リーンLEAN / PURPLE DRANK
テキサス州ヒューストンで生まれた紫色の飲み物、リーン(Lean)。別名Purple Drank、Sizzurp、Dirty Sprite——呼び方は何通りもあるが、この飲み物が南部ヒップホップに残したものはひとつだ。4人の象徴的なラッパーが、これで死んだ。DJ Screw(29歳)、Big Moe(33歳)、Pimp C(33歳)、Fredo Santana(27歳)。20年で4人。それでもリリックから消えない、この飲み物の文化的位置づけと、それが奪った命の重さを、本記事は記録する。使用方法は一切扱わない。
CHAPTER 01 / SECTION 01リーンとは|ヒューストン発の薬物カクテル
リーンは、処方箋医療用の咳止めシロップを、ソーダで割って作る薬物カクテル。主成分はコデイン(弱オピオイド)とプロメタジン(抗ヒスタミン)。ソーダで甘くし、ハードキャンディを加えてさらに甘くする。色は紫——だから「Purple Drank」。
「Lean」という名前は、飲み過ぎると体がまっすぐ立てなくなる(lean=傾く)から来ている。命名そのものが警告だ。それでもリリックには登場し続ける。
米国DEA(麻薬取締局)は規制対象にしている。日本では咳止めシロップに含まれるコデイン濃度が1%以下のため「家庭用麻薬」扱いだが、規制対象であることは変わらない(麻薬及び向精神薬取締法)。
ここまでは事実の整理。本記事の目的は別のところにある。
CHAPTER 01 / SECTION 02リーンの起源|1960年代Houstonのブルース・シーン
リーンの起源は1960年代、テキサス州ヒューストン。当時のFifth Ward、Third Ward、South Parkといった黒人居住区で、ブルース・ミュージシャンたちが咳止めシロップ「Robitussin」をビールで割って飲んでいたのが原型とされる。やがてビールがワインクーラーに、ベースのシロップがコデイン+プロメタジン入りに変わり、現在の形になっていく。
つまりリーンは、ヒップホップが発明した飲み物ではない。前の世代から受け継いだものを、ヒップホップ世代が自分たちの色に塗り直した。1990年代、Houstonのラッパーたちがリリックに乗せ始めるまで、これはローカルな習慣だった。
その「ローカル」を「全米」に変えた男がいる。次のセクションの主人公だ。
CHAPTER 02 / SECTION 03DJ Screw|チョップド&スクリュードを生み、29歳で死んだ男
本名Robert Earl Davis Jr.。1971年7月20日生まれ、テキサス州Smithville出身。Houstonに移住し、ターンテーブルでレコードの再生速度を落としてリミックスする手法を考案した。これが「チョップド&スクリュード」(Chopped and Screwed)。1990年代の南部ヒップホップを根底から作り変えたサウンドだ。
速度を落とすという発想の根源には、リーンがあった。コデインで意識がスローダウンする感覚、南部の暑さで車を流すゆったりしたテンポ、それを音楽に翻訳したのがチョップド&スクリュードだった。Texas Monthly誌は彼のサウンドを「曲そのものがコデイン・プロメタジンを摂りすぎたかのよう」と評している。
DJ Screwは生涯で350本以上のミックステープを残した。その全てが、ヒューストンのストリートとリーンと、低速で流れる時間の記録だった。彼を慕うラッパー集団「Screwed Up Click」には、Big Moe、Big Hawk、Z-Ro、Lil Flip、そして後にミネアポリス警察に殺されることになるGeorge Floydも一時所属していた。
死因はコデイン過剰摂取と複数薬物の中毒(Codeine overdose with mixed drug intoxication)。血中から致死レベルのコデイン、Valium、PCPが検出された。
Harris County Coroner's OfficeTexas Monthly誌より2000年11月16日、Houstonの自宅スタジオのバスルームで死亡しているのを発見された。29歳。
リーンを文化の中心に置いた男が、リーンで死んだ。これはアイロニーじゃなくて、因果だ。ある古い友人によれば、Screwは亡くなる前の10年、毎日リーンを飲んでいた。彼の体は200パウンド(約90kg)を超え、心臓は肥大していた。
CHAPTER 02 / SECTION 04Sippin’ on Some Syrup|2000年、リーンが全米を覆った瞬間
DJ Screwが死ぬ数ヶ月前の2000年6月、メンフィスのThree 6 MafiaがテキサスのデュオUGK(Pimp C & Bun B)を客演に迎えてリリースした楽曲が、リーンを一気に全米のものにした。
「Sippin’ on Some Syrup」。タイトルそのものが宣言だった。
