Djtube./slide no. 10139
ARTIST WIKI相模原

BRON-K現在の活動、結婚と生い立ち・代表曲

BRON-K
年齢
44〜45歳1981年生まれ・2026年時点
身長
—
本名
—
出身地
神奈川県相模原市
学歴
高校進学
結婚・配偶者
既婚
逮捕歴
—
MBTI
ISFP

BRON-K(ブロンケー)は、神奈川県相模原市出身のラッパー。SD JUNKSTAの一員として活動し、旋律を含んだラップと、暮らしや人間関係を映す言葉で支持されてきた。

2012年の「松風」以降、アルバムの間隔が空いたことや、2013年の失踪騒動から「現在はどうしているのか」と気になる人もいる。近年も配信曲や客演はあり、過去の一件と現在の音楽活動を分けて見ていきたい。

CHAPTER 01 / SECTION 01BRON-Kのプロフィール

BRON-K 基本データno. 10139
本名
—
アーティスト名
BRON-Kブロンケー
生年月日
1981年月日未確認
出身地
神奈川県相模原市
身長
—
血液型
—
MBTI
ISFP(推定)Djtube編集部の見解
兄弟・姉妹
—
ユニット
SD JUNKSTA
所属
—
レーベル
諭吉レコーズ旧作の発売元。作品によりメタルラスタ会議
最大の実績
「奇妙頂来相模富士」でソロデビュー2008年
学歴
高校進学
結婚・配偶者
既婚
子供
あり息子がいる
逮捕歴
—

1981年生まれなので、2026年中の年齢は44〜45歳。生まれた月日までは確認できていない。本名や身長など表の「—」は、掲載できる情報が揃っていない項目であり、本人が非公開と表明したという意味ではない。

この投稿をInstagramで見る

NORIKIYO(@norikiyomegane)がシェアした投稿 –

名前の由来は「弁慶」

友人から「弁慶」と呼ばれていたことが、BRON-Kという名義の始まり。そこからBNKという表記を経て、現在の名前になった。馬と漫画が好きで、別名や二枚目のアルバムにも使われる松風は、漫画「花の慶次」に登場する馬の名に由来する。仲間からは元の呼び名であるベンケイと呼ばれてきた。

CHAPTER 02 / SECTION 02生い立ちとラップを始めた理由

相模原南部のトタンに囲まれた地域で、裕福とはいえない家庭に育った。中学2年のとき、アメリカから帰ってきた友人が持っていたSnoop Doggの「Murder Was the Case」を聴き、ヒップホップに惹かれる。友人に横で和訳してもらい、曲のような暮らしが現実にあるのかと驚いた。当時は日本語のヒップホップを格好よいとは思えず、英語のラップを聴き、カタカナで書き取ってまねていた。

Snoop Dogg「Murder Was the Case」

BRON-Kが入口として挙げる曲。Snoop Doggの声や節回しに触れた経験は、後のメロディアスなラップを考えるうえでも興味深い。ただし、影響があることと同じスタイルであることは分けて聴きたい。

高校時代にはKORGのMTRで録音を始めた。Snoop Dogg「Gin and Juice」やThe Notorious B.I.G.「Kick in the Door」をまねて録り、歌詞カードから言葉を抜き出して並べる遊びも通じ、小節の数え方や声の重ね方を覚える。十八歳ごろには自分で歌詞を書くようになった。

NORIKIYOの弟とは中学時代の同級生だった。Snoop Doggの「Gin and Juice」を英語で通して歌えるという話を聞いたNORIKIYOから電話で呼ばれ、本人との交流も深まっていく。2000年ごろからラッパーとして活動し、地元の仲間と作る音楽がSD JUNKSTAへつながっていく。

CHAPTER 03 / SECTION 03結婚と子供・ファッション

BRON-Kは結婚しており、息子がいる。若い時期から家庭を持ち、妻や子供の写真は公にしないかたちで暮らしを守ってきた。二枚目のアルバム「松風」には、息子への思いも綴られている。「何ひとつうしなわず」も、家族の話をしながら聴くと、題名の願いが身近に感じられる。

服ではRIVAXIDEやZAKAIを着用してきた。NORIKIYOが手がけるブランドやSDPのショップとも関わりがあり、地元の仲間の服を着ることも、音楽を通じたつながりの一部だ。ラフな着こなしを好み、ZAKAIのSNSではモデルも務めてきた。

この投稿をInstagramで見る

ZakaiHQLab(@zakaihqlab)がシェアした投稿 –

CHAPTER 04 / SECTION 04BRON-KのMBTIを編集部が考える

Djtube編集部は、曲の作り方を手がかりにISFPを仮説として挙げる。本人が公表した診断結果ではない。

先に鼻歌でメロディーを作り、後から言葉を置いていくこと、クラブでの出会いや家族との選択を、抽象的な主張だけでなく場面のある曲にすることに注目した。音の感触と、自分の身近な価値観を手がかりに制作する姿勢からの読みだ。

