まるで本物?合法リキッドでキマる

Zeebraのプロフィール(年齢・身長・生い立ち)のwikiまとめ

ラッパーzeebra

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画像の出典は全て本人のInstagramまたはTwitter

日本のヒップホップ黎明期から活躍するリビングレジェンドとして、ラッパーとしてだけでなく、ヒップホップをカルチャーとして残す活動に尽力するZeebra(ジブラ)についてまとめました。

MEMO
Zeebraはアメリカに留学していました。留学したきっかけはラップではなく少年ジャンプの漫画テニスボーイへの憧れでした。

Zeebraのプロフィール

 

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出生名横井英之(よこいひでゆき)
アーティスト名Zeebra(ジブラ)
年齢1971年4月2日(現在52歳)
身長178cm
血液型非公表
出身地東京都港区六本木
事務所SOLOMON I&I PRODUCTION
レーベルGRAND MASTER
公式サイトhttps://www.grandmaster.jp

Zeebraは慶応出身で英語もペラペラ!?実家はお金持ち?

STEP.1
幼少時代~小学校時代

Zeebraは1971年4月2日に東京都港区で生まれます。

「ボンボン」「金持ち」と比喩されることも多いZeebraですが、義父は建築家の坂倉竹之助です。父方の義祖父は建築家の坂倉準三、曽祖父は文化学院創立者の西村伊作、母方の祖父は元ホテルニュージャパンの経営者として知られる実業家の横井英樹という家系であることが理由です。

Zeebraが5歳の時に両親が離婚し母親に引き取られ、父親は単身アメリカに渡りました。

その後、公立の小学校に進まず、慶応義塾幼稚舎に入学します。

STEP.2
中学校時代

中学は慶應義塾普通部に進学しますが、中学2年生の時に中退しています。

理由はすでにクラブやバーなどの夜遊びを覚えており、毎日夜な夜な遊び歩き、家に帰らずに友人の家に泊まる生活をしていたようです。

「私立中学校を中退する」というのは、後にパイオニアとして日本のヒップホップシーンを作り上げ、また型にはまらない自由なスタイルで活動するZeebraらしさが出ています。

その後はセント・メリーズ・インターナショナル・スクールに2日間だけ登校し、最終的には都内の区立中学校を卒業しています。

STEP.3
高校時代

高校は米米CLUBのカールスモーキー石井や梅宮アンナ、多くの政治家や著名人を輩出した文化学院に進学しますが、1年の2学期で中途退学しています。

文化学院はかなり自由な校風としても知られていて、Zeebraはスケボーにラジカセというスタイルで登校していたそうです。

そんな自由でアーティスティックな学校でしたが、慶應義塾普通部と同じ毎日朝起きて同じ時間に通うことが無理という理由で中退しました。

MEMO
同じクラスには暴力温泉芸者の中原昌也、女優の中嶋朋子もいました。
STEP.4
大学時代

2017年9月に慶応義塾大学の特別講師としてヒップホップについての講義を開いたことでも大きな話題となりました。

そんなこともあり、慶応義塾大学中退と勘違いされがちです。 ですがZeebraは大学に進学せず、最終学歴は「文化学院中退」です。

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Zeebraが押すファッションブランドはGUALA(グアラ)

 

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最近はシンプルなデザインのファッションが多いです。

 

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GRAND MASTERに所属するEGO(イーゴ)が立ち上げたファッションブランドGUALA(グアラ)など

Zeebraの家族構成

Zeebraには子供が4人います。(息子2人、娘2人)

Zeebraは前妻と1991年、20歳の時に結婚し、5年の結婚生活を経て離婚しています。

前妻との間には2人の息子がいましたが、2人ともZeebraが引き取りシングルファザーとなります。

Zeebraの家族
  1. 中林美和(奥さん)※離婚
  2. 横井健人(長男)
  3. 横井錬(次男)
  4. 横井花音(長女)
  5. 横井里茉(次女)

Zeebraの奥さんはモデルの中林美和

 

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2002年に雑誌CanCamの専属モデルだった中林美和さんと再婚し、2人の女の子を授かり、Zeebraは4児の父となります。

