晋平太プロフィール
晋平太(しんぺいた、本名・小林晋平)は、UMB史上初の2連覇と、フリースタイルダンジョン史上初の完全制覇を達成したラッパーだ。2005年のB-BOY PARK優勝、2012年の戦極MC BATTLE初代王者という戦績に加え、YouTubeやラップ教室を通じて「1億総ラッパー」を目指した。2025年11月8日に親族が死去を発表。42歳だった。生前の歩みと作品をたどり、2026年9月に発表されたアルバム「PUZZLE」まで紹介する。
プロフィールの早見
本名や出身地から、バトルの引退表明とその後まで。まずはプロフィールの要点を押さえよう。
| 疑問 | 短い答え | 補足 |
|---|---|---|
| 晋平太の本名は? | 小林晋平(こばやし しんぺい) | |
| 年齢は? | 1983年1月10日生まれ、42歳没 | |
| 出身は? | 東京都出身、埼玉県狭山市育ち | 2013年ごろから東村山市を拠点に活動 |
| 身長は? | 165cm | 血液型はA型 |
| 主な戦績は? | UMB史上初の2連覇、フリースタイルダンジョン史上初の完全制覇 | 該当章で詳述 |
| バトルを引退した? | 2019年に表明した後も大会へ出場・優勝した | 該当章で詳述 |
| 現在は? | 2025年に死去、42歳没 | 2026年9月にアルバム「PUZZLE」が発表された |
| MBTIは? | ENFJ(推定) | 本人による公表はなし |
出身は東京都、育ったのは埼玉県狭山市。後年の活動拠点は東村山市です。MBTIは編集部推定で、逮捕歴の「なし」は確認した公開報道の範囲を示します。
CHAPTER 01 / SECTION 01晋平太のプロフィール|本名・年齢・出身
「日本一のフリースタイルバカ」を自称し、勝つための技術と、ラップを誰でも楽しめるものにする活動の両方を追いかけた晋平太。生前の経歴を、基本情報から見ていこう。
2019年に即興バンドBUZZ LA ZARU O EMAIを結成し、ゆゆうた、虹色侍ずま、ビートボクサーのTATSUYAと活動した。ラッパー一人の即興だけでなく、鍵盤、歌、ビートボックスが応じ合う場にもラップを広げていた。配信プロフィールでは、のちにゆゆうたが脱退したことも記されている。
埼玉県狭山市で育ち、2013年ごろから東京都東村山市に暮らした。2018年のニッポン放送のインタビューでも、その移り住んだ経緯を本人が話している。東村山は後年、地元をテーマにした作品やラップ教室の活動拠点となった。
この記事で使う用語|MCバトル・フリースタイル・パンチライン・レペゼン
本文で繰り返し出てくる4語を先に定義しておく。いずれもヒップホップの文脈で意味が変わる語である。
MCバトルとは、2人のMCが即興のラップで対戦し、観客や審査員が勝敗を決める競技形式を指す。この人物のキャリアの中心にある。
フリースタイルとは、あらかじめ書いた歌詞ではなく、その場で言葉を組み立てて行うラップを指す。バトルの基本形式でもある。
レペゼンとは、英語のrepresentを略した言葉で、自分がどの土地を代表しているかを名乗ることを指す。晋平太は東村山を掲げ、地元でも活動していた。
バトルの記録を知るならフリースタイルとパンチライン、地域での活動を知るならレペゼンが手がかりになる。晋平太の歩みは、対戦相手と向き合う場面だけでは終わらない。
CHAPTER 02 / SECTION 02晋平太の生い立ち|狭山市で過ごした少年期
晋平太は東京都出身で、小学校に上がる頃から埼玉県狭山市で育った。本人は講演紹介サイトのインタビューで、中学受験をして東京の私立中学校へ通ったと話している。学校名は公表を確認できていない。
中学時代はサッカー部に入った後、途中で陸上部へ移っている。本格的にラップに打ち込んでいたわけではなく、友人と盛り上がる程度だったと語られている。高校でも部活には入らず、暇を持て余す時期が続いた。
大学へ進んでも目的や夢がなく、アルバイトを転々とする生活を送っていた。その状態に焦りを感じていたときに、同世代で本格的に活動していたラッパーと出会ったことが転機になる。
勝敗の記録だけを追うと、郵便配達をしながら音楽を続けた年月や、子どもたちへラップを教えた活動が見えにくい。晋平太の熱い言葉は、ステージの外の生活ともつながっている。