ただし、鼻歌から作る音楽家に共通する作法でもあり、それだけで性格は決まらない。歌詞の想像力を中心に見ればINFPなどの読み方もあり得る。失踪騒動をタイプの根拠に使わず、公開された制作上の行動に限った推定としている。

CHAPTER 05 / SECTION 05デビューと二枚のアルバム

ソロアルバムを出すよう背中を押したのはDJ ISSOだった。2008年の「奇妙頂来相模富士」でデビューし、2012年には二枚目の「松風」を発表する。四年の間隔については遊んでいたと振り返っているが、二枚目の後には遅刻をせず時間を守ること、人を思いやることを目標に挙げた。受け身なところがある自由な人物として紹介されてきたが、作品を作る際には周囲の後押しも大きかった。

中学2年生
Snoop Doggを聴く
アメリカ帰りの友人がきっかけ
高校時代
MTRで録音を始める
海外の曲をまねて練習
18歳ごろ
自分で歌詞を書く
2000年ごろ
ラッパーとして活動
2008年
「奇妙頂来相模富士」を発表
2012年
「松風」を発表
2013年9月
一時連絡が取れなくなる
その後戻っている
2023年
「Won’t Be Lonely」を配信
2025年2月15日
「She was fifteen」を配信

DJ DEFLOは、金を手に入れた後に何をするかという話とは違うところにBRON-Kのよさがある、と評価した。華やかな成功だけでなく、身近な暮らしから曲を作る姿勢が仲間にも伝わっていた。

この投稿をInstagramで見る

NORIKIYO(@norikiyomegane)がシェアした投稿 –

CHAPTER 06 / SECTION 062013年の失踪騒動では何があったのか

2013年9月、SD JUNKSTAのアルバム制作で忙しい時期に、BRON-Kが十八日ほど仲間と連絡を取れなくなった。恋をしたので探さないでほしい、という趣旨の言葉を残したと伝えられている。十八日後、痩せて疲れた姿で事務所に戻ったとされる。恋もうまくいかなかった一方で、反省する様子が見られず、その場に居合わせたNORIKIYOから叱られたという。

帰ってきた際には、山にこもって獣と話し、川の水を飲み、主にキノコを食べていたと話した、と紹介されてきた。さらに白いご飯と肉を腹いっぱい食べたい、女性にも会いたいと求めたという。いずれも当時の帰還時の発言として伝わる逸話で、山での生活の詳細を別途裏付けたものではない。独特な発言は話題になったが、これを現在も行方不明であるかのように扱うのは誤りだ。音楽活動の空白や本人の健康状態を、想像で結びつけることもできない。

この投稿をInstagramで見る

NORIKIYO(@norikiyomegane)がシェアした投稿 –

CHAPTER 07 / SECTION 07BRON-Kのラップスタイルと代表曲

DJ DEFLOは2015年、BRON-Kのライブ出演について次の案内を出していた。過去のブッキング案内であり、現在の受付先を保証するものではない。

QUOTEDno. 101392015.02.21

Bron-K Live Bookingお問い合わせは、 deflosdp228@gmail.com まで宜しくお願いします。 pic.twitter.com/J70gd0JrMC

DJ DEFLOの投稿

BRON-Kは、鼻歌で浮かんだ旋律に歌詞を合わせる作り方をする。まっすぐ言葉を置くだけではない節回しが、独特な声の響きにつながっている。詩のような景色と、クラブや暮らしの具体的な出来事が、同じ曲の中にある。

ROMANTIK CITY

一枚目のアルバム「奇妙頂来相模富士」の曲。クラブで女性と出会った経験から生まれた物語で、当時はクラブで女性に声をかけるのが趣味で、その頃の街や夜の風景をメロディーのあるラップにした。本人も気に入っている曲として挙げている。BRON-Kの声を初めて聴く人にも印象の残る一曲だ。

LYRICROMANTIK CITY/BRON-K
懐かしさと痛み

夜遊びの思い出を美化するだけではなく、楽しかった時間に残る痛みまで同じ街の景色へ重ねている。短い二語の組み合わせが、懐かしむ気持ちと戻れない感覚を同時に引き寄せる。歌詞の語り手と現在の本人を、そのまま同じものとは決めつけない。

何ひとつうしなわず

妻との会話で、頑張ることが二つあるなら両方頑張るか、一方を捨ててもう一方に生きるか、と妻から問われたことがきっかけになった。人との別れ、時間の流れ、暮らしの選択を前に、それでも失いたくないという願いを歌う。夢や成功へ進むほど友人の妬みや時間を失うことも起こり得るが、何も手放さず進みたいという思いは贅沢なのか。前向きさと切なさが重なるところに、この曲の人間らしさがある。

PAPER, PAPER… feat. NORIKIYO

NORIKIYOを迎えた「松風」の収録曲。お金と人の関係を題材に、二人がそれぞれの角度からラップする。金の話をするだけでなく、何を大事にして暮らすのかという問いが残る。お金より大切なものを信じたいという視点に、NORIKIYOの力強い声とBRON-Kの優しい声が重なる。

MATAKAZI O.G.

