるonepeaceが所有していて、作品の原盤権はNujabesの父親が所有しています。

NujabesonepeaceのCEOを務める日高良太郎HYDEOUT PRODUCTIONSのA&Rに何度も勧誘するほど、信頼を置いている人物です。

Nujabesの生前に音楽配信について提案したことはありますが、断られている経緯もありました。

サブスク解禁に至るまでの苦労

Nujabesは「もし配信をするならonepeaceで」という言葉も残していて、約3年にも渡りNujabesの父親を「より多くの人にNujabesの音楽を聴いてほしい」と説得したことで音楽配信が実現しました。

しかし、インターネット上には「Nujabesの作品と偽った全く別のアーティストが作った作品」が多くアップロードされている現状に加えて「Nujabes本人が配信を望まないであろう作品もあるかもしれない」という気持ちから、まずは配信する作品の選定から取りかかります。

Nujabesのお父さんも配信にあたって、親身に動いてくれた。今ではNujabesの一番の理解者であることは間違いないです。

日高良太郎 onepeace CEO

配信する作品の選定にはNujabesの父親を含め、Nujabesと親交のあった人間と数えきれないほど会話を交わして、Nujabesの残した想いを最大限に尊重できるように進めていきました。

実弟が経営するラーメン店「神泉のらぁめん屋 うさぎ」

Nujabesの実弟は、東京都渋谷区神泉町で人気ラーメン店「神泉のらぁめん屋 うさぎ」を経営しています。

カウンター11席の店内ではBGMとしてNujabesの楽曲が流れていて、ファンの間では「Nujabesの聖地」として有名です。

また、店内にNujabesのサイン入りポスターやトイレにはShing02直筆の「Luv(sic) pt.2」の歌詞が貼られています。

神泉のらぁめん屋 うさぎ
〒150-0045 東京都渋谷区神泉町8-13

Nujabesの凄さとは?トラックメイクスタイル

トラックメイクスタイル
  • ループ感を重視したサンプリング
  • 後期は生演奏や多様なジャンルを取り入れる
  • 哀愁のある繊細なサウンドメイク

Nujabesのトラックメイクの最大の魅力は、ループ感を重視したサンプリングにあります。

Nujabes

最高の2小節を見つけたい。それが自分のサンプリングに対してのこだわりです。

Nujabesが活動していた1990年代~2000年代のヒップホップシーンはサンプリングソースを細かく切り刻むサンプリング手法が主流でしたが、Nujabesはあえてサンプリングソースを活かすサンプリング手法を取っています。

そのサンプリングソースも独特で、ヒップホップのトラックのサンプリングソースとしては定番のジャズやソウルなどのブラックミュージックはもちろん、名曲「Reflection eternal」の「巨勢典子 / I Miss You」のようなNujabesならではの選曲眼も特徴的です。

また、活動後期にはNujabesが思い描くメロディーをサンプリングではなく生演奏で表現したり、ハウスやボサノバ、ヒーリングミュージックといった様々なジャンルの音楽をサンプリングするなど、音楽性に大きな変化がみられました。

しかし、日本人らしい哀愁、儚さを感じられる繊細なトラックメイクを貫いていて、緻密に計算されて一切妥協を許さない姿勢で作られていたことが、没後10年以上経過してもなおNujabesの作品が世界中で愛される理由です。

トラックメイクを始めたきっかけ

 

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Nujabesが本格的にトラックメイクを始めたのは1998年頃です。

Nujabes

高校生の頃にトラックメイクのようなことをしていたことはあったが、すぐに辞めた。好きな楽曲をサンプリングした音楽を聴きたいという気持ちから、トラックメイクを再開した。