ラップを始めたきっかけ|Zeebraへの衝撃
中学時代、日本語ラップ好きの友人に教わったZeebra参加の2曲が、ラップとの出会いになった。友人から「さんピンCAMP」の映像を見せてもらった経験も本人が語っている。Zeebraの声や言葉への衝撃は、音楽だけでなく服装や自分で歌詞を書くことへとつながった。
当時は一時的なヒップホップブームが起きていた時期でもあった。とくにZeebraのラップに衝撃を受け、ファッションも次第にB-BOYスタイルへ変わっていったという。そこで「なんか自分でもできそう」と感じ、授業中にリリックを書いて休憩時間に披露するようになった。
ただしこの時点では本格的にラッパーを志したわけではない。周囲のヒップホップへの熱も冷めていったため、すぐにやめてしまっている。
デビューまでの道のり|B-BOY PARKでの快感
再びマイクを握る決心をしたのは大学時代である。やりたいことが何もない状態に焦っていたときに、同世代で本格的に活動していたラッパーと出会い、友人になったことがきっかけだった。
その縁でB-BOY PARK 2001にエントリーし、本戦出場・ベスト8という成績を収める。人から注目を浴びることへの快感を覚え、それが忘れられずにラップへのめり込んでいった。
その後は3MCのクルーを経て別のグループを結成し、B-BOY PARKへの出場を重ねる。2004年にデビューアルバム「SHOW ME LOVE」をリリースし、翌2005年のB-BOY PARK MC BATTLEで念願の初優勝を果たした。22歳、大学卒業のタイミングと重なっている。
優勝後も、音楽だけで生活できたわけではなかった。ラーメン店や郵便局で働きながらラップを続けた時期がある。2018年の本人インタビューでは、郵便配達の仕事を5〜6年続けたと振り返っている。すぐに仕事を辞めてラップ一本へ移ったのではなく、生活と音楽を両立した年月があった。
CHAPTER 03 / SECTION 03晋平太の私生活|家族とファッション
晋平太には、2010年4月に結婚したと紹介されてきた経歴がある。2018年の本人インタビューでも、音楽を続けるうえで妻の支えがあったことを語っている。その後の婚姻状況は、公表情報から確認できていない。
結婚当時の妻は介護福祉士として働き、その後、東村山市議会議員選挙で初当選したと紹介されている。結婚式で2人が晋平太の楽曲を披露したというエピソードもある。音楽と生活が身近につながっていたことを伝える話だ。
ファッション|オーソドックスなB-BOYスタイル
晋平太のファッションは、デニムにTシャツやパーカー、ベースボールキャップを合わせたオーソドックスなB-BOYスタイルである。サイズ感もオーバーサイズが基調になっている。
高円寺のセレクトショップRUGGEDや、沖縄のNEWFUNK STOREが扱うブランドを着用していたことも紹介されている。デニムやキャップを軸に、身近なショップの服を組み合わせる装いは、ラップの泥臭さとも重なる。
CHAPTER 04 / SECTION 04晋平太のMBTI|ENFJ(推定)と判断の根拠
晋平太のMBTIは本人公表を確認できていない。編集部の仮説はENFJ(推定)だ。「1億総ラッパー」を掲げて人を巻き込んだ活動に着目したもので、本人が回答した診断結果ではない。故人の内面を、外から一つの型へ確定することはできない。
| 観察された言動 | 対応する傾向 | 出典 |
|---|---|---|
| 「1億総ラッパー」を目標に掲げ、普及活動を続けた | 人を巻き込んでラップの裾野を広げる姿勢 | 本人のインタビュー |
| R-指定の初優勝時に、経験者として忠告の電話をかけた | 相手の先を見て気にかける傾向 | R-指定の証言 |
| 一般社団法人を設立し、言語学者とことばの力を探究 | 理念を継続的な活動の形にする姿勢 | 公表されている活動 |
| 小学校でのラップ教室を継続 | 次の世代へ渡すことを重視する傾向 | 本人のインタビュー |
| 弱さも曝け出して前に進むスタイルを選ぶ | 感情を共有することで届ける傾向 | 作品および本人の発言 |
別の見方としてESFJ(推定)も考えられる。人の面倒を見て場をまとめる姿勢は、どちらの型からも説明できる。ENFJを挙げた理由は、ラップが日常に根づく未来を掲げた活動にある。ただし、ステージや取材で見せた姿だけによる仮説であり、確度は低い。