「尾崎豊の元カノ」と噂される前妻と離婚し、2人の息子を引き取りシングルファザーとなったZeebraですが、中林美和とは運命的な出会いでした。

2人が出会った時にソファに座るZeebraに対し、中林美和の方から握手を求めました。

するとZeebra中林美和の手を強く握り、ずっと手を離してくれなかったそうです。

そこで中林美和「あ、私、この人とずっと一緒にいる」と感じたそうです。

その後2人は付き合い、Zeebraの事務所兼自宅を訪れた際に山積みとなったピザの空き箱を見た時にZeebraと結婚し、Zeebraと前妻との間の2人の子供の母親になる」と決意したそうです。

そのとき中林美和は19歳だったことから、相当な覚悟だったことが伺えます。

そんな2人は中林美和がTwitterでZeebraの愚痴を呟いたことから離婚疑惑も出ましたが、今でもラブラブのようです。

また次男の横井錬は、2014年からDJ RENとしてDJ活動をしています。

不倫発覚(2020年8月25日)

神奈川県・葉山の高級リゾートで8月15日、Zeebraが2泊3日の「不倫旅行」をしていたと週刊FLASHが報じました。

この報道を受け本人はすぐさま謝罪をしています。

別居報道から離婚を発表

現在は離婚しています。

Zeebraの息子はDJ

 

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次男の錬(REN)はアメリカ留学経験もあり、ハウス系DJとしても活躍しています。

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横井里茉(次女)はNiziUのリマ

出生名横井里茉(よこい りま)
アーティスト名リマ
年齢2004年3月26日(現在20歳)
身長161cm
血液型O型
出身地
事務所
レーベル
公式サイト

ガールズグループ発掘オーディション「Nizi Project」に参加し応募総数1万件以上の中から選ばれました。

Zeebraの孫が誕生

ついにおじいちゃんに・・

Zeebraは現在52歳なので、かなり若めのおじいちゃんです。

Zeebraのラップスタイル

STEP.1
小学6年生

小学6年の時にHIP HOPへ興味を持つ。きっかけは「ハービー・ハンコック」の「Rockit」のブレイクダンス

STEP.2
14歳

ブレイクダンスを見たのをきっかけにDJを始める。Technics SL-1200mk2やサンプラーなどの機材を購入し、ビート制作も開始

STEP.3
17歳

17歳の時に「ビートだけじゃ物足りないラップも必要」と考え、自分でラップを始める。更にニューヨークへ1カ月半留学をする。

STEP.4
キングギドラ結成
1993年にK DUB SHINEとDJ OASISとともにキングギドラを結成する
STEP.5
1995年
「空からの力」をリリース
STEP.5
1996年
キングギドラの活動を停止し、私生活では元妻と別居し、その後は離婚。子どもはZeebraが引き取っています。
STEP.5
1997年

「真っ昼間」にてメジャーソロデビューを果たします。翌年にはアルバム「THE RHYME ANIMAL」を発売し、URBARIAN GYMを結成する。

STEP.5
1999年
1999年にDragon Ashの「Grateful Days」に客演として参加、「Grateful Days」は爆発的にヒット
STEP.5
2000年
アルバム「BASED ON A TRUE STORY」をリリースしオリコン3位を獲得
STEP.5
2001年
2001年12月に武道館ライブを成功させる。
STEP.5
2002年

2002年にキングギドラを結成する。シングル「UNSTOPPABLE」「F.F.B.」をリリースするが、マイノリティー(同性愛、HIV患者)への偏見ともとれるリリックがあったため炎上
その後も、問題策が続々とリリース「最終兵器」「公開処刑」「911(Original Version)」

ZeebraがラップをはじめたきっかけはHIP HOP DJ

 

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中学生にしてクラブに出入りしていたZeebraは、友達の兄がクラブでHIP HOP DJを見てHIP HOPに興味を持ちます。

初めは普通のターンテーブルでスクラッチの真似事のようなことをしていましたが、当然針が飛んでしまいます。

そこで色々と友達の兄に聞きながら、14歳の頃にTechnicsのSL-1200MK2を2台購入し、ヒップホップにどっぷりのめり込んでいきます。

その後1998年、Zeebraが17歳の時にニューヨークに渡米し、実際に本場のヒップホップを見たことからマイクを握り、ラッパーとしてのキャリアをスタートさせます。

ちなみにZeebraが14歳の頃に購入したTechnicsのSL-1200MK2は一度は息子の手に渡りましたが、ベッドの下でホコリが被っているのを見つけ、今ではZeebraが運営するレーベルGRAND MASTERの社長室に置かれています。