元々トラックメイクに近い音楽制作は高校生の頃に始めましたが、ハマることなく辞めました。

その後、GUINNESS RECORDSの設立を経て「自分の好きな古いジャズやソウルをサンプリングした音楽を聴きたい」という欲求が強くなっていきます。

シーケンサーはMARK OF THE UNICORN Performer、サンプラーはAKAI PROFESSIONAL S3000、レコーダーはROLAND VS-880、ミキサーにROLAND M-12Eを買い揃えて、トラックメイクを本格的に再開しました。

好きなレコードからサンプリングして、そこにさらに別のサンプルを重ねてループを作り、そのループに快感を覚えてトラックメイクにのめりこんでいきます。

Nujabesサンプリングとループにこだわって音楽活動をしてきた原体験となりました。

サンプリングから生演奏主体へ移行した理由

 

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Nujabesはセカンドアルバム「Modal Soul」を境に、サンプリングから生演奏主体のトラックメイクへ移行しています。

Nujabes

サンプリングを主体にトラックメイクしていたら、近い将来、著作権問題で大変なことになる可能性がある。

これまでサンプリングに強いこだわりがあったNujabesですが、生演奏主体のトラックメイクに移行した理由は「将来的な著作権問題を危惧したため」です。

音楽プロデューサーであり様々な楽器を演奏することができるマルチプレーヤーのUyama Hirotoとの出会いもあり、Nujabesの楽曲イメージを楽器の生演奏により具体化する楽曲制作にシフトしていきます。

Nujabes自身もピアノやフルート、サックスといった楽器の練習に取り組み、部屋にはボンゴやコンガなどのパーカッション楽器もたくさんありました。

また、Nujabesは「自分のオーケストラを作る」と口にしていて、周囲に自身のオーケストラを使用した楽曲制作の環境を作る構想があることを語っています。

自主レーベル「HYDEOUT PRODUCTIONS」

Nujabesは1999年にインディペンデントレーベル「HYDEOUT PRODUCTIONS」を設立して、生前に主宰を務めています。

HYDEOUT PRODUCTIONSは当初アナログレコードのみのリリース形態をとっていましたが、1999年の設立から2003年のファーストアルバム「Metaphorical Music」のリリースまで、30枚以上の12インチシングルをリリースしました。

また、リリースペースもハイペースでありながら、ハイクオリティーな楽曲をリリースし続けたことで、早い段階からリスナーからの支持を集めています。

Nujabes

HYDEOUT PRODUCTIONSからリリースする作品は、自分名義も含めてサンプリングがメインです。

HYDEOUT PRODUCTIONSからリリースされる作品の特徴として、Nujabes作品と共通した「サンプリングにこだわった楽曲」を主軸としている点です。

リリースされる全ての楽曲にNujabesが関わっていて、Nujabesの音楽に対する美意識、こだわりがレーベル作品全てに詰まっています。

Nujabesの音楽活動における軌跡といっても過言ではないレーベルです。

注意
設立当初の表記は「HYDE OUT PRODUCTIONS」

プライベートスタジオ「Park Avenue Studio」

Nujabesは1993年3月に渋谷区神南のマンションの一室にプライベートスタジオ「Park Avenue Studio」を設立しました。

そしてPark Avenue Studio設立以降、Shing02との「Luv(sic)」シリーズを始めとする様々な名曲を含めた全てのNujabesワークスが、このスタジオで制作、レコーディングされています。

Nujabes

作ったトラックを送ってラップを乗せてもらうことはできるが、面識のないMCと一緒に楽曲を作りたくないし、意見交換もできない。費用はかなりかかるが、このスタイルを一貫して貫いてきた。

当時から海外アーティストとの楽曲制作の主流はでデータのやり取りによるものでしたが、Nujabesは共演する海外アーティストを自費でPark Avenue Studioに呼んでいました。