CHAPTER 05 / SECTION 05晋平太のMCバトル戦績|B-BOY PARKからUMB2連覇まで
晋平太を「日本を代表するバトルMC」の位置に押し上げたのは、2010年と2011年のUMB連覇である。当時のUMBにおいて、連覇も複数回優勝も史上初だった。
| 年 | 大会 | 結果 |
|---|---|---|
| 2005 | B-BOY PARK MC BATTLE | 優勝 |
| 2009 | バトルへ復帰 | 一度遠ざかっていた |
| 2010 | UMB 2010 本戦 | 優勝 |
| 2011 | UMB 2011 本戦 | 優勝、史上初の2連覇 |
| 2012 | 戦極 MCBATTLE 第一章 | 優勝、初代王者 |
| 2014 | 戦極 MCBATTLE 第十章 | 優勝 |
| 2017 | UMB 2017 REVENGE | 優勝 |
| 2017 | フリースタイルダンジョン | 史上初の全ステージクリア |
B-BOY PARKとUMBの2階級制覇を果たしたのは、晋平太が史上初である。UMB 2010の初戦でR-指定と対戦し、2011年の決勝でNAIKA MCを下すまでの流れは、多くのパンチラインとドラマを生んだ。
この連覇がバトルの裾野に与えた影響は、同じシーンのラッパーも語っている。次の言葉は、死去後の追悼コメントではなく、2019年に公開された呂布カルマとMC正社員の対談での発言だ。
何よりバトルの世界が変わったのは、晋平太が優勝したあと
呂布カルマ/HARBOR BUSINESS Online 対談HARBOR BUSINESS Online 対談
誰でもバトルに出られる環境を作ったのが晋平さん
MC正社員/HARBOR BUSINESS Online 対談HARBOR BUSINESS Online 対談
MC正社員は、晋平太がさまざまな相手とのバトルで修行し、その様子をYouTubeで配信していたことを挙げている。一方の呂布カルマは、バトルの競技化によって音楽活動との距離が広がった面にも触れた。2人の見方は同じではないが、晋平太の優勝が参加者の層を変える節目だった点では重なる。
フリースタイルダンジョン完全制覇|史上初の5戦
2017年、晋平太はフリースタイルダンジョンで番組史上初の完全制覇を達成した。3rdシーズンにチャレンジャーとして登場し、モンスター全員を撃破している。
ラスボス戦では、般若が「モンスター解散」を告げるという展開まで起きた。番組の枠組みそのものが動いた回として語られている。
T-Pablow戦の一触即発|双方が語った経緯
第3戦のT-Pablow戦では、バトル中に接触が起きた。2ラウンド目に相手がマイクを外して威嚇し、晋平太の胸倉を掴む場面があった。判定で晋平太の勝利が決まると、相手はマイクを置いて退場している。
この件については、双方が後に説明している。T-Pablowはラジオで、1ラウンド目から相手が自分の帽子のつばに当たっていたと語った。晋平太もインタビューで、自分が押してしまったことが悪かったという趣旨を述べている。
晋平太は当時のインタビューで、T-Pablowへ謝りたい意向も示していた。その後に2人が話し合ったかどうかは公表情報から確認できず、試合中の接触だけで長期的な不仲を断定することはできない。
漢 a.k.a. GAMIとの因縁|握手で終わった一戦
フリースタイルダンジョンでの第2戦は、単なる対戦ではなかった。2014年のレーベル分裂を発端に、約3年にわたって続いた対立の当事者同士がぶつかる一戦だった。
発端は、大会の運営をめぐる問題である。晋平太は当時、分裂した側のレーベルが主催する大会の総合司会を務めており、どちらの側に立つのかを問われる立場にあった。その後、作品のリリース元が決裂の引き金になったと報じられている。
2017年6月21日放送の直接対決は、判定4-1で晋平太が勝利。試合後に2人は握手を交わした。後日のKAI-YOUのインタビューでは、晋平太自身が和解へ向けて話せたと振り返っている。
和解に向かって話をさせてもらえましたね
晋平太/KAI-YOU 晋平太インタビューKAI-YOU 晋平太インタビュー
大会運営や作品のリリース元をめぐる対立の経緯は、次の関連記事でも扱っている。試合の勝敗と、当事者間の主張や話し合いは分けて読みたい。