デビューまでの道のり

1989年に幼馴染のDJ OASISとともにPOSITIVE VIBEを結成し精力的に活動を始めますが、結婚を機に音楽活動からは離れ、サラリーマンになります。

サラリーマンとして仕事に追われる中でもHIP HOPへの情熱は冷めることはなく、時間を見つけてはリリックを書き溜めていたそうです。

1993年にK DUB SHINEDJ OASISとともに伝説ともいえるグループキングギドラを結成し、1995年12月10日には日本語ラップの指標とも称されるアルバム「空からの力」をリリースし、満を辞してデビューを果たします。

POSITIVE VIBE時代は全て英語でラップしていたZeebraですが、K DUB SHINEと出会ったことで日本語ラップに可能性を感じ、日本語でラップを始めたそうです。

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Zeebraのラップの凄さ

Zeebraのフローとリリックの最大の特徴は、ヒップホップを普段聴かない一般層が思い浮かべる日本語ラップのイメージであるドスの効いたダミ声と自分を誇示するオラオラなリリックです。

フローに関しては未だに「90年代のアメリカを代表するラッパーDMXのパクリではないか」という論争が繰り広げられていますが、Zeebra自身もTwitter上で否定しています。

また声色も、キングギドラのアルバム「空からの力」のソロデビュー初期は高めでしたが、徐々に低くドスの効いた声になっていっています。

リリックに関しては、自らの地位、名声を誇示するいわゆるオラオラ系のリリックが多いですが、パーティーチューンからディス曲、結婚や恋愛についてなど、トピックは非常に幅広いと言えます。

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Zeebraのソロメジャーデビュー曲は「真っ昼間」

キングギドラとして日本語ラップの金字塔となるアルバム「空からの力」を1995年にリリースしますが、1996年にはキングギドラとしての活動を停止させます。

その後、間髪入れず1997年にFUTURE SHOCKよりシングル「真っ昼間」でソロメジャーデビューを果たします。

キングギドラでは正統派ヒップホップのハードコア路線でしたが、打って変わって「真っ昼間」ではレゲエっぽさも感じる陽気なトラックの上で、良い意味で力の抜けたリリック、フローでZeebraの音楽性の幅広さを感じさせます。

思わず声を上げてしまうフックも聴きどころです。

Zeebraの代表曲は「Street Dreams」

日本語ラップを象徴するアンセムとして、多くのバトルでビートが使われたり、サンプリングされている「Street Dreams」は、Zeebraのキャリア、生き様、人間性まで落とし込んだクラシックです。

第4回高校生ラップ選手権の決勝「DK vs T-Pablowでもビートとして使われましたが、DJ CELORYのビートの上で「俺がNo.1ヒップホップドリーム 不可能を可能にした日本人」と高らかに歌い上げます。

「成さねばならぬ だから成せばなる」「俺のこの人生で証明するぜ」と、まだヒップホップ、日本語ラップが市民権を得ていない時代から己を信じて突き進んできたZeebraだからこそ、そして今の結果があるからこそ響くパンチラインが続きます。

まさにヒップホップマナーに則った正統派な楽曲でありながら、自身がみなぎり、男臭すぎるほどのリリックには、多くのリスナーが感動、ヒップホップを聴かない層も心を動かされるはずです。

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Zeebraのビーフ!日本語ラップ史上に残る大事件「公開処刑」

日本語ラップシーンに留まらず、社会現象ともなった「公開処刑」Zeebraを語る上で欠かせない事件です。

詳しくは下記の記事で

Zeebra(キングギドラ)がKj(Dragon Ash)に仕掛けた一方的なBEEF(ビーフ)の結末は?

Zeebraは大物なのでビーフをしかけられることもあります。

最近ではRAU DEFともビーフになりました。

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Zeebraの至極のパンチライン集

Zeebraはヒップホップにおけるパンチラインの定義について「日本でのパンチラインの定義ってちょっとズレてる気がする。すげー事言うのがパンチラインなんじゃなくて、すげー事で韻踏むのがパンチライン、すげー事言うだけならラッパーじゃなくても出来るっしょ。」と語っています。 それを踏まえた上で、Zeebraの至極のパンチライン集を紹介していきます。

  • 「俺は東京生まれヒップホップ育ち 悪そうな奴は大体友達」(Greatful Days)
  • 「成さねば成らぬ だから成せば成る」(Street Dreams)
  • 「そんなリアリティー雑魚にゃファンタジー」(UNSTOPPEBLE)
  • 「一点突破!行くぜ HIP HOPPER!」(MR.DYNAMITE)
  • 「俺が最初の成功者、今も一歩間違えりゃゲームオーバー」(城南ハスラー
  • 「俺らタフでハードな国際派 まさに選び抜かれたトップファイター」(Neva Enuff)
  • 「そこらじゅうを騒がす まじヤバいレコードかけて マジかきまわす」(真っ昼間)
  • 「男たるもの 口より行動を」(男の条件) 「離婚や再婚も社会のルールだぜ ガキじゃねえから全部わかってたぜ」(理想の結婚と現実)
  • 「固く拳握りしめ向かうリング 堂々とした態度まさにキングの風貌 割れんばかりの歓声 この時点でもう既に判定勝ち」(I’m Still No.1)

ZeebraがMCバトルに電撃復帰!BATTLE SUMMITの戦歴は?

STEP.1
1回戦

漢 a.k.a. GAMI vs Zeebra

MEMO
ビート:般若 / あの頃じゃねえ
STEP.2
ベスト8

DOTAMA vs Zeebra

MEMO
ビート:hokuto / オリジナルビート
STEP.3
ベスト4

Authority vs Zeebra

MEMO
ビート:ZORN / Rep feat. MACCHO

「BATTLE SUMMIT」はKING OF KINGS、SPOTLIGHT、戦極MCBATTLE、凱旋MC Battle、真ADRENALINE、COMBATの6団体での共同開催ということで豪華な出演者に話題が集まりましたが、中でもヘッズの注目を浴びたのが「ZeebraのMCバトル復帰」です。

Zeebra

対戦相手の漢 a.k.a. GAMIは、ずっとストリートのヒップホップを体現してきた。力を借りるつもりではあるが、もちろんカマすつもりでやる。

Zeebraが最後にMCバトルに出場したのは2009年8月22日、8月23日に開催されたB BOY PARK 2009の「3 ON 3 PROFESSIONAL MC BATTLE」で、UZICHINOとのチーム「TOP RANKAZ」の一員として出場しました。

Zeebra個人でのMCバトル出場は「BATTLE SUMMIT」が初めてです。

初戦の漢 a.k.a. GAMI戦を難なく勝ち上がり、続くDOTAMAも倒してベスト4という好成績を収めました。

ZeebraがMCバトルに復帰した理由

Zeebra個人としてこれまでMCバトルに出場はしてきませんでしたが、現在のMCバトルブームの火付け役となった「高校生ラップ選手権」「フリースタイルダンジョン」「ハイスクールダンジョン」などのコンテンツをオーガナイズして、MCバトルブームを牽引してきました。

そんなZeebraがMCバトルに復帰した理由について、戦いたい相手にKREVAの名前を上げつつ「俺がMCバトルに出たら、KREVAも次にMCバトルに出てくれるんじゃないかと思って」と語っています。

Zeebra

司会のおじさんじゃねーぞ、って言いたい。

Zeebra=司会、オーガナイズ」というイメージを払拭するための出場であることも明言しています。

Zeebra亡き祖父・横井英樹

日本語ラップ、ヒップホップ好きからするとレジェンドラッパーというイメージのZeebraですが、昔の世間からすると「横井英樹の孫」というイメージもあります。

横井英樹は日本有数の大富豪として知られる横井英樹の孫として生まれたZeebraですが、小学校4年生のときに横井英樹の経営するホテルニュージャパンで「史上最悪の人災」とも言われる「ホテルニュージャパン火災」が起きます。

「ホテルニュージャパン火災」は死者33人を出し、横井英樹は業務上過失致死傷罪に問われ実刑判決を受けます。

幼いながらに「大富豪」から「殺人犯の孫」まで転落したZeebraは、祖父である横井英樹に対し

「じいさんがやったことの何かをオレが穴埋めすることはできない。でも、もしもじいさんが世の中に対して、作った負があるとするならば、別の何かでプラスにできないだろうかということは考えている」と語っています。

また「公のために何かしたいっていう意識はその“負”から生まれている気がする」とも語っていて、常にポジティブに立ち向かうZeebraの熱いバイブスは過去の経験と祖父譲りであることが分かります。

「ボンボン」「金持ち」とディスられることが多いZeebraですが、華麗なる家系に生まれながらに過酷な過去を背負っているのです。

Zeebraの幅広い交友関係

 

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Zeebraは尖ったスタイルだったこともあり、仲が良いという話よりも「誰々と仲が悪い」という話の方がクローズアップされがちです。

またZeebra自身「ヒップホップの世界はほぼ皆後輩なんだよ。」と語っているように、ヒップホップシーンでは「仲が良い」というよりもZeebraを慕っている、尊敬しているという人が多いという状況です。

ですが同じキングギドラのメンバーであるDJ OASISや2015年に逝去したBUDDHA BRANDのDEV LARGEとは仲が良かったようです。

キングギドラのメンバーであり、相方であるK DUB SHINEとは、ヒップホップに対する価値観の違いから不仲説が絶えませんが、DJ OASIS「仲が悪い訳じゃない。お互いの考え方が違うだけ。」と語っていることから仲は悪くないようです。

しかし、K DUB SHINE「(俺が死んだとして)Zeebraは(葬式に)来ない」「(Zeebraと肩を組んでいる写真に対し)お芝居」と発言したり、打って変わって「最近、Zeebra とは仲いいよ」と発言したり、お互いに長年連れ添っているからこその照れもあるようです。

ヒップホップ・バラエティ番組シュガーヒルストリートで一緒にMCを務めたくりぃむしちゅーの有田哲平とも親交があり、Zeebraとはお互いのライブに行ったり、Zeebraの自宅で開かれるクリスマスパーティーに招待するほど仲が良いです。

MEMO
Zeebraの「Stop Playin A Wall」のPVにも有田哲平が出演
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Zeebraアーティストとのコラボ

Zeebraは、年齢やキャリア関係なく様々なアーティストとコラボしています。

KOHH、Y’s、ISH ONE、DAG FORCE、COMA-CHI、紅桜などのラッパーとも、年齢の垣根を超えたコラボも積極的に行なっています。

ラッパー

Kjこと降谷建志Dragon Ash)、AKTION、SPHERE of INFLUENCE(異父弟)、UZI、DABOMummy-D、T.A.K THE RHYMEHEAD、MACCHO、Q、KM-MARKIT、MURO、BIG-O、童子-T、般若、BES、TWIGY、DEV LARGE、565、SIMON JAPD.O、BIG RON、DS455

レゲエ

Hibikilla、BOY-KEN、FIRE BALL、RYO THE SKYWALKER

R&B

安室奈美恵、AI、Full Of Harmony、Sugar Soul、DOUBLE、Bird、MAY J.、加藤ミリヤ

ロック・バンド界からは東京スカパラダイスオーケストラ、JESSE(RIZE)とコラボレーションしています。

閉鎖的だったヒップホップシーンに風穴を開けるジャンルレスなコラボで、ヒップホップシーン内外から話題を集め続けています。

Zeebraの凄さはラップだけではない

 

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Zeebraはヒップホップ黎明期からラッパーとして、数々の金字塔を打ち立ててきました。

単独武道館公演、安室奈美恵AI加藤ミリヤ長渕剛などのジャンルの枠を超えた共演、そしてヒットなど、Zeebraがヒップホップシーンに与えた功績は数知れません。

ラッパーとしてリビングレジェンドと称されるZeebraですが、2013年以降はラッパーとしてだけではなく、ヒップホップをカルチャーとして残すための活動も積極的に行っています。

代表的な活動
  1. 「クラブとクラブカルチャーを守る会」の設立
  2. 音楽レーベル「GRAND MASTER」の設立
  3. バラエティ番組「フリースタイルダンジョン」のオーガナイズ
  4. 24時間ヒップホップ専門ラジオ局「WREP」の開局
  5. YouTubeチャンネル「Zeebraのラップメソッドチャンネル」の開設
  6. 渋谷区観光協会の「渋谷区観光大使ナイトアンバサダー」就任

閉鎖的になりがちなヒップホップシーンにおいて、常に矢面に立ち続けるスタイルは、Zeebra自身の「ヒップホップは常に新しいものであってほしい」「新しいものを良いと思えなくなっちゃったら、ヒップホップじゃない」というヒップホップ観があってのものです。

これからのラッパーとしてだけではない、Zeebraの活躍から目が離せません。

Zeebraの評価

注意
本サイトはラッパーさんのバッググランドを知ることで、リリックの意味や楽曲をより好きになってもらうことを目的としています。情報の誤り・追加等につきましては速やかに修正対応させて頂きますのでフォームへご連絡ください。

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