また、それは国内のアーティストも同様で、Nujabesの全て作品は一貫してはPark Avenue Studioで制作されています。

Nujabesはほとんど英語は話せませんでしたが、実際に共演する海外アーティストにも臆することなく通訳なしで意見をぶつけるスタイルで楽曲制作に向かっていました。

一切妥協を許さない姿勢も、共演するアーティストにリスペクトされる理由のひとつです。

GUINNESS RECORDSの運営

Nujabesはまだ大学生だった1995年7月に、渋谷区宇田川町の高野ビルの4階にレコードショップ「GUINNESS RECORDS」をオープンさせています。

CISCOManhattan Recordsなどの有名店が軒を連ねる世界でも有数のレコードショップ密集地帯である渋谷区宇田川町で、Nujabes独自のアンテナで世界中の良質ならレコードがセレクトされていて、コアな音楽ファンに熱い支持を集めていました。

Nujabes

自分はGUINNESS RECORDSのオーナーとして、世界中の様々なジャンルの音楽を聴いているという自負がある。

他のレコードショップとは異なるレコードの品揃えに加え、内装や家具にもこだわったNujabesの世界観が惜しみなく表現されたレコードショップでした。

また、Nujabes自身はレコードショップのオーナーとして「世界中の様々なグッドミュージックに触れている」という自負が強くあり、音楽制作にも大きな影響を及ぼしています。

GUINNESS RECORDSNujabesの初期衝動と世界観が詰まった、Nujabesのルーツといえる場所です。

MEMO
2010年6月30日に閉店

レコードショップ・TRIBE RECORDS

NujabesはGUINNESS RECORDS設立後に、新たなレコードショップ「TRIBE RECORDS」を設立しています。

TRIBE RECORDSのレコードを含めた置いてあるすべてのものは、Nujabes自身が海外から仕入れたものです。

Nujabes

TRIBE RECORDSは「HYDEOUT PRODUCTIONSの延長」だと思っている。店内に置かれているレコードに影響を受けて、才能のあるトラックメイカーが生まれることを望んでいる。

ファンデーションを中心とした古いレコードが豊富に店内に並んでいて「この店から次世代のトラックメイカーが生まれてほしい」というNujabesの願いもありました。

店舗マネージャーはトラックメイカーとして活躍するFKが務めていたり、Nujabesの活動後期を支えた重要なスポットです。

Nujabesのおすすめの楽曲【最高傑作3選】

全世界中のリスナーを魅了し続けるNujabesの最高傑作を厳選して3曲紹介します。

Nujabes / Reflection eternal

2005年にリリースされたセカンドアルバム「Modal Soul」の収録曲で、Nujabesのリリースした楽曲の中でも特に人気が高い楽曲です。

印象的なピアノのループが「巨勢典子 / I Miss You」で、ボーカル部分は「Kenny Rankin / Marie」をサンプリングしています。

MEMO
タイトルの意味は「現在の自己の存在は過去の先人達の反映である」

Nujabes / Blessing It -remix- feat. Substantial & Pase Rock from Five Deez

ファーストアルバム「Metaphorical Music」のオープニングトラックであり、2002年にアナログリリースされてヒットした「Blessing It feat. Substantial & Pase Rock from Five Deez」のリミックスヴァージョンです。

Nujabesの楽曲ではお馴染みのSubstantialPase Rockによるマイクリレーと「Pharoah Sanders / Save Our Children」をサンプリングした軽快なビートは、初期作品ながら強いオリジナリティーを感じられます。

Nujabes / Don`t Even Try It feat. Funky DL

2000年にシングルリリースしてNujabes、そしてFunky DLの名前をアンダーグラウンドシーンに轟かせた初期の名曲です。

Friends Of Distinction / When A Little Love Began To」のピアノフレーズを大胆にサンプリングしたトラックは中毒性が高く、2000年にはすでに「Nujabesのサウンドスタイル」が確立されていたことを証明しています。

Shing02との「Luv(sic)」シリーズ

「Luv(sic)」シリーズ一覧
  • Luv(sic) Pt.1 feat. Shing02
  • Luv(sic) Pt.2 feat. Shing02
  • Luv(sic) Pt.3 feat. Shing02
  • Luv(sic) Pt.4 feat. Shing02
  • Luv(sic) Pt.5 feat. Shing02
  • Luv(sic) Grand Finale feat. Shing02