R-指定との関係|連覇の重圧を知るライバル
晋平太とR-指定は、互いにUMBを連覇したラッパーとして比較されてきた。対戦では厳しい言葉をぶつけ合ったが、試合の応酬をそのまま私生活の不仲と受け取るのは早計だ。
互いのプレッシャーを知る相手でもあり、インタビューや対談で名前を挙げ合ってきた。勝敗を競うライバルでありながら、連覇を経験した者同士だからこそ伝えられる言葉があった。
この関係を象徴する逸話も残っている。2012年にR-指定が初優勝した大晦日、晋平太が電話で祝福とともに忠告を送ったことをR-指定自身が語っている。3連覇を目指した経験者として、3年目の会場は酸素が薄い、これから茨の道だという趣旨の言葉だった。
UMB 2010の名バトル|代表的なパンチラインが生まれた試合
2人の名バトルといえば、初対戦となったUMB 2010の初戦である。MCバトルにおけるターニングポイントとなった試合とされ、互いのパンチラインの応酬が多くのフォロワーを生んだ。
晋平太を象徴するのが、今日勝つために生まれ、立ち上がり、負け続けてきたという趣旨の言葉だ。勝ち続ける人の宣言だけでなく、負けた日々を力に変える発想が、のちに「CHECK YOUR MIC」にもつながっていく。

CHAPTER 06 / SECTION 06晋平太の活動の歩み|引退表明後と没後の作品
晋平太は2019年10月、ADRENALINE 2019 FINALでのR-指定とのエキシビジョンマッチを最後に、MCバトルの引退を表明した。しかし、その後にも大会へ出場し、優勝している。引退表明がそのまま最後の出場になったわけではなかった。
| 時期 | 動き | 補足 |
|---|---|---|
| 2019.08.07 | YouTubeチャンネルを開設 | ラップ解説やコラボ企画を展開 |
| 2019.10 | MCバトルの引退を表明 | ADRENALINE 2019 FINALでのエキシビジョンマッチを最後に |
| 2020.09 | 一般社団法人日本ラップ協会の設立を発表 | 言語学者とことばの力を探究する取り組み |
| 2020.12.27 | UMB 2020本戦の司会を担当 | ヒップホップの第一線との関わりを継続 |
| 2021 | 口喧嘩祭 SPECIALで優勝 | 引退表明後の出場 |
| 2022 | KING OF KINGS VS 真ADRENALINE #4で優勝 | UMB 2022東京予選でも優勝 |
| 2023 | 真ADRENALINE 2023で優勝 | KOK VS 真ADRENALINE #5でも優勝 |
| 生前の活動 | 東村山を拠点にラップを普及 | ラップ教室、地元をテーマにした作品 |
| 2025.11.08 | 親族が死去を発表 | 42歳。死亡日そのものではない |
| 2026.09.30 | アルバム「PUZZLE」発表 | dj hondaが全曲をプロデュース |
2021年から2023年にかけて、口喧嘩祭やKOKと真ADRENALINEの大会などで優勝を重ねた。2019年の引退表明だけでは、その後のバトルMCとしての歩みを捉えきれない。
YouTubeでの活動|ラップ解説というもう一つの発信
2019年8月7日、晋平太は自身のYouTubeチャンネルを開設した。ラップを教えるだけでなく、ラップを使って何ができるか、どう遊べるかを探す場として発信していた。
内容は、伝説として語られてきた試合の解説、注目ラッパーの紹介、ラッパー同士のコラボ企画、自身の過去のバトルの振り返りなど多岐にわたる。プレイヤーとしてだけでなく、解説する側の言葉を持っている点が、このチャンネルの特徴である。
「1億総ラッパー」|バトルの外側へ広げる活動
晋平太が掲げてきた目標が「1億総ラッパー」である。YouTubeでのヒップホップやラップの解説動画、小学校でのラップ教室などを通じて、普及活動を続けてきた。
本人はこの目標を、俳句や短歌になぞらえて説明している。国語の授業で習うから誰もが一度は触れたことがある、ラップもそれくらいになってほしいという趣旨である。プレイヤーとしてだけでなく、裾野を広げる側に回るという姿勢が一貫している。