Three 6 MafiaのDJ Paul、Juicy J、Project Pat、そしてUGKのPimp Cがマイクを回す。Pimp Cのバースは「I’m choking on that doja sweet and sipping on that sizzurp」で締められる。MTVとBETがミュージックビデオを回し、Billboard Hot R&B/Hip-Hop Songsで30位まで上昇。それまでHoustonのローカルだったリーンが、この一曲で南部ヒップホップ全体の象徴に変わった。
同じ2000年、Big Moeのデビューアルバム「City of Syrup」がリリース。ジャケットでは、Big MoeがStyrofoam(発泡スチロール)のカップから紫色の飲み物をHoustonのスカイラインに注いでいる。彼はリーンをHoustonに注いだ。象徴的なジャケットだ。後にBig Moeはこのアルバムの続編「Purple World」(2002)でBillboard R&B/Hip-Hopアルバムチャート3位を記録する。
2000年は、リーンが文化として花開いた年であり、同時にその文化を作った男(DJ Screw)が死んだ年だった。光と影が同じ年に集約された。
CHAPTER 02 / SECTION 05Big Moe・Pimp C|2007年、Houstonが2人の象徴を失った年
Big Moe(2007.10.14 / 33歳)
本名Kenneth Doniell Moore。Houston Third Ward出身。Screwed Up Click創設メンバー。「City of Syrup」「Purple World」というアルバム名そのものがリーンへの愛だった。
2007年10月初旬、心臓発作で昏睡状態に。1週間後の10月14日、死亡。33歳。死因は心臓発作だが、長年のリーン愛用が引き金になったというのが共通認識だ。Houston Pressの記事はこう書いている。「Moeの死因は厳密にはコデイン過剰摂取ではない。だが、リーンの長期使用が引き起こす体への負荷——肥満、便秘、慢性的な心臓への圧迫——が彼の心臓発作に繋がったと推測できる」。
Pimp C(2007.12.04 / 33歳)
本名Chad Lamont Butler。テキサス州Port Arthur出身。UGKのMC、Bun Bのパートナー。「Sippin’ on Some Syrup」でリーンを全米に広めた当事者のひとり。Jay-Zの「Big Pimpin’」(2000)でも全米的な認知を獲得した、南部ヒップホップの中心人物だった。
2007年12月4日、ロサンゼルスのMondrian Hotel 6階の部屋で死亡しているのを発見された。33歳。Los Angeles County Coroner’s Officeの最終判定は「プロメタジン+コデインの効果と、既往症の睡眠時無呼吸症候群の組み合わせによる事故死」。リーンが呼吸抑制を起こし、無呼吸症候群と重なって、眠っている間に呼吸が止まった。
Big Moeが亡くなって2ヶ月後、Pimp Cが亡くなった。2007年は、Houston/南部ヒップホップが2人の象徴を同じ年に失った年として記憶されている。Big Moeは33歳、Pimp Cも33歳。同じ年齢で死んだ2人。
Pimp Cの死因に「睡眠時無呼吸症候群」が記録されていることに注目したい。リーンの危険性は急性の過剰摂取だけじゃない。コデインは呼吸抑制を起こし、もともと呼吸器系に持病がある人にとっては、致死量に達する前でも危険になる。「Pimp Cはオーバードーズじゃない、ただの事故」と片付けられがちだが、事故ではない。リーンが特定の体質を狙い撃ちしただけだ。
CHAPTER 02 / SECTION 06Fredo Santana|2018年、新世代も同じ罠に落ちた
本名Derrick Antonio Coleman。1990年7月4日生まれ、シカゴ出身。Chief Keefの従兄弟であり、シカゴのドリル・シーンを共に立ち上げた男。Lil Durk、Lil Reeseらと並ぶGlo Gangの中核として、シカゴ・ドリルが世界に広がる過程の中心に居た。
2017年10月、Fredoは肝不全と腎不全で病院に運ばれる。本人がInstagramで「命を救ってくれてありがとう、こんなことは敵にも経験させたくない」と投稿したのが、最初の警告だった。原因は本人が認めていたリーンとXanax(アルプラゾラム)への依存。彼はファンに「rehabに行こうと思う」「俺の人生に倣うな(don’t follow my old life)」と書き残した。
3ヶ月後の2018年1月19日、Los Angelesの自宅でてんかん発作を起こし死亡。27歳。Los Angeles County coroner’s officeの最終判定は「心血管疾患と特発性てんかんの併発」。発作はXanax離脱後8ヶ月で発症した持病で、その背景にリーンの長期使用があった。
Fredoの死は、リーンが2000年代の南部だけの問題ではないことを証明した。シカゴ、2010年代、ドリル世代、27歳。場所も時代も世代も変わったのに、結末は同じだった。
rehabに行くかもしれない。俺の昔の人生に倣うな。みんなの人生はまだ先がある。スターになって高くなることなんてどうでもいい。俺はPTSDから逃げるためにハイになっていた、demonsから逃げていた。
Fredo Santana病院から投稿したInstagramより3ヶ月後、彼は死んだ。本人が「rehabに行く」と言っていたのに、間に合わなかった。これがリーンの依存性の正体だ。本人が辞めたいと思っても辞められない。Lil WayneがMTVに語った言葉が一番分かりやすい——「離脱症状は、胃の中に死を抱えているような感覚」。
CHAPTER 03 / SECTION 07なぜラッパーはまだリーンを歌うのか|文化と依存の構造
これだけ死者が出ても、リリックからリーンが消える気配はない。Future、Lil Wayne、Travis Scott、Drake、Lil Nas X——主流のラッパーたちが今も歌っている。なぜか。3つの構造的理由がある。
①「美学」として完成しすぎている
リーン文化は、サウンド(チョップド&スクリュード)+ ヴィジュアル(紫色のStyrofoamカップ)+ 言語(lean / sip / sizzurp)+ アイテム(candy paint car)と、文化の全要素が完璧に揃っている。一度完成したカルチャー記号は、簡単には消えない。Pimp Cが死んでも、Big Moeが死んでも、紫色のカップは画面の中で生き続ける。
②「ストリートのリアル」として機能している
ヒップホップは、「経験を歌うジャンル」だ。実際に経験したことを歌うのが正義、という暗黙のルールがある。だからリーン依存を経験したラッパーは、それを歌わざるを得ない。Future、Lil Wayne、Lil Wayneらは離脱や後悔まで含めて歌っている——だがそれもリリックの素材になり、結果的に「リーン文化」を再生産する。
2019年、FutureはJuice WRLDから「あなたの音楽を聴いて6年生でリーンを試した」と言われた時の反応を語っている。「『マジか』って思ったよ。俺、他にどれだけの6年生に影響を与えたんだろう」。
③ 反対の声が業界の中心から出にくい
デトロイトのDanny Brownはリーンを「液体ヘロイン」と呼び、Gucci Maneは服役中に断った。だがこういう「反リーン」の声は、シーンの主流からは出てこない。なぜなら、主流のアーティストほど、リーンを歌うレーベルや楽曲ストリームの恩恵を受けているからだ。利害が絡んでいる。
結局、リーンは「美学・経験・利害」の3層に守られている。だから死者が出ても消えない。
CHAPTER 03 / SECTION 08日本のシーンとリーン|KOHHらの言及と距離感
日本のヒップホップ・シーンは、リーンに対して独特の距離感を取ってきた。米南部ほどには文化として根付かず、しかしリリックや言及は時々浮上する、という曖昧な位置にある。
KOHHは2010年代、複数の楽曲やインタビューでリーンに言及してきたラッパーのひとりとして知られる。当時の若手シーンでも、米国トレンドを直輸入する形でリリックに登場することはあった。
ただし、日本では現実的にリーンは作りにくい。市販の咳止めシロップに含まれるコデイン濃度は1%以下に制限されており、米国の処方箋シロップ(Actavis等、コデイン濃度が高い)とは別物だ。だから日本のラッパーが「リーン」と言う時、それはほとんどの場合象徴・記号としての参照であって、実際の薬物カクテルとは違う。
これは皮肉な話で、日本のシーンは法的規制によって、図らずもリーンの被害から守られている。米南部のラッパー4人(DJ Screw、Big Moe、Pimp C、Fredo Santana)が背負った代償を、日本のシーンは支払わずに済んでいる。
CHAPTER 04 / SECTION 09まとめ|リーンが奪ったもの、残したもの
リーンが奪ったもの——DJ Screwの29年、Big Moeの33年、Pimp Cの33年、Fredo Santanaの27年。4人の合計122年分の人生と、その先に書かれるはずだった音楽。
リーンが残したもの——チョップド&スクリュード、Houstonサウンド、Three 6 Mafiaの大ヒット曲、City of Syrupのジャケット、紫色のStyrofoamカップ、無数のリリック、そしてこれだけの死を出してもまだ消えない文化記号。
結局、リーンは南部ヒップホップに最も多くを与え、最も多くを奪った飲み物だ。文化的な貢献を否定することはできない。だが、それを称えるばかりで死者を直視しないのは、残された人たちへの裏切りになる。
「Sippin’ on Some Syrup」を歌っていたPimp Cは、その7年後に死んだ。「City of Syrup」を歌っていたBig Moeも、その7年後に死んだ。リーンを文化の中心に置いたDJ Screwは、置いたその年に死んだ。
これは偶然じゃない。リーンの本質を一番よく理解していた人たちが、一番先に殺されたという構造だ。
Fredoの言葉をもう一度引用して終わりたい。彼は死ぬ3ヶ月前のInstagramでこう書いた。
俺の昔の人生に倣うな。みんなの人生はまだ先がある。
Fredo Santana死の3ヶ月前のInstagramよりこれがリーンについて、ヒップホップが残してきた最も誠実な言葉だ。