Nujabes、Shing02の両者にとっての代表作となったのが「Luv(sic)」シリーズです。

HYDEOUT PRODUCTIONSより全6曲リリースされていて、全ての楽曲にラップでShing02が参加しています。

また、前半3部作、後半3部作と分かれていて、本来は前半3部作で完結する予定でした。

「Luv(sic)」は前半の3部作で完結している状態だった。Nujabesから続編の話があったが、前作を超えるものを作らないと意味がないと思っていた。だから僕は最初、続編には乗り気がしなかった。

Shing02

前半3部作が「音楽の女神に宛てて書いた手紙」というコンセプトで完結しましたが、後半3部作は「新たな出会い〜別れ〜再会」というコンセプトで制作が開始されました。

Luv(sic) Pt.4」「Luv(sic) Pt.5」はNujabesの生前に制作を開始しましたが「Luv(sic) Pt.6」はNujabesの携帯に「Grand Finale」と題名が付けられたビートが見つかったことがきっかけで、Nujabesの没後に制作が開始されています。

始まりは一通のメール

NujabesとShing02が「Luv(sic)」を制作するきっかけとなったのが、2000年にNujabesが Shing02に「一緒に12インチシングルを作りたい」という内容のメールでした。

Nujabesの第一印象は「マイペースな人」だった。

Shing02

当時のShing02はアメリカ合衆国カリフォルニア州コントラコスタ郡エルサリート市に住んでいて、Nujabesのことは全く知らない状態でした。

その後、Shing02が日本に一時帰国した際に、Shing02が友達の家に行くついでにNujabesに会いに行き、そこで初対面を果たします。

の中でNujabesShing02にビートを聴かせて、Shing02も自分の楽曲を聴かせましたが、特に盛り上がることなくその場はお開きになってしまいました。

Luv(sic)へ繋がる奇跡

初対面の時は特に「一緒に楽曲を作ろう」という話にはならず、Shing02はNujabesからビートテープを貰って帰宅します。

Nujabesのビートを初めて聴いた時の印象は「普通にかっこいい」という程度だった。

Shing02

Nujabesからビートテープを貰って2ヶ月ほど経過したある日、突然ジャズピアニストの高瀬アキの「MInerva’s Owl」をサンプリングした、後に「Luv(sic) pt.1」となるビートを聴いて「このビートで曲が作りたい」と思います。

そのことをNujabesに伝えるも「すでにPase Rockにあげてしまった」という返答がありましたが、Shing02Pase Rockが友人ということで、Shing02Pase Rockに「あのビートを使いたい」と直談判しました。

Pase RockShing02の申し出を快諾して、そのことをNujabesに伝えると、驚きながらも「Luv(sic) pt.1」の制作がスタートします。

タイトル「Luv(sic)」に込められた意味は「ひねくれた愛をストレートに理解して欲しい」

タイトルの「Luv(sic)」は、パート1のShing02の1バース目の冒頭の「Lovesick like a dog with canine sensitivity」というリリックから取られています。

sick as a dog(すごく体調が悪い)」というスラングに「lovesick(恋の病)」とかけて「自分は犬のように恋の病を患っている」というところから、リリックのイメージを膨らませていきました。

love」は同じ意味のスラング「luv」に置き換えて、「sick」は新聞や雑誌などで使われる「(sic)=原文ママ」に置き換えます。

あえてスペルを変えたりすることで「ひねくれた愛」を表現したかった。

Shing02

Love=愛」を「Luv」にあえてスペルを変えることで「ひねくれた愛」を表現して、その後に続く「Sick」を「(sic)=原文ママ」に変えることで、タイトルに女神に向けて「ひねくれた愛をストレートに理解して欲しい」という意味を持たせています。

コンセプトは「音楽の女神に宛てて書いた手紙」

「Luv(sic) pt.1」から「Luv(sic) pt.3」は「音楽の女神に宛てて書いた手紙」というコンセプトで制作されました。

当時、自分が「音楽とは何なのか」と悩んでいた時期だった。だからこそ、あえてストレートなラブレターというコンセプトにした。リリックはかなりスラスラ書けたことを覚えています。

Shing02

Luv(sic)」の制作を始めた当時、Shing02は「音楽とは一体何なのか」と悩んでいる時期と重なりました。

Shing02の頭の中で音楽に対して様々な想いが交錯する中で、頭に浮かんだのが「音楽の女神に宛てて書いた手紙」というコンセプトです。

Nujabesの作った「Luv(sic) pt.1」のビートがシンプルだったこともあり、Shing02も「シンプルにラブレターを書こう」と思い、リリックを書き始めます。

Nujabesからの要望も「リリックは英語で書いてほしい」というものだけで、お互いに宅録も手探りだったこともあり、かなりラフな環境で完成しました。

Luv(sic) pt.3の誕生秘話~ネット流出事件

「Luv(sic) pt.3」のラップ制作時、Shing02は3バース構成で制作しました。

しかし、Nujabesの「2バースでまとめた方が簡潔でいい」という意向で、2バース構成でミックスしてリリースされています。

自分は勝手に3バース目が切られたことが嫌だったので、流出したことは気づいていたが、そのままにしていた。

Shing02

Shing02が友人宛に「3バース構成のLuv(sic) pt.3」をメールで送ったことがきっかけで、インターネット上にアップロードされてしまいました。

3バース構成のLuv(sic) pt.3」を気に入っていたShing02はそのまま気付かないふりをしていましたが、流出したことを知ったNujabesは激怒します。

最終的にNujabesShing02にコンタクトを取って話し合い「喜ぶファンもいるのだから」とShing02が説得したことで、双方納得しました。

アンオフィシャルだった「3バース構成のLuv(sic) pt.3」は、Nujabesの死後に再レコーディングされて、12インチシングルとアルバム「Luv(sic) Hexalogy」の収録曲としてリリースされています。

天才ビートボクサー・ジェフ・レザレクシオンとの絆

2009年に甲状腺ガンで若干19歳でこの世を去った、ロサンゼルス出身の天才ビートボクサー「ジェフ・レザレクシオン」はNujabesのファンでした。

Shing02ジェフ・レザレクシオンは当時家が近所で、Shing02が「甲状腺ガンを患った若いビートボクサーがいる」と聞いて会いに行ったことで、2人の交流が始まります。

実はジェフ・レザレクシオン君がNujabesのファンと知って驚いた。彼の葬式で彼が大好きだった「Luv(sic) pt.3」を歌った。

Shing02

Shing02と知り合ってすぐの2010年の年明けにジェフ・レザレクシオンはこの世を去りますが、ジェフ・レザレクシオン君の葬式ではShing02がレクイエムとして大好きだった「Luv(sic) pt.3」を捧げました。

Nujabesとジェフ・レザレクシオンの悲しみを背負った「Luv(sic) pt.5」

「Luv(sic)」シリーズの後半3部作の中で「Luv(sic) pt.5」は「別れ」がコンセプトですが、元々Nujabesは「別れ」をコンセプトにすることを反対していました。

元々、Nujabesは「Luv(sic)」シリーズに暗いテーマを持たせることを大反対していた。

Shing02

Nujabesは「Luv(sic)」シリーズの楽曲に暗いコンセプトを持たせることは大反対していて、実際に「Luv(sic) pt.5」も「Luv(sic)」シリーズ用のトラックではありませんでした。