2020年9月には一般社団法人日本ラップ協会の設立を発表し、言語学者とともにことばの力を探究する取り組みも始めている。2013年に東村山市へ拠点を移して以降は、地元をレペゼンする活動にも力を入れてきた。
2025年の死去発表|42歳で残した歩み
2025年11月8日、親族が本人のXで死去を発表した。42歳だった。公表文は「先日」とし、葬儀を近親者で執り行ったと説明している。正確な死亡日と死因は、その発表には記されていない。発表日を亡くなった日と同一視したり、活動休止の理由などから死因を推測したりすることはできない。
CHAPTER 07 / SECTION 07晋平太のラップ|泥臭さと圧倒的なスキル
晋平太のラップは、泥臭く熱い、男気に溢れたスタイルが特徴である。リスナーと正面から向き合う人間味のあるリリックと、飾り気のないフロウが代名詞になっている。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| リリック | 真っ直ぐで人間味のある内容、弱さも含めて描く |
| フロウ | 飾り気がなく、勢いと熱量で押す |
| スキル | 勢い任せではなく、語彙と技術の裏付けがある |
| 自己認識 | 「時代遅れ」という曲名にも表れる自己認識 |
| 立ち位置 | 古い日本語ラップの良さを残しつつ現代に合わせる |
同じ系統のラッパーにありがちな一辺倒さがないのは、圧倒的なスキルとボキャブラリーが土台にあるためである。自ら「時代遅れ」と称する一方で、古き良き日本語ラップの質感を現代へ持ち込む形を取っている。
自分の強さだけでなく弱さも曝け出して前に進もうとする姿勢が、この人物の最大の魅力とされている。
「挑戦者」|弱さを抱えたまま進む
「挑戦者」は、勝敗だけでなく、挑むときの怖さや重圧へ目を向けた曲だ。強い言葉で弱さを消すのではなく、その弱さごと前に進む姿勢が、晋平太のラップを知る入口になる。
ここでプレッシャーは、消すべき邪魔者ではなく、本気で向き合っている証拠に置き換えられる。余裕がない自分を責めず、その状態のまま挑めるよう背中を押す言葉だ。
CHAPTER 08 / SECTION 08晋平太のおすすめ曲|入門ガイド
どこから聴くかで、この人物のどの側面に触れるかが変わる。バトルのアンセムと、地元を歌った曲では印象がかなり違う。入口ごとに整理したのが次の表である。
| 入口 | 形式 | 時期 | わかること | 向いている人 |
|---|---|---|---|---|
| 「CHECK YOUR MIC」 | シングル | 2015年 | バトルで培った熱量が凝縮された代表曲 | とりあえず一曲だけ聴きたい人 |
| 「SHOW ME LOVE」 | デビューアルバムのタイトル曲 | 2004年 | 荒削りだった時期のストイックさ | 成り立ちから追いたい人 |
| 「時代遅れ feat. 般若」 | アルバム収録 | 2011年 | チャンピオン同士にしか書けない主題 | 背景まで知りたい人 |
| UMB 2010の映像 | バトル | 2010年 | 代名詞となったパンチラインが生まれた場 | バトルから入りたい人 |
| 「042-958-XXXX」 | 配信アルバム | 2021年 | ONODUBとの共同名義で地元を歌う | 地域と音楽のつながりを聴きたい人 |
「CHECK YOUR MIC」から入れば、バトルで培った言葉の強さが分かる。「042-958-XXXX」なら、ONODUBとの共同名義で地元を歌う側面に触れられる。時代だけで作風を二分せず、聴きたいテーマで選ぶと入りやすい。
「SHOW ME LOVE」|2004年のデビュー曲
2004年にリリースされたアルバムのタイトル曲である。B-BOY PARKでの活躍を経てのデビューだったため期待度は高く、その熱苦しいほどストイックなスタイルがそのまま楽曲に落とし込まれている。荒削りさが逆に持ち味を際立たせた一曲である。
「CHECK YOUR MIC」|代表曲となったバトルのアンセム
2015年10月18日にリリースされた、晋平太の代表曲である。UMB2連覇をはじめ数々のバトルをくぐってきた経験が、そのままアンセムの形になっている。後にR-指定や般若らを迎えたリミックスも話題になった。
負けた経験を次の挑戦へ結びつける言葉は、バトルだけでなく学校や仕事で踏ん張る場面にも重ねやすい。勝者の強さだけでなく、その手前の敗北を歌っているところに、この曲の熱さがある。
「時代遅れ feat. 般若」|チャンピオン同士のコラボ
2011年11月4日にリリースされたアルバム「REVENGE」の収録曲である。UMBを制したチャンピオン同士によるコラボで、同じ東京を拠点にする同世代のMCという共通点がある。
血の滲むような努力の先の成功と、追われる者になったプレッシャー。2人にしか分からない感情が楽曲に落とし込まれている。
聴きたい側面で選ぶ|バトルと音源
熱量のある曲を聴きたいなら「CHECK YOUR MIC」、弱さを抱えたまま進む言葉に触れたいなら「挑戦者」が入口になる。押韻や即興の組み立てを追いたい人には、UMBの対戦映像も向いている。真っ直ぐな言葉と技巧は、どちらか一方ではない。
バトルの記録を追うなら2010年代の対戦から、地域や日々の暮らしへ向けたラップを聴くなら2021年の「042-958-XXXX」へ。競うためのラップと、人に手渡すためのラップを行き来して聴くと、活動の幅が見えてくる。
没後のアルバム「PUZZLE」|dj hondaと残した15曲
2026年9月30日、晋平太のアルバム「PUZZLE」がリリースされた。dj hondaが全曲をプロデュースした15曲入りで、生前に制作された楽曲を収める。呂布カルマとの「SASUKE」、HI-Dを迎えた表題曲、先行して発表された「GOOD LIFE」「ALIVE」などが並ぶ。
スキットを挟みながら言葉をつないでいく構成には、対戦の一場面とは違うアルバムの時間がある。没後の作品という背景だけに引き寄せず、生前に録音されたラップを一曲ずつ聴きたい。
「迷わないで進め」|自分の歩幅を取り戻す
「PUZZLE」に収められた「迷わないで進め」は、晋平太が作詞とラップを、dj hondaが作曲とプロデュースを担当した曲だ。競争や勝敗とは別の場所で、自分の進み方を問い直す言葉が置かれている。
「レース」「ゲーム」を否定する一行は、人生を他人と比べる順位や勝ち負けから切り離す。MCバトルで結果を残した晋平太の言葉だからこそ、競うこととは違う進み方を示す点が印象に残る。
CHAPTER 09 / SECTION 09晋平太に関するよくある質問(FAQ)
プロフィール、バトルの戦績、引退表明、作品についての疑問をまとめた。死去の発表日と死亡日も、分けて確認しておきたい。
CHAPTER 10 / SECTION 10まとめ|晋平太が広げたラップの裾野
1983年1月10日生まれ、東京都出身、埼玉県狭山市育ち。中学時代にZeebraの参加曲に衝撃を受け、大学時代の出会いをきっかけに本格的な音楽活動へ進んだ。働きながら続けたラップが、やがて全国のステージにつながった。
B-BOY PARK優勝、UMB史上初の2連覇、戦極初代王者、フリースタイルダンジョン完全制覇。戦績に加えて、初心者にもラップを手渡してきた活動がある。競技の裾野を変えた存在として、同じシーンのラッパーもその影響を語っていた。
2019年の引退表明後も大会へ出場しながら、YouTube、学校でのラップ教室、東村山を拠点とする活動へも力を注いだ。2025年に42歳で亡くなった後、2026年9月には「PUZZLE」が発表された。勝つための言葉だけでなく、誰かが自分の言葉を持つためのラップを広げた人だった。
この記事の要点
- 本名は小林晋平、1983年1月10日生まれ、東京都出身・埼玉県狭山市育ち、42歳没
- 2013年ごろから東村山市を拠点に、地元をレペゼンする活動を続けた
- 2005年のB-BOY PARK優勝、2010年と2011年のUMB史上初の2連覇、2階級制覇も史上初
- 2017年にフリースタイルダンジョンで番組史上初の全ステージクリアを達成
- 2019年10月に引退を表明したが、2021年から2023年にかけて複数の大会で優勝した
- 2020年9月に一般社団法人日本ラップ協会の設立を発表、「1億総ラッパー」を目標に掲げる
- MBTIはENFJ(推定)、本人公表ではなく公開情報からの整理
「勝ち続けた人が、次に選んだのは裾野を広げることだった」
Djtube 編集部 / 2026.10
更新日:2026年10月19日。経歴には当時のインタビューや過去の紹介に基づく内容を含みます。所属、婚姻状況、私生活を現在の状態として示すものではありません。