神奈川の街やSD JUNKSTAの仲間を映す曲。この曲のMVでは、地元神奈川で撮った映像にSDPのブレイクダンスやイラストも登場する。ここに置いた動画は、そのMVではなく公式配信音源だ。悟りに近い感覚や深い世界観を感じさせ、本人も思い入れのある曲として挙げている。

NORIKIYO + BRON-K「スサノオ」

原曲はDJ BAKU「THE 12JAPS」の「スサノオ feat. BRON-K」で、同じアルバムにはNORIKIYOの別曲「眠る街」も入る。ここで紹介するのはNORIKIYOとBRON-Kが登場するKAIKOO POPWAVE FESTIVAL’10のライブ映像で、スタジオ版のMVではない。DJ BAKUが選んだ十二人のラッパーのなかに、この二人も招かれた。NORIKIYOとの声の掛け合いと、ステージでの勢いを味わえる。

この投稿をInstagramで見る

NORIKIYO(@norikiyomegane)がシェアした投稿 –

Won’t Be Lonely

2023年10月1日配信。BRON-Kが言葉を書き、KOYANMUSICが作曲した曲だ。初期の二枚のアルバムだけで活動を止めて考えず、その後の言葉へ進む際にも聴いておきたい。

LYRICWon't Be Lonely/BRON-K
特別じゃなくていい
ALBUM (2023)

何かを成し遂げることを、生きるための条件にしない言葉だ。成功へ突き進む人を励ますだけでなく、立ち止まる人にも居場所を残している。題名にある孤独への呼びかけも、一人ひとりが違うままでよいという視点から読める。

She was fifteen

2025年2月15日にメタルラスタ会議から配信されたソロ曲。作詞・作曲と歌唱はBRON-K、録音・ミックス・マスタリングはestra、アートワークは江戸村裂子が担当した。上の音源は公式のプレビュー版で、フルMVではない。

初期作品の人気から過去の人と捉えるより、本人が新しい曲を録音し届けていることに目を向けたい。「Won’t Be Lonely」とともに、アルバム発売の間隔だけでは見えない活動の継続を示す一曲だ。

CHAPTER 08 / SECTION 08SD JUNKSTAと現在の活動

活動を待っていたファンの2020年の投稿には、近況が届く機会の少なさが表れている。これは当時の一人のファンの感想で、現在の活動を確認する資料とは分けて扱う。

QUOTEDno. 101392020.04.11

とりあえず元気そう 笑
たまにDEFLOかNORIKIYOかGhettoHollywoodが生存報告してくれる以外は本当何してるのかわからないですよねw pic.twitter.com/I2jO2sReIh

mi☺︎の投稿

SD JUNKSTAは相模原を拠点に、NORIKIYO、BRON-K、TKC、KYN、WAX、OJIBAH、SITE、DJ DEFLO、DJ ISSOらで活動してきた。母体のSAG DOWN POSSEには、グラフィティーアーティスト、ブレイクダンサー、DJなども集まっていた。SD JUNKSTAはそのラップ部門として、当初のNORIKIYOとBRON-Kの二人から仲間が増えた。音楽だけで閉じない地域のつながりがある。NORIKIYOは、日本のおすすめラッパーを五人選ぶならBRON-Kを必ず入れる、という趣旨で評価している。SNSでの登場や共演曲だけでなく、長く信頼を置く関係だ。

過去にはDJ DEFLO、NORIKIYO、GhettoHollywoodから近況が届くことがあり、ライブで元気だと伝えられるだけでも歓声が上がったと紹介されてきた。活動を待つ声があったことと、本人が現在も行方不明であることは別である。アルバムの間隔は空いているが、活動が完全に止まったわけではない。公式配信の一覧には2023年の「Won’t Be Lonely」、2025年2月15日の「She was fifteen」があり、2026年8月7日配信のNORIKIYO「L.I.V.S.」では、OJIBAHとともに「ギャラは倍額で」へ参加している。2025年のメタルラスタ会議による「スプリフ」のリマスターやアルバムへの参加もあり、ソロと客演の両方が続いている。初期二作に加えて、その後の曲や客演にも耳を向けたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA