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ドクター・ドレーの映画ストレイト・アウタ・コンプトンは事実なのか?【Dr. Dre】

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画像の出典は全て本人のInstagramまたはTwitter

映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」を観て、ドクター・ドレー(Dr. Dre)のことを知った人も多いはずです。

映画を観ていなくても、Old School HIP HOPが好きな人なら、ドクター・ドレーのことは誰でも知っています。

しかし、ストレイト・アウタ・コンプトンの内容が過激だったことから、映画の内容が真実なのか疑問に思う人も多いです。

今回は、Old School HIP HOPを代表するラッパー「ドクター・ドレー」の経歴から、映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」の真相について紹介します。

ドクター・ドレーの経歴

STEP.1
幼少期
1965年にコンプトンで誕生
STEP.2
学生時代に友人たち(Ice Cubeなど)とHIP HOPグループ「N.W.A.」を結成
STEP.3
N.W.A.脱退後
N.W.A.の脱退後は、音楽プロデューサーとして力を入れる
STEP.4
現在
現在ではヘッドホンブランド「beats by dr.dre」を設立するなど、起業家としても力を入れている

ドクター・ドレーの経歴

ドクター・ドレーは1965年にアメリカのカリフォルニア州、コンプトンで生まれました。

エミネムが主演の映画「8 Mile」でデトロイトが一番治安が悪い都市と思われている方は多いですが、実はコンプトンの方が悪いとされていて、現在でも殺人事件などが絶えません。

ドクター・ドレーは1980年代の後半からラッパーとしてのキャリアを開始し、90年代には今では有名な「ギャングスタ・ラップ」のスタイルを確立した、N.W.A.(Niggaz Wit Attitudes)の初期メンバーです。

N.W.A.は社会現象にもなったHIP HOPグループで、映画にもなっています。

N.W.A.から脱退した後

ドクター・ドレーN.W.A.を脱退後、2Pacがアルバムをリリースしたことで有名なデス・ロウ・レコード(Death Row Records)を、シュグ・ナイトと共に設立しました。

シュグ・ナイトとは価値観が合わず、デス・ロウ・レコードから離れた後に、ドクター・ドレーはラッパーのみではなく音楽プロデューサーとしても活動しています。

そこで当時では唯一の白人ラッパー「エミネム」のラップスキルを見出し、他にも数多くのラッパーをHIP HOPシーンに登場させてきました。

現在はラッパーとしての活動や、音楽プロデューサーとしての活動をほとんど行っておらず、ヘッドホンブランド「beats by dr.dre」の新型ヘッドホンの制作などに力を入れています。

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ドクター・ドレーはGファンクをプロデュース

ドクター・ドレーは、デス・ロウ・レコードに所属している時に「Gファンク」スタイルのラップを作った人物としても有名です。

Gファンクの代表曲はドクター・ドレースヌープ・ドッグの「Nuthin’ But a “G” Thang」で、現在でも多くのファンを魅了しています。

ドクター・ドレーデス・ロウ・レコードで、2Pacなどのアーティストも手がけていて「California Love」は、ドクター・ドレーがプロデュースしたGファンクの中で1番ヒットした曲です。

ドクター・ドレーの筋肉の変化がすごい

ドクター・ドレーN.W.A.にいる当初、ガリガリの身体でしたが2005年あたりから筋トレに熱中していて、現在ではプロ顔負けの筋肉がついています。

筋トレを開始した時から筋肉がつくスピードがすごく早かったため、ファンの間では筋トレ依存症などと噂をされていましたが、本人は何も語っていません。

ドクター・ドレーの簡単な経歴をまとめました。

ストレイト・アウタ・コンプトンの物語りは事実なのか?

N.W.A.の結成を描いた映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」は過激な内容から、物議を醸した映画です。

多くの人達は物語の信憑性を疑っていますが、当時のアメリカでは黒人のギャングが警察官を殺害したり、ドラッグを売買したりしていました。

そのため、ストレイト・アウタ・コンプトンで描かれているような、黒人差別をする警察官が多くいたのは事実です。

しかし、ストレイト・アウタ・コンプトンは事実に基づいていな箇所もあります。

それが、N.W.A.を結成した当時の初期メンバーです。

アラビアン・プリンスが一度も登場しない

N.W.A.の初期メンバーにはDJとしても有名なラッパーの、アラビアン・プリンス(写真の右)が初期メンバーとしていました。

しかし、ストレイト・アウタ・コンプトンではアラビアン・プリンスが登場せず、N.W.A.の初期メンバーにアラビアン・プリンスがいなかったかのように描かれています。

アラビアン・プリンスもN.W.A.の重要なメンバーで、Ice Cubeが脱退する1年前の1988年まで、N.W.A.で活動していたのが事実です。

本人はストレイト・アウタ・コンプトンについて何も語っていませんが、N.W.A.が好きな人にとってアラビアン・プリンスは重要なので、そのことが理由で「ストレイト・アウタ・コンプトンは事実に基づいていない」という噂が広まりました。

まとめ

今回はドクター・ドレーの経歴や、ストレイト・アウタ・コンプトンの真相について紹介しました。

ストレイト・アウタ・コンプトンでは、アラビアン・プリンス以外の箇所は全て実話とされています。

ストレイト・アウタ・コンプトンはドクター・ドレーの経歴や、N.W.A.結成の真実が詳しく描かれている映画なので、まだ見ていない人におすすめです。

映画で「Fuck The Police」をライブで歌った時に警察が突入するシーンがありますが、当時の映像がないことから、これも実話ではないとされてきました。

しかし、Ice Cubeはテレビのインタビューで「これは実話だったが、映画のように激しくはなかった」と答えています。

ステージに来た警察官の中には、サインを求めてきた警察官もいたと語っています。

注意
本サイトはラッパーさんのバッググランドを知ることで、リリックの意味や楽曲をより好きになってもらうことを目的としています。情報の誤り・追加等につきましては速やかに修正対応させて頂きますのでフォームへご連絡ください。

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