しかし、Shing02Nujabesジェフ・レザレクシオンの存在を話し、最終的にNujabesは「ジェフ・レザレクシオンに捧げる楽曲」ということで納得します。

Luv(sic) pt.5」の制作を始めてすぐにジェフ・レザレクシオンが亡くなり、1バース目を書き終える頃にはNujabesまでもがこの世を去ってしまいました。

1バース目がジェフ・レザレクシオン、2バース目がNujabesに宛てたリリックになっている。

Shing02

結果的に「Luv(sic) pt.5」は、Nujabesジェフ・レザレクシオンに捧げる「別れの楽曲」となってしまいました。

Nujabes / Luv(sic) pt.2 feat. Shing02

「Luv(sic)」シリーズの中でも特に人気の高い「Luv(sic) pt.2」ですが、当初は「Luv(sic)」シリーズの続編として制作される予定はありませんでした。

制作が開始されたころはちょうど「アメリカ同時多発テロ事件」で世界が混とんとしていて、Shing02自身もアルバム制作でドロドロした楽曲ばかりを制作している時期と重なります。

そのため、Shing02は息抜き的な意味も込めて「Luv(sic)」シリーズの続編」として制作を開始しました。

この曲で「Luv(sic)」がファンに認知されて、世間に認められたと実感した。

Shing02

サンプリングネタは「Ivan Lins / Qualquer Dia」で、Shing02はがライブで披露する際は「Luv(sic) Pt.1」から「Luv(sic) Pt.2」を流れでセットリストに入れるのが定番になっています。

【ファン作品】Luv sick / 魔女の宅急便

「Luv(sic) Pt.1」を名作ジブリ映画「魔女の宅急便」の名曲「海の見える街」を使ってリミックスしたヴァージョンです。

ファンが制作したアンオフィシャルなリミックスでありながら、曲間にShing02の実際のライブのMCを使うなど、随所にこだわりとリスペクトを感じられます。

注意
YouTubeで160万再生を突破

Nujabesと仲の良いアーティスト

 

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仲の良いアーティスト
  • Shing02
  • Uyama Hiroto
  • VERBAL
  • Fat Jon
  • Pase Rock
  • emancipator
  • Funky DL
  • Substantial

Nujabesはオーバーグラウンドで活躍するアーティストとはリンクすることは少なく、アンダーグラウンドで活躍するアーティストと積極的にリンクしています。

Nujabesのほとんどの楽曲が英語で制作されていることからも分かる通り、海外のアンダーグラウンドで活躍するラッパーとの交流も盛んでした。

「Luv(sic)」を制作するときも、Nujabesからの要望は「リリックは英語で書いてほしい」と言われただけだった。

Shing02

Luv(sic)」シリーズを始めとする様々な楽曲で共演したShing02は日本人ラッパーでありながら海外を拠点に活動するラッパーで、Shing02Nujabesの楽曲には全て英語のリリックで参加していました。

音楽に関するNujabesの妥協なき信念が、交流関係からも伝わります。

監督・渡辺信一郎との出会いはアニメ「サムライチャンプルー」

Nujabesが音楽を担当したアニメ「サムライチャンプルー」の監督のを務める渡辺信一郎とは、渡辺信一郎からNujabesにアニメ「サムライチャンプルー」の音楽担当をオファーしたことで交流が始まりました。

Nujabesの活動初期から全ての12インチレコードをチェックしていた渡辺信一郎でしたが、アニメ「サムライチャンプルー」に「映像と音楽が競い合う」というコンセプトを持っていて、迷うことなくNujabesに声をかけます。

当時、ジャジーヒップホップが流行っていたのもNujabesに声をかけたきっかけの一つですね。サムライチャンプルーを作る上で最適なトラックメイカーがNujabesだった。

渡辺信一郎

渡辺信一郎自身、前作のアニメ「カウボーイビバップ」がヒットしたことも大きく、ある程度自由にキャスティングが許されたことも、当時アンダーグラウンドな存在だったNujabesに声をかけた理由です。

アニメ「サムライチャンプルー」が海外では何度も再放送されて、コアなファンを獲得したことが、Nujabesが海外で多くのフォロワー、ファンを獲得することに繋がりました。

Nujabes / 四季ノ唄 feat. MINMI

アニメ「サムライチャンプルー」のエンディングテーマとして、レゲエシンガーとして活動するMINMIと共演した楽曲です。

NujabesMINMIという異色のコラボレーションですが、アニメ「サムライチャンプルー」の監督である渡辺信一郎の提案で実現しました。

Nujabesのファーストアルバム「Metaphorical Music」の収録曲「Beat Laments The World」が元ネタですが、これはMINMIが「このインストで歌いたい」と直談判したことがきっかけです。

NujabesMINMI双方のアルバムには収録されなかった楽曲でありながら、2019年には「shikinouta Tribute to Samurai Champloo」として英語ヴァージョンで海外リリースされていて、海外で高い人気を誇っています。

錦織圭とのコンピレーションアルバム「Kei Nishikori meets Nujabes」

日本人初の全米オープンテニス男子シングルス準優勝という輝かしい実績を持つプロテニスプレーヤーの錦織圭も、Nujabesのファンを公言する有名人のひとりです。

そんな錦織圭自身で選曲したコンピレーションアルバム「Kei Nishikori meets Nujabes」が、2016年2月26日にリリースされました。

浮遊感のあるトラックが気持ちいい。リラックスしたいときにNujabesをよく聴きます。

錦織圭

錦織圭Nujabesを知ったきっかけがアニメ「サムライチャンプルー」で、コンピレーションアルバムのリリースには「Nujabesの良さをより多くの人に知ってほしい」という願いが込められています。

MEMO
錦織圭のお気に入りの楽曲は「Luv(sic)」シリーズ

Uyama Hiroto

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トラックメイカー、DJ、編曲家であり、ドラムやギター、ベース、ピアノ、サックスなどの楽器を演奏することができるマルチプレイヤーのUyama Hirotoは、Nujabesの活動後期を語る上で欠かせないキーパーソンです。

2人の出会いは2008年で、Nujabesの自宅で開催されたバーベキューでした。

バーベキューに居合わせた橋本徹が主催するイベント「FREE SOUL UNDERGROUND」にお互い通っていたという共通点もあり、直ぐに意気投合しています。

その後、HYDEOUT PRODUCTIONSからUyama Hiroto名義でのソロファーストアルバム「A Son Of The Sun」もリリースしました。

Uyama Hiroto君は天才だと思う。サンプリングに頼らなくてもいいほどの演奏技術も才能もある。

Shing02

Uyama Hirotoに関してはNujabes自身はもちろん、Nujabesとともに様々な楽曲で共演したラッパーのShing02も、その才能を認めています。

Uyama Hirotoと楽曲制作をするようになってからの変化

Uyama Hirotoと楽曲制作をする前のNujabesのトラックは音階にはこだわらないスタイルでした。

しかし、Uyama Hiroto自身が様々な楽器を演奏するプレイヤーという視点も持っていたことから、音階にもこだわった楽曲制作へシフトしていくこととなります。

Nujabes

ヒップホップを「本当の意味での音楽」へ昇華させたい。

ヒップホップはサンプリングの文化であり、既存の楽曲を切り取って繋ぎ合わせてトラックメイクするのが従来のスタイルです。

そのため、ロックバンドやジャズなどの他ジャンルのアーティスト、プレイヤーと違い「コードや音階に対して知識がない」「そもそも音階を気にしない音楽」という側面があります。

そういったヒップホップという音楽を、他ジャンル同様に「ヒップホップを多ジャンルと同じく正しい音楽として認識してもらいたい」というNujabesの気持ちが強くなっていきました。

Uyama Hirotoとの出会いが、Nujabesの「サンプリングによるループ」から「0から音楽を作り上げるスタイル」に変化させた要因です。

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